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パーソナルコロナ禍の過ごし方

暇である。



「暇」という言葉はあまり好きではない。人間誰しも、やることはたくさんある。なかなかその気にならないだけで、決して我々は暇ではないのだ。

しかし、時と場合というものがある。
たとえば、休み明けに仕事へ向かう日に体調を崩し、申し訳なさに苛まれながら病欠の連絡をし、その日のうちに病院へ行ったら新型コロなんとかと診断され、処方されたお薬を飲んで寝たら翌日にはほとんど回復しているとき、だ。



暇である。



すっかり治ったというわけではない。まだ体は怠いし、喉や鼻の奥も痛い。咳はコホコホ、鼻水はズビズビ、くしゃみはブェックショニヤー。5日間の自宅療養を宣告されなくても、こんな体では仕事(草刈)なんてできやしない。カバディなんてもってのほかである。やったことないけど。

ただ、なまじ体調が良くなっただけに、手持ち無沙汰がすごい。病人は寝るのが仕事とはいえ、過ぎたるは猶及ばざるが如し。過労はダメだと何年も前から叫ばれているではないか。病人とて例外ではない。眠ってばかりいては治るものも治らないだろう。まぁ、寝すぎたせいで全然寝つけないのが正直なところなのだが。

それにしても、だ。安静にしていなさいとは言われたものの、割と元気なのにただシングルベッドに横たわるだけなのはいかがなものか。夢とお前抱いても仕方があるまいて。まぁ、抱く相手いないんですけど。ほっとけ!

誰かが言ってたように、「人生は暇つぶしの連続」だったり「起きている時間は寝ている時間の暇つぶし」だったりするわけで、だったら病床の身でもできる暇つぶしをすれば良いじゃないか。ええじゃないか。


今の自分にできそうなことと言えば、

  • 読書

  • 執筆

  • ゲーム

  • 動画鑑賞

この辺かな。


読書は、割とTPOを選ばない趣味だが、頭を使うので意外と体力を使う。それだけ思考を巡らせながら本を読むに越したことはないし、今の状態ならそこまでしんどくはならない。だから問題ない。
今読んでいるのは、せやま南天さんの『クリームイエローの海と春キャベツのある家』、秋谷りんこさんの『ナースの卯月に視えるもの』の二つ。ご存じだろうが、どちらも昨年の創作大賞受賞作品である。すでに終盤に入っており、読み終えるのが少し寂しい。読み終わったら絶対に感想文を書くぞ!


執筆は、自分の中で最も大変な頭脳労働だろう。と思いながらも、今こうして粛々とnoteをしたためているわけで。頭は使うが、疲れる以上に楽しい。それくらい文章を書くということが自分の中に染み込んでいるのだなぁ、と。
書きかけの小説も、続きを考えるのが楽しくて仕方がない。「早く誰かに読んでもらいたい! そして感想が欲しい!」という気持ちを抑え、素人ながら楽しんでいる。


ゲームは、種類や経験値による。やったことないものはそれだけ入ってくる情報量も多いので、新作をやるのはNGか。やり慣れたものならそこまで疲れることもないだろう。
それに、ものによっては逆にストレスを増やしかねないのがゲームである。某友人は、Nintendo Switchにストレスをぶつけ過ぎて何度も修理に出し、先日とうとう諦めて買い直したらしい。ストレスの大きいゲームは、病気云々以前の問題だろう。
というわけで、十何周目かの『ファイアーエムブレム 封印の剣』をやっています。


テレビなりYouTubeなりを眺めるのは、一番受け身の暇つぶしだろう。なにもしなくてもコンテンツの方からこちら側に入ってくれる(もしくは目の前を勝手に流れていってくれる)ので、楽っちゃあ楽だ。あとPrime Videoで気になった映画や番組でも観ようかしら。



あれっ、なんだかやることいっぱいだな。誰だよ「暇である」なんて言ったの。




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