思ふこと。

どんなに仲のいい人でも、愛してる人でも、尊敬してる人でも、
「その人を必要としない時間」があっていいと思う。

その人の言うこと全てを受け入れないタイミングがあっていいと思う。(それがたとえば『宇宙』とかいう偉大なものであっても)

個人であること、自分であることを尊ぶ時に、尊重する時に、何か離れ(親離れ、子離れ、恋人離れ、友人離れ、浮世離れetc、etc…)をする時に、「大好きなソレを無視すること」が必要になるタイミングがあると思う。

それがきっと、大きな分岐で大きなチャンスだと。

どんなに尊敬し、信頼し、愛している存在の言葉でも、教えでも、しっくりこない、納得いかない、なんとなく違和感がある時、っていうのは、それこそ大きな精神的「自立」のチャンスだと。

わたしはわたしだ。」という。

自分に自信がない人ほど、そういう機会が大事なんだと思う。自分の微細な気持ちの動きをキャッチする。

どんなに正しく美しくきこえることでも、
『今の貴方に必要かどうか』、は、<貴方>が決めていい。
わたしがいうことも、そう。

しっくりこなければ、スルーしてくれ。✌️
そう思う。


普通の人にとっては、自分が自分であることに何の迷いも疑いも違和感もない人には、なんのこっちゃ訳分からんかも知らん。

だけど自分で自分がわからなくなった時、
自分で自分をなきものにしようとしてきたわたしは、今、とても、そう思う。

自分以外を大切にしようとし過ぎていた。

自分を大事にする、なんて、教わらなかったから。ちゃんとした意味では、知らなかったから。

今やっと、学んでいる途中なんだ。
改めて自分の命や価値を重んじることを。

まだまだ上手くできないけれど、
誰かに届けばいいと思いつつ、
これだって、
先に書いたように、
「今必要としてない人」は、無理に知らなくていい、知ろうとしなくていい、理解しなくてもいい。と、そう思う。

あなたはあなたでいていいし、
わたしはわたしでいていい。

お互いのタイミングを、人生をきちんと生きよう。
それができていればオールオッケーだ。

そう思うし、そう思いたい。

春の日なのであった。( ˘꒳˘​  )



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