しあわせのカタチ
動物園で働いていると、楽しそうなお客様の顔をたくさん見ることになる。
家族連れもたくさんいる。
カップルもたくさんいる。
“付き合ってはいないけれど男子の方は女子に気があり、女子の方は男子のことを「あくまでも友達」と思いながらも彼とデートすることにまんざらでもない自分に気づいて突然彼を意識し始めた、そんなもどかしそうな二人”も、たぶんたくさんいる。
その表情たちは、実に彩り豊かである。
子どもを叱る親。叱られて泣く子ども。手をつなぎたいけれど恥ずかしさが上回ってなかなかできない男子。隣の男子が手をつなぎたそうにしているのに気づきながらもあえて自分からはつなごうとしない女子。
なによりも、動物園を楽しんでいる笑顔、笑顔、笑顔。就職サイトでよく見る「お客様のしあわせが原動力になります!」なんて綺麗事だと思っていたが、あながち間違いでもなかった。
一方で、しあわせそうな家族ないしカップルを見ていると、少し複雑な気持ちになるのが正直なところである。
というのも、僕は独身で、付き合っている人も(20年以上)おらず、お慕い申し上げる女性も長いこといない。つまり、結婚や恋愛などとは縁遠い状況なので、うらやましいと思うのである。
このことに関しては、自分の置かれている状況を考えると疎遠になってしかたないと割り切っている。経済力は低く、それを凌駕する人柄や才能があるかと問われれば甚だ疑問だからだ。自分で言うのもなんだが、僕と付き合ったり結婚したりするメリットが僕にはわからない。
それに、人と人とが一緒に生活するということは、決して簡単なことではない。違う人間なのだから意見の食い違いや価値観のズレは当然あるし、その折り合いがうまくつけられず離婚・破局する人もたくさんいるだろう。子育てにしても、僕が言うまでもなくハードだろう。
動物園での姿はあくまでもワンシーンで、それ以外の99%は汗と涙と怒りと苦悩の日々なのかもしれない。
そう考えると、おいそれと結婚だの恋愛だのに手出しできないのである。
でも…
でも、やっぱりいつかは家庭を持ちたい。そういう気持ちは確かにある。
幼少期の写真を見て強烈なノスタルジーに襲われることが多くなったのは、家庭に対する願望のせいかもしれない。写真の中の自分は、誕生日を祝ってもらったり、遊園地で遊んだり、家族と過ごす時間を一生懸命に生きている。そしてそれが、なぜか愛おしくてたまらない。きっと、その愛おしさの対象は、子どもがいる人の場合だと自分の子どもになるんだろう。
甥はいるし、友人の子どもと接する機会もある。でも「自分の子ども」というものは、特別に愛おしくてたまらない存在に違いない。自分が実親だろうと、里親だろうと。
もちろん、独身者や子のいない家庭を否定するわけでは決してない。しあわせのカタチは人それぞれなので、我が道を進むのは大いに結構だと思っている。むしろ僕もこっち側だし。
そう思いながらも、独身を貫く覚悟はできていない。きっと「家庭を持ちたい」という気持ちが、絶対に消えないインクで心の片隅に印字されているんだろう。
だからだろうか、一生懸命に今を生きている宝物の輝く笑顔を見ていると、「子どもの幸せが原動力になります!」なんて綺麗事があながち間違いでもないんだろうなと、つくづく思うのである。
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