見出し画像

みちのく津軽ジャーニーラン266km完走記 その4 スタート、回顧と邂逅

出走15分前

ついにレースがスタートする。17時スタートのため、16時半には事前説明会が終了(奇跡!)。16時45分にはスタート地点に集合するようにとのお達しが出ていた。そして参加者皆で記念撮影。

お気づきの通り、この写真に俺たちサムライ魂は写っていない。まだこのA級、S級妖怪が集うレースにおいて、D級妖怪に過ぎない俺たちは写真に写りこむ資格すら与えられていないからだ・・・と言いたいところでそれは冗談のように聞こえるかもしれないが、実質その通りと言っても差し支えないかもしれない。

俺はこの時、さくら野百貨店のトイレで卍解していた。このレースですべてを出し尽くす。そのために今出し尽くす。45分集合という情報も掴んではいたが、すべて無視して55分まで個室で自分と向き合っていた。チームメイトのヒロポンは俺をきっと心配していて、時間に厳しいエンディはきっとねっとりと舌打ちしていて、声がデカいマッキーはきっと誰彼構わず話しかけていて・・・そんなことは分かっていたが、すべて無視して個室で精神統一していた。

俺はこういうレースの時に、出走時間にさえ影響を与えなければ、ギリギリまで自分のためだけに時間を使うことにしている。もとより完走できたとしてギリギリが確実な底辺ランナー。どうせ後で5分10分の睡眠を求めて心が発狂するのだ。今は1分ですら惜しい。分かっている。出走前に他の参加者と談笑したり、館山会長にレースのアドバイスをもらいにいったり、そういった社会的な振る舞いができた方が良いのは分かっている。しかし今の俺には、後にトイレで10分15分の時間を使うことになるリスクを下げるための時間の使い方の方が大事だ。パンツを履いていたか履いていなかったかの違いだけで、この時の俺は湘北をボコす前の海南のエース、牧と瓜四つだったと思う。

Source:スラムダンク 湘北対海南戦より

5分前にシャバに戻り、チームメイトと完走を誓い、そして17時を迎えた。ついに始まった。左手にはペースを測るガーミン。右手には総経過時間を測るG-SHOCK。同時にボタンを押す。51時間を経過する前に、必ずこの場所に戻ってくる。4人でここに帰ってくる。


回顧と邂逅

スタート直後、俺はこのレースとの邂逅について想いを馳せていた。なんでこんなことになったんだっけ?なんでこんなレースに出てるんだっけ?なんでこんなツライことしないといけないんだっけ?幸運にもこの駄ブログにたどり着いてしまった読者の皆さんも覚えておいてほしい。最も重要な疑問詞は、"Why"だ。"What"も"When"も"Where"も"Who"も"How"も、貴方が今やっていることの戦術的なアドバイスはくれる。しかし、真の困難を乗り越えるとき、答えの見えない旅の羅針盤・北極星となってくれるのは"Why"だ。

距離266.5km、制限時間51時間。この前「俺」未踏の大レースに挑むことを決意したのは、2019年。「短い方」と呼ばれる、みちのく津軽177kmを制限時間15分前にゴールした後の焼肉だった。限界をとうに過ぎた状態で十数時間を戦い続け、最後は走るどころか歩くことすら出来なくなった177km。なんとかかんとか15分前にゴールし、自分が限界を超えて戦い続けられたことにある程度満足することはできていた。なんか2晩を超えるとかいう変な戦いをしている変な人たちもレース中見かけてはいたが、アレは別物というふうに割り切っていた。

しかし、である。横を見ると、ほんのちょっと前までだいたい同じレベルで競っていた「フジタマン」がいる。前職の同期であるヤツは,、いつの間にか野辺山ウルトラ100kmも完走7回を越え(全勝)、4勝3敗の俺にはだいぶ水を空けていた。今回も、「長い方」である263kmを制限時間3時間前に余裕のゴールをしていた。その横には、「仙人」もいた。同じトライアスロンチームの戦友ではあるが、ウルトラ界での実績は全然違う。この2019年は大苦戦したと見え、まさかの制限時間1分半前にゴールをするという偉業を成し遂げていた。ラスト20時間ほどは、ずっと関門タイムを隣に従えていた形になる。こんなすごいヤツラがいるのに、「俺は限界を超えて戦いました。もう津軽は卒業です」なんて言えるはずがない。まだまだ「長い方」をゴールする道筋は見えないが、1年あればなんとかなるかもしれない、と思いながら、挑戦を決めたのであった。そして実際のレースは、コロナ禍に見舞われそこから3年を経ることになる。。。


2019年の「短い方」177kmでは、前述の通り限界をはるかに超えた戦いを強いられた。直前の野辺山ウルトラ2019は完走出来ていたものの、それと比べると体感で10倍以上きつかった。その理由は、明らかに「オーバーナイトラン」の存在であった。眠気はすべてを破壊する。眠気で気力を根こそぎ持っていかれる。まずはこれに慣れる必要があった。以来、「秩父146km」や「中山道117km」など、24時間を超える戦いをいくつか経て、2019年時点に比べると格段に夜の戦いに慣れることができていた。とはいっても、チームメンバー中随一の巨体を誇り(約90kg)、随一のエネルギー消費量を誇る俺は、道の駅やコンビニのトイレに籠って気絶すること合計十数回、てんで夜には弱いというキャラが確立していた。成長はしている実感はあるものの、不安は尽きないのであった。2回参加した秩父146kmでは2回ともチームメイトにトイレに放置され(籠って1時間気絶した俺が悪い)、寒さに震えつつ1人で泣きながら走るという場面もあった。
 
もう1つの不安は、そもそもの基礎走力であった。2019年の177kmでは、37時間の制限時間で割るとキロあたり12分30秒を使うことができた。これは、一切休みを入れずに進み続けることができるのであれば、キロ12分30秒で歩き続けてもゴールできるということである。こんな一見ユルユルに見える時間制限のレースで、俺は「限界を超えた戦い」をラスト十数時間強いられたのであった。レースの前半はともかく、中盤、終盤にいくに従い、当然疲労が出てくる。睡眠も必要。コンビニが見えるたびに休まないと、即座に機能不全を起こしそうだった。この時はもう「なんも言えねぇ・・」というほど出し切った。それほどのレースだった。

んがしかし!次にチャレンジする「長い方」は、これよりもキロあたり1分早くせねばならない。51時間の制限時間に対し、使える時間は馴らすとキロあたり11分30秒。たかが1分と思われるかもしれないが、これは結構絶望的な差である。キロ1分あたり多く使えるのであれば、計260分、つまり4時間強を睡眠に充てることができるということである。それができない。これは他のどんな制限よりもツライ「前提条件」であった。きっと、あの177kmを一緒に走ったカイザー(サムライ魂のCo-Founder。高身長、高収入、高慢の「3高」)も、「いや、それは無理ですよ、愚民には」と言うに違いない。

さて、というわけで実際に「長い方」のレースが近づいてきたわけであるが、正式には266.5kmという距離になった。地味に3.5km伸ばすのはやめてほしい。そして制限時間は変わってないやんけ。でもまぁやるしかない、ということで様々なレースを事前に入れていた。結果は最悪なものとなった。

利根川遡上ジャーニーランに参加するエンディ、マッキーの付き添い:途中から合流のくせにわずか40kmでリタイヤ
富士五湖100km(4月):風邪でDNS(Did Not Start)
野辺山100km(5月):67km地点でDNF(Did Not Finish)
日光千人同心街道160km(6月):110km地点でDNF

なんと、直前のレースはすべてDNSもしくはDNF。前「俺」未踏のレースに向けて実力と自信をつけるどころか、実力は3年前より大きく落ちたことが証明され、自分への信頼は地に堕ちたのであった。この時点で、みちのく津軽266kmは完全に赤信号であった。ただ、このDNS,DNF続きの経験値も、決して無駄になったわけではなかった。いくつかの教訓を得ることはできた。自身の走力のこと、チームメイトの取り扱い説明書など、これはこれで次につなげることができた数少ない収穫だった。曰く、

-俺は20kmぐらいまでは平気でも、25kmを超えると超ダレる。

-25kmを超えると超ダレるのだが、歩いても走っても疲労度は変わらない。しかし放っておくとずっと歩いてしまう。逆に何かを決めれば走ることはできなくはない。

-声のデカいマッキーと走るのは意外とラクである。基本的に会話が噛み合わないのだが、放っておいても無視しても、勝手に一人で盛り上がっている。先に行っても怒らないし、俺以外の誰とでも話をしている。もしかしたら最も人間ができているのかもしれない。ただし、やっぱり声がデカくうるさいので、イライラしないアンガーマネジメントが大事。

-エンディはレース前もレース中も粘性が高いが、意外と俺を頼りにしている。が、頼りにしているわりには俺の調子・ペースが狂って完走の青信号が消えかかったときの詰め方は異常である。復讐が趣味のクラピカより執着心が強い。基本、エンディとの会話の切り上げは、エンディへの誉め言葉で終わると良い。そうでないと褒めてほしそうにずっとこちらを見てくる。ドラクエ5で仲間になりたそうにしているモンスターみたいだ。

-意外と盲点なのは、これみよがしに準備してくるヒロポンのプロレス話。基礎知識がないこととプロレスに興味がないことが相まって、地味に体力を削ってくる。(俺は武藤敬司に似ているが、プロレスには全く興味がないんだ。信じてくれ!)2人きりだと相槌をうつ必要があり、これがだんだんツラくなってくる。相槌はエンディに任せよう。あと、端正なイタリア顔にも関わらず会話が妙に下手だったのだが、最近どこで読んだか「イケてる会話術」みたいなものを身にかじってるせいで、妙に話が回りくどく、B級映画の宣伝みたいな話し方になってきている。

親近感を感じる見た目だが、俺はプロレスに興味がない


 
走力に関しては、7月に入ってからの2週間で、なんとなく200km走ることに決めた。なんか、それだけやればなんとかなるかなという、淡い期待から出た数字だった。結果、残り数日が雨続きだったせいで150km止まりとなったが、振り返ればこれがかなり効いていたと思われる。といっても、半分ほどは歩いていたため、大したトレーニングになってたかどうかは分からないが。体重も、5月のGW時点で92kg弱まで行っていたが、84.5kg程度まで落とすことに成功した。あとはやるだけだ。


唯一177kmの完走経験を持つ俺がペース表を担当し、何度も何度も推敲を重ねる。書いてる人のペースが速すぎて参考にならないとは言ったが、それでも20人近くのみちのく津軽関連のブログを読み漁り、かろうじて数件アップされている「長い方」の完走者のYoutubeをガン見し、頭の中で50回ほどゴールまでの道筋を描く。仮に完走できる確率が実力的に10%ぐらいしかなかったとしても、10回中1回勝てるのであればその1回を最初に持ってくれば良い。俺は夜な夜な頭の中でみちのく津軽ジャーニーラン266kmに出場し続けた。

がしかし、何度やっても頭で思い描けない部分があった。95.5km鰊御殿から、181.7kmふるさと体験館、この2つの大レストポイントをつなぐ道のりである。当たり前のことながら、俺は2018年188km、2019年177kmともに、「短い方」に出場している。鰊御殿より先のことは知らない。やはり、完走経験者の言葉に縋るしかない。

大会数日前のある夜、当日の呼びかけにも関わらず、冒頭に登場した「フジタマン」と「仙人」が決起ミーティングにzoom参加してくれた。「突然済まんが、今日時間をくれ。」そんな俺の無計画極まりない依頼にも関わらず、すべてを察して23時から時間を取ってくれた2人には感謝しかない。51時間の制限時間に対し、3時間前にゴールしたフジタマンと、1分前にゴールした仙人。共通していたことと違っていたこと、真似できる部分と真似してはいけない部分、2人なりの「これはやっといてよかった」と、「ああしとけば良かった」論の分析。一言一句を脳に刻み込み、さらにイメージの解像度を向上させ、完走確率を高めていく。

一番ショックかつパラダイムが変わった部分について触れておきたい。俺は、とにかく125.9km龍飛地区コミュニティセンターまでが勝負だと思っていた。ここまで計画通りのペースで行くことができれば、あとは気合。だから、前半戦のスタート~125.9kmまでは、死ぬ気で淡々とペースを刻む。そして、そこからは延命しながらなんとか進んでいく。そうすればゴールにたどり着けるはずだ。

それに対し仙人が言った。「龍飛終わってからが真のスタートだよ」。フジタマンが言った。「うん、そうだね。」

かの名将、安西先生の言葉が聞こえた気がした。「あきらめたら、そこで試合終了だよ」ならぬ、「知らなかったら、そこで試合終了だよ」と。

***
退かぬ、媚びぬ、省みぬ!我が生涯に一片の悔いなし!

羅王


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?