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自分のいないところで褒められたい

誤解を招きそうなので先に断っておくと、僕は、というかほとんどの人間は、基本的に直接褒められたいのだと思う。
「その髪型、似合ってるね!」でも良し、「今日の服、おしゃれだね!」でも良し、「noteのこの記事、めちゃくちゃ面白かったよ!」でも良しである。最後のやつは、今一番いわれて嬉しい言葉。

ただ、人間は「嘘」をつく生き物であるからして、その言葉が本心なのかどうかは定かではない。空気読みや社交辞令みたいなものはその最たる例だろうか。
だから、言い方や性格によって「絶対そんなこと思ってないだろ貴様」みたいに思われても仕方がないのかもしれない。

そう考えたときに、ほぼ確実に本心からの褒め言葉だと断定できるシチュエーションが、一つ見つかった。

それは、対象者のいないところで対象者を褒めた場合である。

人が人を褒めるとき、そしてそれが嘘のとき、なぜ嘘をついてまで人を褒めるのか。
最も大きな理由は、対象者がそばにいるからではないだろうか。上司がくそダサいネクタイをつけていても「か、課長のネクタイ、と、とても素敵ですね…!」と気を遣って褒めるだろう。それはやはり、直接的に相手を傷つけたくないという心理が働いているからだと思う。あとは、シンプルに自分の立場が悪くなるから。

では、対象者が不在のときを考えてみる。
陰口というものがあるように、対象者のいないところで悪口をこぼすことはめずらしくない。むしろ、いないところで話す方が自然である。「課長にさー、『このネクタイ、カッコよくない?』ってドヤ顔でいわれたんだけどさー、くそダサいよね、あれ」みたいな。

逆に、対象者のいないところで褒め言葉が出てくる場合、それはほぼ本心と捉えても差し支えないのではないだろうか。
「アルロンさんってカッコいいよね」とか「アルロンさんってイケメンだよね」とか「アルロンさんって男前だよね」とか、アルロンのいないところでアルロンを褒めるのは、きっと、いや絶対に本心だ。本心に違いない。

例外として、会話の相手が対象者の家族とかなら、この限りではないと思う。
「課長のネクタイがくそダサい」というのを、課長の配偶者には話せないように。

ただ、これだとせっかくの本心の褒め言葉なのに、本人に伝わらないのがネックだ。
そこで重要になってくるのが、褒め言葉の聞き役をしていた人。「○○が、あなたのこと褒めてたよ」と伝えてあげることで、対象者は確実に褒め言葉をゲットできる。

ドラマや小説なんかでもよくあるだろう。お笑い芸人を夢見ている主人公が父親とケンカして家出同然に上京し、なんとかテレビに出られるようになったある日、数年ぶりに母親から電話があり「お父さんね、あなたの出ているテレビ番組は全部録画して何度も見返しているのよ。ご近所さんにも『あのお笑い芸人、うちの息子なんだよ』なんて嬉しそうにいいふらしちゃってねぇ」などと母親が語るのを聞いて男泣きする、みたいな。父親が直接褒めるよりもこっちの方が感動するのは、そういう部分もあると思う。

そもそも、褒め言葉って悪口よりもハードルが高い気がする。日本人は褒めるのが苦手だと聞いたことがあるし、謙遜が美徳とされている傾向がある気がする。
だからこそ、本人不在の状況で話す褒め言葉は強力だと、僕は思うのである。

もっとも、インターネット上で“間接的に”褒めてもらうことは難しいと思う。なので、「アルロンさんってカッコいいよね」とか「アルロンさんってイケメンだよね」とか「アルロンさんって男前だよね」とか、SNSなどでアルロンを褒めるのは、きっと、いや絶対に本心だ。本心に違いない。




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