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誘惑について/ピチカート・ファイヴ Temptation Talk / Pizzicato Five
バブル華やかかりし頃、エムザ有明でライブを見た。
ウオーターフロントとか言って湾岸開発で賑やかになってなんだかみんな浮かれていたころだ。
誰のライブかは忘れてしまったが、特に興味を持つようなアーティストではなかったのだろうか。
ブラックのファンキーな演奏だった記憶だけ残っている。
当時はもう帰郷して、結婚して、子供もいたので東京に来ることが久しぶりだった。
その日は知り合いのF子さんの結婚式だった
ロケットマン/ザ・コレクターズ Rocketman / The Collectors
K崎君がマッキントッシュ+(プラス)というコンピュータを買ってから何年か経っていた。
いつか自分も欲しいと思っていたが、家の経済事情が許さず、なかなか手が出ない状態が続いた。
なにせ扶養家族の妻、長男、長女、二男を食べさせないといけないからね。
妻は子育てに専念したいということでこの時期仕事をしていなかった。
薄給の俺は自分のことは後回しで家族の生活を最優先していた。
本当はK崎君が買った後すぐに
グリーン・オニオン/ブッカー・ティー・アンド・エム・ジーズ Green Onion / Booker T & MG's
HR商会でソウルのレコードを物色していたらO城さんが
「俺君、俺君。今度すごいレコードが出るよ」と耳打ちしてきた。
「何ですか?」
この頃にはもうO城さんの「しもべ」と化していた俺は、薦められるレコードを全買いしていたのだった。
「これなんだけどさ」
O城さんがよこしたリリースには「THE COMPLETE STAX/VOLT SINGLES VOL.1」と書いてあった。
「アナログとCDとあるけ
コスミック・スロップ/ファンカデリック Cosmic Slop / Funkadelic
80年代からMJ、プリンスは聴いていたけど、MJはポップに近い感じだし、プリンスもどちらかいうとエレクトロとかロックの延長のような感じで聴いていた。
UKのニューウェーヴ勢がソウル/ファンクに接近していったのも聴いていた。シンプリー・レッドとかファイン・ヤング・カニバルズとか。
でもやっぱりUKのブリット・ファンクなのであって、本格的なファンクを聴き始めたのはHR商会でO城さんにご教授頂いてからだ
アルファベット・ストリート/プリンス Alphabet Street / Prince
1990年に東京ドームでプリンスを観た。
S野さんという地元の幼馴染と観に行こうと約束していたが、彼女は当日を迎える前に引っ越してしまった。
S野さんとはたまたま仕事帰りの電車でバッタリ会って、中学卒業以来何年振りかで話をした。
化粧品の美容部員をしていたので周りにオシャレな女の子が何人かいて、俺の仕事がらみの男どもから紹介してくれと言われていたので何回か会をセッティングしたりしていた。
当時
アイ・ジャスト・ウオント・トゥ・メイク・ラヴ・トゥ・ユー/マディ・ウオーターズ I Just Want To Make Love To You / Muddy Waters
ある日、H市の営業回りの最中にHR商会というレコード屋さんに寄りこんだ。
ここのお兄さんが、ブラックミュージックに精通していて、東京の俺が通っていた駅前のレコード店にも行ったことがあるという。
共通の話題が見つかった。
正直帰郷してからは音楽の趣味が合う人と出会うことはあまりなかった。
少し欲求不満が募っていたときだったので余計嬉しかったのかもしれない。
このお店を切り盛りしていたO城さんにはソウ
メイヤー・オブ・シンプルトン/XTC Mayer Of Simpleton / XTC
ある日K崎くんから電話がかかってきた。
「俺君、パソコン買ったから見に来ない?」
「いいよ、今から行くよ」
「ギターの音を入れて欲しいからギター持ってきて」
「分かった」
ギターとMTRを持って行ってみるとそこには小さな箱と化け物のような
デカいプリンターが置いてあった。
K崎くんが言うには、
「これはアメリカのアップルっていうメーカーのパソコンで、マッキントッシュ・プラスって言うんだ」
「
ティアーズ・イン・ヘヴン/エリック・クラプトン Tears In Heaven / Eric Clapton
F原さん(俺の名字になったので今後は「妻」と表記)と結婚してアパートを借りて、一緒に住んでしばらくすると子供ができた。
二人で大喜びして産まれてくるのを今か今かと待っていたが、ある時病院に呼び出された。
どうも気になる影があるという。
地元の大学病院で検査を勧められた。
検査の結果、お腹の赤ちゃんの腎臓に水が溜まっていることが分かった。
医者が言うことにはちゃんとお腹の中で育たないかもしれない。
ランニング・アウェイ/カラーフィード Running Away / The Colorfield
実家に戻って生活して3カ月ほど経った頃、新聞広告の求人欄を見て広告代理店の面接を受けてみることにした。
全く未知の仕事だったが、応募資格に大卒の記述が無かったので、とにかく受けてみようと思った。
業界のことは全く知らなかったが、名古屋本社でそこそこ大きな中堅どころの代理店だと後から知った。
現地採用なので希望しない限り転勤は無く、H市の駅前に事務所があって始業時間が9:30だった。
普通の会社は9
終わりなき旅/U2 I Still Haven't Found What I'm Looking for / U2
故郷に帰るのを前提に東京のPA会社に勤めていたが、当時の音響業界はとても立場が低かった。
コンサートの全体予算からまず出演者のギャラが支払われる。当然だ。
次に会場、舞台関係が優先的に予算を取る。
そのあと照明が予算取りして、最後に残った予算で音響関係をなんとかやり繰りする。
その結果、労働環境は最悪なものとなる。
正直ある程度覚悟はしていたものの、あまりの給料の安さに音を上げた。
ここまで酷いの
時そば/古今亭志ん朝 Tokisoba / Kokontei Shinchou
80年代前半、東京に住んでいた時、時間とお金があると通っていたところが3ヶ所ある。
新宿ロフトと新宿末広亭と六本木WAVEだ。
G大駅の駅前レコード店に通っていた時、長兄さんに勧められて落語を見るようになった。
高校時代に読んでいたロッキンオンの松村雄策さんの影響もあったかもしれない。
もともと漫才ブームを経由していて、お笑い演芸は好きだったので試しにと聞いてみたらずっぽりハマってしまった。
ベートーヴェン弦楽四重奏15番 Beethoven: String Quartet No. 15
80年代前半、東京に住んでいた時、時間とお金があると通っていたところが3ヶ所ある。
新宿ロフトと新宿末広亭と六本木WAVEだ。
80年代の一時期、六本木のシネヴィヴァン(CINE VIVANT)に通っていたことがある。ちょっと難解な雰囲気のアート系の映画にあこがれていた時期だったのだ。
それがナウかったのだ。
映画や音楽やアートなど薄っぺらく広く浅く見て廻っていたのだ。
意味不明なシーン、細切れ
ダンス・ダンス/ザ・シェイクス Dance Dance / The Shakes
80年代、東京に住んでいた時、時間とお金があると通っていたところが3ヶ所ある。
新宿ロフトと新宿末広亭と六本木WAVEだ。
俺はややメジャー寄りのポップな音が好きだったので、そういう音を聴きたいときには渋谷エッグマン、テイクオフセブン、原宿クロコダイルなどのライブハウス巡りを楽しんでいた。
T本君などは屋根裏あたりのハードコアを観に行っていて、今日は客同士の喧嘩に巻き込まれたとか、楽し気に話して