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「才能のある人しかスランプにならない」ってだれかが言ってた

素敵なクリエイターさんであふれかえっているnote。

しかし、いわゆる”スランプ”の方も少なくないようで。

お二人とも僕の記事で(勝手に)紹介させていただいた、魅力的なnoteクリエイターである。

そんなお二人が「書けない」とおっしゃっている。

ここで「わかります~!僕もそんなときあるんすよ~!」なんて言えやしない。その人の悩みはその人にしかわからないのだから。

あと、根本的な解決策って自分の中にすでにあることが多いと思うので、外部の人間がやんややんや口をはさんではいけない気がする。

だから、不肖のアルロンがなにか気の利いたことを言おうなど、おこがましいのである。


それでも、「書けない」と思ったことが僕にもあるのは事実。

特に、コンテスト用のちゃんとしたエッセイ(決してnoteに載せているものがちゃんとしていないわけではないが)については、書けなくて書けなくて〆切ギリギリになんとか提出ということもめずらしくない。

noteにしたって、現状は毎日投稿を続けているが、筆が乗らず23時30分にようやく完成という日もあった。

きっと、「書けない」人はほかにもたくさんいるのだろう。


そういうとき、自分ならどうするか。

うーん、どうしてたっけか?

とりあえず、「無理はしない」ようにしていたと思う。無理して書いてもいいものは生まれないと考えているから。エッセイでもなんでも。


ただ、「書けない」ときにだれか(有名なWebライターさんだった気がする)が言っていた言葉で、気持ちが軽くなったのを覚えている。

「才能のある人しかスランプにならない」

ほえ~なるほどなぁ。
「書けない」状態になるのは、「書ける」人だからなのか。
つまり、「書けない」ことは決して悪いことばかりではなく、才能があることの証明になるのだ。

ふゆのやこさんもManakaさんも、素晴らしい感性と表現力の持ち主であることは間違いない。
だから、お二人が「書けない」のは、ある意味自然なことといえるのだろう。




「才能のある人しかスランプにならない」
→「アルロンにもスランプがあった」
→「つまり、アルロンには才能がある」
という三段論法で己の才能を証明してしまった。

ここだけ読まなくていいです

・・・という冗談はさておいて。


文筆者であればだれもが通る道であろうスランプ問題。
才能の証明とはいえ、苦しい状態であることに変わりはありません。

あなたは、どのように乗り越えていますか?

コメントや引用記事などでご教示いただけると幸い、それはそれは幸いです。
こういった形で、多くのクリエイターさんたちと交流できたらいいなと思い、本記事を書かせていただきました。

ぜひ、ご意見をお聞かせください。


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