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「優等生であり続けること」の素晴らしさ

小学生の頃、僕は成績が良かった。体育以外。

テストで100点はほぼ当たり前だった。時には力及ばず95点となった答案もあったが、基本的には「勉強ができる子」として周囲からの評価は定着していた。数年後に数学Bで偏差値-0.3をたたき出す男とは思えない。

ただ、95点のときは、親の反応は芳しくなかった。いつも100点を取っていれば仕方のないことなのかもしれない。100点満点がデフォルトなのだから。

そんなことないはずなのだが、テストの点数が良かったのにあまり褒められた記憶がない。100点を取れば100円がもらえるシステムだったので、守銭奴の母は複雑な心境だったのだろうか。


僕には兄と姉が一人ずついる。

二人とも成績優秀とは言えなかった。せいぜい平均7割だったかと思う。

そんな兄や姉が90点をもらって帰ってきた日には、我が家は宴、パーティー、お赤飯である。
そこまでしていたかどうかは覚えていないが、とにかく僕の95点よりも兄や姉の90点の方が喜ばれていたのは確かだ。


なんだかなぁと思う。


「元ヤンキーが更生して今は立派になった」みたいな物語がヒットするのは、よくある話だ。確かに、そういうストーリーはドラマチックで面白い。

ただ、元からの優等生が成績を維持していてもあまり褒めそやされないのは、釈然としない部分がある。


考えてもみてほしい。
「40点だった人が、一度でも90点を取ること」
と、
「常に90点代の人が、毎回90点以上を取ること」
とは、どちらが大変か。

僕は後者だと思う。高い成績を維持し続けることの大変さは、とても計り知れない。

成績の維持は、どういうわけか軽んじられがちだけれど、ものすごくハードなことのはずだ。勉強する内容や量はどんどん増えるのだから、新しいことを覚え、すでに学んだことを記憶しておく、その大変さは誰だってわかりそうなものなのに。

だいたい大人になっても人から褒められたくてしゃーないのに、小学生が「親に褒められる」以外でどうやって勉強のモチベーションを維持しろと言うのかね、チミ。100円じゃあ割に合わないだろうが。


人はそれぞれ能力が違う。最初からある程度勉強ができる人もいれば、なかなか理解できず遅れてしまう人もいる。言い換えれば「(義務教育の範疇での)伸びしろ」が残り少ないか、たくさんあるかだ。

伸びしろがたくさんあると、たくさん伸びたらそれだけ評価もされる。当然だ。
ただ、伸びしろがないからといって、称賛に値しないわけではない。成績をキープしているのは、素晴らしいことなのだから。

「わたしなんて勉強しか能がないから…」なんてハーマイオニーみたいなことを言うんじゃない。
勉強ができるのはすごいよ! 立派なことだよ!

なんて、小学生の頃の自分に言ってあげられたら、少しはポジティブな人間になれたのだろうか。




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