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またひとつ歳を重ねる、わたしへ。

こんな人へ向けて書いています

・得たいのしれない不安を感じている方
・やりたいことが見つからなくて悩んでいる方
・そして、いつもお世話になっているあなたへ

いつものごとく、あなたと、わたし。


こんな人が書いています

本日、31歳になったバースデーなひと。
デフォルト悩んでる。

悩めるうちがしあわせですかね。


この一年はどうだった?

年末年始に次いで気合が入る、目標を掲げたり、振り返ってみたりする私的イベント、誕生日。
何歳までにこうなりたくて・・・なんて見えもしない数年、数十年後のプランをいそいそと書いていた2019年。気が付いたら2023年ですよ。


2019年の私は、シンガポールへ行くことも決めていなくて、ぼんやりと「いつか、いつか」という目標を掲げて、今できることを逆算して日々生きていた。いつからか育ってしまった、プライド。勝手に築き上げた周囲からの期待という幻想。あるべきわたしの役割像。


キャリアと年収という具体目標を毎年立ててずっと山を登り続けていた。

いつまで登るの?
何をもってゴールなの?

自分を信じたいからこそ、責め続けた。


思えばこれまで、私は逆算するか、何かやるにしてもお金になるであろうスキルや生き残るために必要な知識・経験のために自己投資してきた。やりたい・やりたくないなんという願いは無視して。
そんな中、シンガポールへの海外転職が決まり、人生最大の試練というほどキツイ日々を過ごした。


もう経験したくないけれど、自信を失って自分の可能性を信じられなくなり、何もできないという思考が働きまくり、毎日生きることが辛くて、今日が終わることを待ち、明日が来ないことを願う日々を経て。ただ、朝起きたときに生きていてよかったと思える日常を過ごしたい。というシンプルなものが本来の私の指針なんだなと気が付いた。


この願いを叶えるべく、個人事業主としての活動をスタートさせ、走り切った30歳。でも根っこは残ったままで、やはりお金を稼いでおくにこしたことがない。という呪いの思考で生きてきて、全身炎症が起きているギリギリの状態で働き続けてきた。


あ~~~~~~~~~~~~~~~
もう、こりごりだ。
人生優等生でありたくない。評価されたくない。頑張り続けることの美学をなぞることがしんどい。
でも、褒められたい、目立ちたい、どんな環境でも生きられる力が欲しい。


こんなポンコツと優等生?のマインドを行ったり来たりしていた30歳後半。
これまでより、自分の特性に気づいてはいるんだけど、不条理な現実を繰り返して四半期に一度心身壊してきた。もう、これを繰り返す一年にはしたくない。そう思っていた昨年末に色々な変化が起きた。



家族に素っ裸で、ぶつかる。

わたしを変えるきっかけをくれたのは夫と両親だった。
詳しくは書けないけど、裁判沙汰になる親族内の揉め事が起こった。これをきっかけに、私の幼児期に形成された私らしさと、親の黒い部分と向き合った。


いやぁまあとってもきつかった。
親から泣きつかれるなんていう経験はしたくないし、最終手段でもないとそんなことをしない親が、その行動に及んだ出来事の辛さに目を背けたくなった。


何をしていても、このことが私のこころを蝕んで、何をしていても心ここにあらずな状態だった。今思うといつからか、両親と立場が逆転して依存される側になっていたんだろうなと思う。



いろいろあるけど、わたしはきっと幼い頃、
わがままで、こどもで、いたかった。


幼くして離婚・再婚を経験し家族構成の変化、環境変化を経た私は自分を後回しにして、家族のためにちょうどいい役割でいることに自然とシフトしていっていた。もう思い出せないけど、幾度とのみこんだ願いや、譲ってきたものがあったとおもう。


こうやって、ちいさくちいさく自分の声を無視して、ないことにして、見かけはツヨツヨ、鋼メンタルな架空のわたしを作り上げていった。



でも、宮本さん(マイコーチ)のセッションで整理をしてもらったり、リトリートで一度人生を終えたり、友人や夫にすこし吐いたりして。逃げずに過去の、どういうタイミングからこの私特性が生まれて、どんな願いがあるかなど向き合った。



そして、向き合いきれたからこそ、両親に直球で投げることができた。
「本当は私だって完璧じゃない、できる子じゃない。できないけどできるようにならないといけなかったから、無理して頑張ってできるようになっただけ。本当は甘えたかったし、優等生で在り続けるのはしんどかった」と。
これまで見せなかった涙も、隠さなかった。


ここから、両親との関係が少し変わった。対等な人間として少しづつ、歩み始められた感覚がある。


そうこうして、夫とも大喧嘩をした。夫のことは大好きだし、愛しているけれども、信じ切ることはできていなかった。いつ別れが来るか分からないし、甘えて足枷になりたくなかった。夫の行動促進剤としての妻という役割で人生を共にしてきた。



実は仲はいいが、大切なことは話してこなかった。家族になったけれど、独身と同じ管理で互いの給料や貯金は知らない。自由でいたいだろうなという夫の願いを汲んで、気になっても聞くことはせずに、自分で全て賄おうと行動してきた。



多分、この関係が永遠だなんて信じられなかったんだと思う。心地よい存在でいることが、私の存在価値だと思っていた。同じくらい稼いで、ひとりでも二人分の生活を担保できて、何かあっても支えられる妻。家事もして、食事も楽しみに思ってもらえる工夫をして。


結婚してよかったと思ってもらいたかったのか、ありのままの私でいる(完璧を演じて仕事も家事もすべてこなす私ではなく)ことを避けてきていた。多分だれに対しても私はそのスタンスだったんだと思う。



自分に対して自信がなく、相手に対する私の存在意義を発揮する関わりをする行為=生存本能だったんだと思う。


ところが、徐々に対話ができるようになってきて、私自身が自分の不完全さを赦せたことで、夫への態度も変わっていき、夫に「態度悪くない?」と言われた。
(爆笑。態度悪くない?なんて中々言われないよね。)



多分、素はそんなポンコツな人間なんだと思う。
自分勝手で、おもうように自由に行動して、気まぐれで、気持ちの移ろいが激しくて。ちょいナルシストで。でもそれを自然と夫に出していたことに、すこし涙が出た。それを出せる関係性を築いてくれた夫に、感謝しかない。



これをきっかけに、大喧嘩をして、全部全部吐いた。妊活がうまくいかないこと、いつ妊娠するか分からない状況が一年続いて、この先を決めきれないストレスが大きかったこと。


それでも夫も個人事業スタートしたばかりだし負担をかけられないから、子供ができても自分の売上だけで何とかやっていけるように執拗に働いたこと。足枷になると思って、ずっと頼れなかったこと。



夫はこれを受けて、私がそこまで辛い状態で生きていることにそもそも気づいていなかった(強くて平気そうに見えていた)ことを伝えてくれ、互いの認知の差を埋めて、これからのことを話すことができた。


あ。このひとと深くつながった。と思えた。そこから、私はポンコツに生きる、という自分のひとつのアイデンティティを迎合できた。



ちょっとポンコツに生きる。

31歳は、意識下ポンコツ、無意識下でこれまでの優等生で生きる。
きっと意識しなくても、もう私は無意識に相手のために、この場で最適な役割で生きることができる。
でも、そればかりでは自分をすり減らす。



だからこそ、「ポンコツで生きようぜ」を意識下に無理やりおくことが、なんとなく次のステップにいくキーワードだなと思っている。



この記事もうっすい内容になっちゃったけど、ポンコツだから、公開を赦せるんだよね。
ポンコツなわたしは、最近は無計画で出かけて一日過ごしたり、アンテナが立ったことはできるできない問わず着手したり、目的や目標を置かずに思いついたままに行動している。


2019年のときから書いていたアートに関わることもどんどんやっていくし、みんなから褒めてもらえる料理もやっていく。


レッドオーシャンだけど…ビジネスにするなら…なんて、どーでもいいから、目の前のひとを笑顔にする、そんなことをやっていく歳にしたいな。



お知らせ!!!なんかひとつもないかもしれないけど、気が付いたら変なことを全力で楽しんでいる、いつも笑顔なひと。でいたい。



そんなわけで、31歳のわたしもどうぞよろしくお願いいたします!
何よりも、みなさんがいるおかげで私は安心してこういうnoteを書けるんだよなぁ。本当に、出会ってくれたみなさまに感謝しかない。


P.S
今年は何も失くしたくない!(スマホとメガネ既に没)



さいごに、未来のわたしへ。

何を恐れているの?
もう、すでに自分のなかにあるよ。ないものに目を向けることも必要だけれど、自分にあることをもっと信じてあげて。
あと、少し距離とって眺めてみて。周りに沢山のひとがいるとおもうよ。ひとりだけど、ひとりじゃない。



頑張るんじゃなくて、自然に生きて。

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