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青と赤

青と赤

※選手は敬称略


2023年 夏

 男子バスケW杯にて日本が歴史的快挙を成し遂げた。

この十数年日本バスケがスポットライトを浴びることはほとんどなかったという。国際戦でも連敗続き。東京五輪で開催国にも関わらず5連敗と不甲斐ない結果に終わりファンのみならず選手達自身も落胆していた。

 その流れを断ち切ろうと新しく就任した司令塔トム・ホーバスはスローガンの『Believe』この言葉を常に投げかけていた。自分自身を信じること、チームを信じること、それぞれ自分たちの目標、役割を持ちそれらを成し遂げられると“信じて”選手達に突き進む力を与えた。そして悲願であった42年ぶりに自力での五輪出場権を獲得することとなる。


 そのW杯ベネズエラ戦、私は初めてリアルバスケットに触れた。

ちょうどその時私はTHE FIRST SLAM DUNK(ここではTFSDと略す)にどっぷりのめり込んでおり、約10か月ほど続いていた上映がその夏終わりを迎えようとしていた。もうすぐ終わってしまうこの世界観に喪失感を感じかけていた時、その映画で知り合ったXのフォロワーさんたちのW杯現地に赴いている写真の投稿が目に入る。その中にはTFSDの監督井上雄彦氏の投稿もあった。もうすぐこの世界観からお別れしなくてはならない気持ちをどうにかして埋めたいという思いからテレビ画面を見つめた。

 そこで躍動していた選手がいた。比江島慎だ。

彼は4Qまでの時間で既に4ファウル。得点も伸び悩んでいたところに残り時間が少ない約10点ビハインドしているところに再投入された。結果、たった数分で3P連続4本を決めチーム最多得点で勝利をもたらした。試合後私は手にあったものを握りしめながら涙した。まだ彼のことをしっかり知らない。それでも彼から出ていたエナジーに感動を覚えずにはいられなかった。その後のカーボベルデ戦からはテレビに釘付けになり勝利した瞬間はフォロワーさんとの通話で歓喜の声を上げた。


 W杯後、取材やメディア出演でバスケ日本代表がピックアップされだし日本にようやくバスケット文化が知れ渡らんとするころ、私はずっとW杯の思い出に耽るべくYoutubeでINSIDE AKATSUKIを見続けていた。知るのが遅かったがために強化合宿から強化試合、試合の裏側まですべて網羅しようとしていた。決まって目で追っていたのはやはり比江島だ。彼はシャイで日常ではチームにイジられまくってもずっとヘラヘラ笑っているような性格だ。それでも試合になるとまったく違った顔を見せる。『日本のエース』たる所以をなんとなく理解し始めたころだった。


 その比江島を見ていると必ず画面に写り込んでいる人物がいた。身長204cmの日本人ビッグマン。髪の毛は赤い。

彼の名は川真田紘也。

成長が著しいことから『リアル桜木花道』と呼ばれていた。比江島が何かしようものなら後ろからくっついて行動するので嫌でも目に入る。彼はずっと比江島に付いているうちに絆が厚くなると、年齢が8つも離れているにも関わらず、人見知りの激しい比江島(先輩)の口から『メンター』と言わせるほどになった。

 嫌でも目に入るので比江島を見ている人間は絶対に「こいつは何者だ」となるはずだ。長年比江島を推しているファンからしたらなおさらだろう。先輩の誕生日に生クリームを顔にぶちこんだり羽交い絞めにして足かけしたり、その他8つも離れた後輩がするような行動とは思えない破天荒さに面白すぎていつの間にか彼までも目が離せなくなっていた。


 そんな川真田をみていると、やはりしたくなるのは試合などの履修である。

彼の売りは『ハッスルプレー』だ。強化試合では、ルーズボールを果敢に飛び込んで取りに行くシーンやNBA選手相手に1on1でトラベリングに追い込んでマッスルポーズをするシーンがフューチャーされていた。その中でポイントとされるのは、『スタッツには残らないチームへの貢献』である。

 本戦の川真田のプレータイムは極めて少なかった。メインであるジョシュ・ホーキンソンの貢献度がかなり大きかったのに加えプレー面で未熟な部分があることも重なり大舞台でスポットを浴びることはほとんどなかった。彼は後の取材で『悔しい気持ちは十分あった。数分しか出ていないのにも関わらず怪我をしていまい少しでもジョシュを休ませたいという思いがあったのに逆に負担を大きくしてしまった。』(※ニュアンス)と語っていた。


映像でようやく彼の存在を確認したとき、川真田はしきりにスクリーンをかけて相手の動きを止め味方の導線を確保してシュートまで自らが壁となっていた。目立たないわけだ。初見ではまず視認できない。ボールがあるところを追ってシュートする位置に目を置き得点を見る。ごく自然な見方だ。いくら縁の下の力持ちで成果を出しても世間一般からしたら霞んでしまう。

それでも彼はチームをコート内外で盛り立てる役割を買って出ていた。今までの代表メンバーでもなかなかこういった選手はいなかったようで、愚直にチームのために働きかける川真田を目の当たりにした私は「もっと川真田紘也のことが知りたい」と思うようになった。思い立ったら次に目を向けるのは、日本のプロリーグ『Bリーグ』だった。


 川真田が所属するチーム『滋賀レイクス』(以降レイクス)は昨シーズンB1からB2へ降格してしまった。今シーズンからB2という舞台でチームのスローガン『GET BACK』を掲げてB1復帰を目指さんとしていた。そんな川真田は、昨シーズンの雪辱と責任を果たすべくこのチームに残ることになった。

そんな事情を始めはあまり深く考えていなかった私は、今季からただ単に「川真田紘也を一目見たい」という思いだけでこのチームのホームに足を踏み入れることにした。


 滋賀レイクスのホーム滋賀ダイハツアリーナは、昨シーズンからオープンしたばかりで収容人数も約5000人は入るという。B2に降格したのにも関わらず、動員が減るどころか日を重ねるごとに動員が増えていった。これは紛れもなく『W杯効果』というのが大きい上に運営側の尽力もあったのだが、必然的にその日本代表である川真田を一目見たいという人は多くなる。私もその一人だった。

 初めての試合観戦。私自身バスケット経験が少しあったのでルールやシステムなどはあらかた理解していた。いや、しているつもりだった。だが、実際のプロバスケットという世界がここまで奥深いものだとは思ってもみなかった。映像だけでは知り得ないものがそこにはあった。そして選手のみならずこのチームのファンである『ブースター』の圧倒的空気感。この空気を作り出しているブースターも選手と同じように戦っている。昨シーズン、ないしはもっと前からこのチームを応援しているブースターは降格の瞬間を目の当たりにしている。絶対に負けられない、という想いがダイレクトに伝わってくる。

 私は軽い気持ちで応援していたのが恥ずかしく思えるほどだった。そして川真田自身が『このチームに残りたい』と思う理由が分かった日でもあった。


 そうして私は徐々に現地参加の機会を増やしていった。そしてこのチームのこと、このチームにいるときの川真田の姿を少しずつ把握していくようになる。

 昨シーズンのときの川真田は、選手の怪我が相次いだのもありプレータイムは増えていったが、得点にはあまり至らずにいたという。ディフェンスにおいては評価されていたがオフェンス面においてシュートにまで持ち込むまでのアクションが出来ずにいた。それが、W杯の代表活動から身に着けたP&Rからのペイントアタックやスピンムーブを入れてシュートコースを確保するといった技でスタッツに貢献するようになる。

 またディフェンス面においても、プレータイムが増える分外国籍の選手とマッチアップする機会が増える(インサイドポジションはほとんど外国籍選手が占めている)ためより強度の強いフィジカルで当たることが求められる。そこにも当たり負けすることなく対等に渡り合っている姿は見ていて圧巻だ。


 そんな川真田にハプニングが襲う。

ある試合、前半に投入された川真田は相手のシュートをブロックで抑え、真っ先にインサイドまで戻り受けたパスでダンクを決め込む。このような流れが前半プレータイム7分の間で3回あった。この日は恐ろしいほど好調だった。このままいけばスコアリーダーどころかキャリアハイを狙える勢いだった。

 破竹の勢いで猛攻が止まらないまま川真田がミドルからドライブで切り込んでペイントアタックしようとしたその瞬間、足を滑らせて勢いよく倒れ込んでしまう。川真田が激痛で動きが取れず悲痛な表情で床に拳を叩きつけていた。後から聞いた話では、後にも先にもこんな川真田の姿を見たのは初めてだという。彼はそのまま病院に搬送されたが幸いにも靭帯損傷や骨折といった大きな怪我には至らなかったものの捻挫の腫れは大きく全治6週間の診断が言い渡された。

 だが療養中、下半身が動かせないかわりに上半身のパンプアップに成功している。消費が激しいスポーツが故に、筋力強化がままならないところがある中この空白期間を上手く利用してフィジカル強化できたことは決してマイナスではなかったと考える。

 そして復帰後からはやみくもに攻める、といったことも少なくなった。シーズン終盤には膝のコンディションが良くなくサポーターをしていたこともあったが、自分の持ち味であるフィジカルを使いスクリーンを応用しながらユーロステップで決め込んだり最近ではフローターを使うシーンも見受けられる。怪我と向き合って自分の性質を知り、シーズンを通して改善を繰り返し分析をした上でオフェンスの種類を増やせたことは去年までの彼には見られなかった姿に違いない。今考えると、あの怪我は彼のプレースタイルを変換させる大きなきっかけになったものと思われる。


 日本人ビッグマンというと外国籍の控えという認識が強い。歴代代表の日本人ビッグマンでさえそのような位置づけにいたため他のポジションからしてもかなり影が薄い。実際川真田自身W杯ではジョシュ・ホーキンソンの控えであったため出場機会が少なかった。だが、彼は本質的に他の選手とは異なる。それは『精神的支柱』であるということだ。しかもその存在は自身が支柱であるという自覚が一切ない。彼がもとより持ち合わせている人間力が発揮されているのだろう。元々彼は人見知りで、人前で何かするにもシャイな一面がでていたそうだ。さらには極度の緊張しいで、なかなか調子が乗らず思うようなプレーができないことが多かった。そんな性格を変えたのは、自身がプロ入りして初めてその景色を目の当たりにしたからである。

 プロの世界は厳しい。結果が求められるほか経験値を積んでレベルを上げていかなければすぐに埋もれてしまう。だからこそ自身が楽しんでバスケットをすることに重きを置いたという。ただ単に見てくれだけを着飾っても悪目立ちするだけ。心からバスケットというスポーツを楽しむこと。そしてそれを見ている人達にバスケットの楽しさを知ってもらいたい。その一心でプレーしたからこそ自然と自身のアピールにも繋がったのではないかと考える。そうしていくうちに、自身のメンタルの質が向上していくと、彼の周りにいるチームメイトや選手も相乗効果で向上していく。代表活動や滋賀に帰っても、どこでもその役割は変わらない今や唯一無二の存在となった。


 デビューして早4年と未だ発展途上で、改善すべきところはたくさんある。だが彼には伸びしろがある。その伸びしろはどこまで続いているかはわからない。彼は代表活動中の試合後のインタビューにて『どこまで成長できるかはわからない。もしかしたらここで成長が止まってしまうかもしれない。それでも“気持ち”だけは絶対に負けたくない。』と話していたことから、彼が失敗や敗北を経験してもいつか絶対成功、リベンジをするという強いハングリー精神を持ち合わせている。その結果、今自身のチーム滋賀レイクスがプレーオフにてB1昇格を目前にまで駒を進めたのだ。

 川真田がこのプレーオフに賭けた想いは大きいだろう。彼が人一倍責任感と漢気に溢れる選手だということもこのリーグ戦で知ることができたし自身の『日本代表』だという自覚がある故に絶対に負けられないというのも試合を見る度に感じた。彼がコートインする度にユニフォームの『99』を掲げた大きな背中を見送るのが私自身現地観戦する最大の楽しみで、その背中に大勢の期待が込められていると思うと胸の高鳴りが止まらなくなる。だが今回昇格の瞬間を目の当たりにすることが難しくなってしまい個人的には若干悔しくはあるが、チームが昇格して次の大きなステージに駆け登る事実さえあれば本望である。


 川真田紘也の成長とこれからの未来はここで試されるといっても過言ではない。貴方が気持ちで負けたくないというなら、貴方の行方は貴方が決めて欲しい。天真爛漫に見えて誰よりも向上心に溢れ人並み外れたキャプテンシーを持った貴方の背中をこれからも見守らせて欲しい。

あと2勝。ここで気持ちを切らさず最後まで走り切れば大丈夫。慢心せずに常にがけっぷち精神で。その方が貴方は燃えるはずだ。その時の貴方の表情はとてもかっこいい。

 勝とう。絶対勝とう。私は信じている。

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