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人は次元を超えたときに感動する

北海道でオーロラが見られたらしい。

普通アラスカみたいなクッソ寒い高緯度の地域に行かなければ見られないオーロラが日本でも見られたということで、レア度もさることながら、オーロラ自体の幻想的な景色に心を奪われた人も多いのだろう。

※トップ画像は、今回のものとは無関係です。

目もくらむような絶景というものは、実際に肉眼で見たときは言うまでもなく、写真を通しても感動がすごい。富士の山に登る朝日、エメラルドグリーンにきらめく海、一面に広がる花々など、あまりの美しさに思わず息を呑む。そういった写真は現実離れしていて、まるで絵画のようだ。

また、絵画にもたくさんの素晴らしい作品があふれている。木の葉一枚や毛一本ですらも、ものすごく緻密に描かれた名画は、写真のように美しい。妙にリアルで恐怖感すら湧いてくることも少なくない。


こうして考えてみると、「絵画みたいな写真」と「写真みたいな絵画」とは、なんだか似た者同士である。

この二つのなにが共通しているのだろうか。


思うに、「次元の超越」がカギだ。

「絵画みたいな写真」は「二次元みたいな三次元」と言い換えられるし、同じように「写真みたいな絵画」は「三次元みたいな二次元」となる。
本来存在する次元ではないところに移ったような錯覚が、感動の一因なのだろう。

文章にも同じことが言える。

たとえば、本を読んでいるとき。見ているのは文字だけのはずなのに、風景がありありと見えてくる、登場人物の表情がありありと見えてくる、そんな経験はないだろうか。
文字列そのものに感動しているわけではないが、文字がつむぐ言葉の糸が脳内で映像に変わるような感覚、まさに「三次元みたいな二次元」と言えるのではないだろうか。

オーロラならオーロラを、文字だけでいかに鮮明に想像できるか、書き手の表現力と読み手の感受性にかかっていると思う。
物書きとして生きるために、この二つはしっかり備えておきたい。



ちなみに、僕は北海道在住ですが、オーロラの見られた地域までは車で1時間以上かかります。
したがって、「ええー、せっかく北海道に住んでいるのに見に行かなかったのー? もったいなーい!」とか言っちゃう人は、延々と続く殺風景な田舎道(街灯があったりなかったりする)を3時間以上ぶっ続けで運転してきやがれです。




【あとがき】

記念すべき『66日ライラン』の66日目、つまり最終回でした。

感想としては、「ちょっとさびしくなるなぁ」くらいなものですかね。
達成感は正直あまりありません。それくらい書くことが当たり前になっているんだと思います。だって毎日ウンコしてるのに「66日間、毎日ウンコしたぞ! やったぞ!」とは思わないじゃないですか。

まぁ、そうは思いながらも、一つの目標を達成したということで、「よくがんばったなぁ」という気持ちもちゃんとあります。


また、共同マガジンに参加するのも初めてでした。

『66日ライラン』にはたくさんの人が参加していて(50人くらいでしたっけ?)、いろいろな人や作品に触れることができて、すごく有意義な経験になりました。ちょっぴりフォロワーも増えました。

これも主催のヤスさんをはじめ、ともに走ってきたライランナーの皆さん、そしてなにより読んでくださっている皆さんのおかげです。

本当にありがとうございました!


今後の予定ですが、特になにか変えるつもりはありません。創作大賞2024も盛り上がっていることですから、引き続き楽しく書き続けるだけのことです。365日連続投稿のバッジも欲しいですし(というかこれが最たる理由)。

なので、67日目以降も(『66日ライラン』と銘打つわけではありませんが)毎日投稿は続けようと思います。ウンコもしっかり続けようと思います。


というわけで、『66日ライラン』完走です!
長い間、応援ありがとうございました! アルロン先生の次回作にご期待ください!


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