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闇を知るからこそ光を知る【クリキャベ読書感想文】

先日、せやま南天さんの『クリームイエローの海と春キャベツのある家』(通称『クリキャベ』)を読了した。

読むのが遅い方(当社比)なので、ゆっくり時間をかけて読み進めようと思っていた。
しかし、新型コロナウイルスに感染したことで自由時間がめちゃくちゃ増え、結果的に一週間足らずで読み切ってしまった。

とても素晴らしい作品だったので、感想を述べたいと思う。

※ちょっとネタバレあるので、未読の方はひととおり読んでからまたおいでください。







まず、主人公・津麦の経歴が自分と重なった。

津麦は、かつて商社で働いていたのだが、ある日倒れてしまう。そして、そのまま商社を退職した。

そこから再起して新しい仕事=家事代行サービスを始めた津麦だったが、勤務先(織野家)での出来事によって、自分の無力さを思い知る。

僕は、3年前まで地方公務員(町役場の職員)をしていたが、勤務中に呼吸困難になり倒れた。パニック障害だった。

1か月間の病気休暇を経て転職したものの、新たな職場でもパニック障害を発症し、そのまま退職した。自分の無力さに絶望した。「どうやって生きていけば良いのかわからない」と本気で思った。

だからだろうか。津麦が朔也に頭を下げるシーンでは、痛々しいほど津麦の悔しさが伝わった。そうだよな、悔しいよな、って。

真面目なんだけれど、どこか慢心があって、誰かに依存する弱さがあって、そんな津麦がとても他人とは思えなかった。実在するんじゃないかというリアルな人間味が、津麦の魅力であり、『クリキャベ』の没入感の強さでもあるんだと思う。


そして津麦は、家事について今一度向き合うことになる。
元々は母に振り向いてほしくてやっていた家事。でも、家事代行の仕事を始め、安富さんや織野家と関わっていくうちに、家事に対する考え方は少しずつ変わってきた。
そして、「私はたぶん好きです、家事」と言えるようになった。

津麦にとっての家事は、僕にとっては書くことだと思う。

二度のパニック障害、そして退職を経験した僕は、これからの生き方を本気で考えた。本を読んだり人と話したりして、本当に自分のやりたいことはなにか、がむしゃらに探した。

やりたいことはまだ漠然としているけれど、書く仕事がしたいと思うようになった。
昨年Webライター業を始めて、たくさん勉強して、案件もちらほら受けて、良い評価をいただいたりもして、書くことの楽しさを覚えていった。

noteを本格稼働するようになったのもこの頃だ。毎日のように書いて、たくさんの人たちとつながりができて、賞をもらったりもして、モチベーションが上がって、そしてまた書いて…

僕は書くことで「自分は世界とつながっている」と思えるようになったのかもしれない。

書くときは自分一人だ。でも、書くことは孤独じゃない。読んでくれる人がいる。スキを押してくれる、コメントをしてくれる、シェアをしてくれる、応援してくれる人がいる。

だから、まだ胸を張って言う自信はないけれど、たぶん好きだ、書くことが。



『クリキャベ』の感想を書こうと思ったのに、なぜか自分の話をしてしまった。

でも、それが『クリキャベ』を読んで気づかされたことだから、一応感想文ってことでいいんですよね? いいんです!(心の中の川平慈英が自己解決)

津麦へのシンパシーによって気づかされた自分自身のこと。それはきっと、津麦も僕も、一度真っ暗な海の底に沈んだからこそ見えてきたものなんじゃないか。
どんな光も明るいところでは目立たないけれど、深い闇の中では強く光って見つけやすい。その強い光とは、津麦にとっては家事で、僕にとっては書くことだった。そういうことなんじゃないか。

自分自身のことを知るのは、思った以上に大切なことだ。
その機会をくれた著者のせやま南天さん(および関係者の皆様)に感謝を申し上げるとともに、『クリキャベ』を我が家の本棚に殿堂入りさせたいと思う。

素敵な本をありがとうございました!!!!!




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