コーチとのパートナーシップとは
はじめに
前置き
タイトルがこれでよいかは、まだ悩みつつ、マイコーチである宮本さんとの1年とちょっとを振り返りたいとおもいます。
ひとみんの、こちらのnoteを参考にさせていただきました・・・!読み応えが凄い。なお、あくまで全て個人の見解です。
私が宮本さんを語っていいのかという気持ちも湧き上がりつつ、私から見えている世界と、コーチングを受けるということ、そしてパートナーシップってなんだろう?という視点を置きながら、書いています。
コーチングが社会へ浸透してゆく、というより、もともと持っているコーチングマインドが個々に、世界に立ち現れてゆく世界のひとつのきっかけになればと思っています。
こんな方へ
宮本さんのご紹介
コーチを探し続けていた半年間
宮本さんと出会うまで、わたしはマイコーチ難民と化していました。
コーチングプラットフォームサービスを利用して複数名のコーチの方の体験セッションを受けては、さすがプロだな~と感じるものの、駆け出しコーチとして活動していたこともあり、コーチのスキルばかり目がいってしまっていました。
クライアントなのに、「なるほど、今ここで視点変えるのか」「この間でいくのか」などなど・・・コーチ目線が抜けることがなく、つまりは自分に集中しきれておらず、継続の成約には至らず気が付いたら半年が経過していました。
そんなわたしが、宮本さんとご一緒するに至った、超個人的なポイントを、超僭越ながら・・・記していきたいと思います。
求めている時間と、得意とする特徴の合致
まいったなぁ・・・と思い、Xでコーチを探しているが中々ご縁がないことを呟いたら、ありがたいことにコーチ仲間から「この方であれば、わたしに合う気がする」と複数名ご紹介いただき、そのうちのひとり、かつ、唯一コーチ仲間が揃って挙げたのが、宮本さんでした。
一番覚えているのは、「宮本さんは内側に潜るだけでなく、現実としっかり繋げることが本当に長けている」といったニュアンスの推しポイント。
わたしの中のことばになっていない、それでも確かにあるなにかと出会い、現実が変わっていく。妄想が、現実化する。ここのつなぎって、本当に難しくて。
セッション中や、セッション後しばらくはクライアントハイになり力が漲るけれど、それって外的影響(コーチの関わり)によりドーピングされている感覚で、本来のわたしの内側から溢れてくるエネルギーを使えている、本質的変容とは違うとこの頃思っていて。
わたしにとって、「避けられない流れと、本質的変容」待ったなしのタイミングで伴走いただけるコーチを探していたのです。なので、深く潜りつつ、現実そして日常と丁寧につなげていく時間を求めていました。
そこに、本当にありがたいタイミングで信頼をおける方たちからのご紹介と、かなり稀なクライアント募集が重なり(紹介いただいてすぐは、募集されていなく、色々ページ探しまくっていた)、初回のセッションに至ったわけです。
投稿から見える、静かな熱量と真摯な姿勢
紹介いただいてから、ファーストミートまでは少し時間があって。その間わたしは、宮本さんがどんな方であるか、コーチとしての記事であったり、特にXの投稿内容をよくよく拝見していました。
ホームページやサイトって、分かりやすくて選ぶ基準にはなるものの、ある種魅せる側面がコーチ側で設定されていて、じぶんの直感で感じるコーチの印象が少し固定されてしまう感覚があり。
投稿からにじみ出るその方らしさ、「在り方」を知りたくって、投稿をおっかけていました。
宮本さんの投稿は、コーチングを中心にしつつ、周辺領域への知見がとても深く、コーチングとその先の社会への眼差しも感じられて、静かだけれど確固たる信念や熱意を受け取りました。
コーチングということばに頼らず、ご自身でコーチングという世界をつくっている、なんだか起点がこれまで出会った方と異なるような。
この方がつくっていく、歩んでいく社会に触れながら、わたしもわたしの思う社会に出会っていける気がする。
未来への希望と、守備範囲の広さ(急に現実的)、そして何よりクライアントに対する「真摯さ」。もう、この時点から会ってはいないけれど、パートナーシップは始まっていたように思います。
ただのわたしでいられるセッション時間
セッションは、その時間が始まる前から始まっている。ということを、体験しました。
まず、初回体験セッションの前に宮本さんから「事前にプロフィールや、扱いたい、考えたいと思っているテーマ、自身で自覚している思考癖など(他にもあれば、歓迎です!)をよければ教えてください!」と連絡をいただいていました。
わたしも、当時必死だったので、以下のような感じで送りながら、改めてそのときの私が求めているセッションの価値を考えることができました。
相当、焦っていたんだろうな~ということが窺がえる事前の声出し。ここから始まり、初回セッションを終えるわけですが・・・
何にも覚えていない。
ただ、それくらいセッションの時間は自分に集中できていたという証でもありました。
あまりにも覚えていないんですが、感動してすぐに相棒まーに連絡を入れていた記憶があります。笑
そこからは毎セッションを録画させてもらい、セッション前後に視聴して、文字起こしして、一度のセッションを何度も、そのときどきの自分と何度も出会い直しています。
それくらい、一時間に価値があると一回で無意識に感じさせられました。何がそうさせたのだろう?と考えたのですが、やっぱり「つなぎ」と「見ている眼差し」の凄さなのかなと思いました。
いわゆるスキルをスキルとして使っていない。使っていたとしても、それを感じさせない。わたしの中にあることばとになっていないものを、必要に応じてつないでくださっているような。
現実に起こっていることと、頭の中、こころにある想像とつなげる方法として、理論や視点を活かしてくださる。
何層も上からあらゆる可能性を考えたうえでの視点を切り込んでくださる。それが全て「在り方」として場に現れている。そして、常に敬意と真摯さを欠くことなく、隙がないほどに安心感で場を満たしてくださる。
この方しかいない。
体験セッションを経て、直感が確信に変わり、コーチとして伴走いただくお願いを即しました。
ちょっと私の言語化力の問題で伝えきれていない気もするのですが、具体的な活用した理論や手法を書くのは違いますし、あくまで私の体験という視点から書くことがいいと思っているので、これがいいのかなと。
そして、これらが合わさって、わたし、わたしたちは変容を遂げていきました。
どのような1年ちょっとを歩んできたか
扱ってきたテーマを振り返ると、こんなことがありました。
頻出したのは、家族をはじめとする「関係性」だったなぁと思います。最初こそ、使命やビジョンに囚われていたのですが、途中からは闇に光をあてるセッションが主になっていました。
一年を振り返ると、こんな感じでした。丁度一年経ったときに全てのセッションを振り返って宮本さんに送っていた文そのままです。
幾度となく立ち現れて、向き合い続けた先に、起こった変化をここからは書いていきます。
変化①過剰適応に気づいて選択するようになった
私はもともと周りのひとの顔色を気にして、空気を読み、ちょうどいいわたしでいることを得意としていました。この1年はその得意が強化されることが続きました。
2021年に個人事業主として、何のあてもない、契約もない状態から独り立ちをしました。なので、最初の数か月はとにかくわたしの「できること」と社会が「求めていること」が合致する案件を探して、沢山の企業の方や、個人の方にお仕事の打診をしていました。
ありがたくも、全く違う業種で、役割でご縁があり、4~5社とお仕事をさせていただくようになりました。その結果、会社ごとに、メンバーごとに、そこで求められる私でいるよう、その場に私をチューニングしていくことにエネルギーが使われていきました。
作業量がすごい多いわけではないけれど、耐えられないくらいに心身が疲弊している。という現実が、幾度となく何かしらの症状として表れていて、テーマとして明確に設定はしないものの、何度もセッションで扱っていただきました。
適応できることが私の価値であり、それによりお仕事がいただけている。お金をいただけるようになった。この成功体験が、いつしか合わせていかないと生き残れない。という強迫観念と化して、健全な適応から過剰な適応を自ら強いていくようになっていたのです。
と、いうことにセッションとセッション間の対話の場で気づいていきました。
宮本さんからは、そのときどきに私に合う選書をしていただいたり、僕から見えている背景はこう。という理論と経験に基づいた開示をしてくださり、私はセッション間にそこを学んだり、対話することで深めてゆき、気づきと目のまえの現象と学びがつながっていきました。
この気づきは、わたしのこころをより自由にしてくれました。経験と思考から、どうしても脳内効率化により同じサイクルを繰り返しがちな生き方から、いつだってリセットできる豊かな経験となったのです。
変化②本来のスピードで生きられるようになった
これは、大きく在り方が変わったということです。
正直、コーチングを受けて行動を変えることは割と簡単だったんです(私の場合)。
目標設定して、目標に向かって行動していくプロセスは、渦中に痛みはあれど確実に進んでいる感覚があり、気持ちいいから。進んでいることが、安心感を与えてくれるから。
行動が変われば現実が変わるとなにかしらの書籍だったりで目にすることもあるけれど、その根本は在り方が変わっていないと、不本意な現実が繰り返されることだってあります。
私の場合はそうで、行動することがいま取るべきアクションではなく、じっと留まることが取るべきアクションでした。気持ち悪さ、もどかしさを抱えながら。
宮本さんは、ただわたしでいる時間といられる場をセッションという形でつくってくださいました。一緒につくっていったということばの方が正しいかもしれないです。
ネクストアクションが、おいしいものを食べる、とか、深呼吸する、という時期もありました。
え??それがアクション???と思われるかもしれませんが、確かにとても私に必要なことでした。アクションをコーチのものさしで測らないからこそ、自由に、大事なものがでてきたんだと思います。
そんなある日、チェックインで、場の安心感からか、多分ぎりぎり何とか保っていたときに「なんで自分のために真に自由な時間を一時間もつくれないんだろう」とついぽろっと出てしまい、何のために生きているんだろう、と大泣きしました。
そこから本来わたしが生きるってどんな世界なんだろう。という問いを持ちながら、日々を過ごすようになりました。
在り方って、変えようとおもって意識しているあいだは本質的に変わっていません。○○したい、が強くなると、執着に変わり、窮屈になってゆく。意識を手放して、ただ自分にあるということを感じられるとき、現実が変わってゆく。
わたしは、気が付いたら話し方や話すペース、休むペース、ものごとへの捉え方が変わっていきました。
論理的な説明をベースとした回答をしなくなり、ことばを文章にする前に、出すようになっていました。なので話すこと自体は下手になった感覚です。
話すはやさも遅くなっていました。
なにかに急かされたように、端的に、わかりやすく、最短で伝えるコミュニケーションから、まとまっていなくて、わかりづらく、時間をかけて伝えるコミュニケーションになりつつあります。
そういえば私、人見知りで話すこと得意じゃなかったんだよな。と思い出したり。
受けるお仕事の選択も変わっていきました。お金の不安から受ける案件をなくし、料理や掃除、散歩を躊躇いなくできる時間が確保できる範囲でしか詰めることもなくなりました。
認知の限界をこころにおいて、基本的にわたしには見えていないところがある。という心持ちでひととコミュニケーションを取るようになりました。
社会的な、一般的なお作法になぞるのではなく、わたしがそのときそうありたい自分に一生懸命になりました。
どう思われるか、ではなくて、どんなわたしとしていたいのか。常にどの場にいるときも、この視点は大切にして、毎回そのときどきでセッティングしています。
こうやって少しづつ変化が生まれていったら、過去も未来のことも考えることが減っていき、今日、今、とっても満たされている。と感じる日々が増えていきました。悔いなしと言える人生を歩み始めました。
変化③夫婦の主語がわたしたちになった
私目線でですが、わたしたち夫婦は恐らく仲がいい夫婦だと思います。ただ、お金のことだったり、仕事のことだったり、これからのことだったり、どこか夫の人生、わたしの人生、夫婦の人生が切り分けされている感覚がありました。
仲はいいけれど、互いのテリトリーに踏み込むようなコミュニケーションは少なかったのです。ただ、私はかなり夫の存在に依存していました。主語が夫、一番大切なのは夫、夫、おっと、おっと・・・・
次の変化にもつながるのですが、宮本さんとのセッションを重ねてゆくことで、私は「関係性に勇気を持ちこむ」ことができるようになりました。
(たにちゃんが言っていたことばで、とても肚落ちしている)
今まではお酒の力を借りて、爆発寸前までいったところで対話が始まっていました。今もまだ、言えない・・・怖い・・・と尻込みすることもありますが、それでも言う。
に変える関係性に変わっていきました。その積み重ねが、互いが見ている世界を少しづつ共有していく体験となり、何かを考えるときにわたしたち、という視点を持てるようになりました。
夫への愛情は変わらないけれど、形だけではなく、こころから寄り添えるようになりつつあると思っています。
変化④母、父と家族の関係性が変わった
わたしが変わったら、家族が変わったというお話です。特に家族との関係性はこれでもかという程、嫌な形で現実に立ち現れてきました。
家族間で裁判沙汰になったり、母に泣きつかれたり、母が耐えてきた見たくなかった辛い現実を目の当たりにせざるを得なかったり。
避けざるを得ないことが立て続けに起こり、ズタボロということばが似合うと思うほど、疲弊していました。この時は特に、「境界線」と「長女ロールの呪い」をメインにセッションで扱っていただきました。
わたしの人生で大切にしたいこと、家族というシステムで大切にしたいこと。母との対話は本当に本当に辛く、思い出すだけでも泣いちゃうんですが、わたしにとって必要なことばとして出し、成仏してゆくプロセスを歩むことができました。
両親と妹に面と向かって、「長女としてしっかりしているから、と最後の砦にされることが辛かった。私だってできるんじゃなくて、できるようになるほかなかった」と伝えて対話できてから、少しづつ関係性が変わってゆきました。(他にも色々話した)
まず、母が自分の人生を楽しむようになりました。それまで、母に会う度に愚痴を聞かされ、口から出てくることばが負のことばしかなく、話を聞きたくない、聞いてあげられない私にもうんざりしていました。
でも、対話をするたび、会う度に変わっていって、今は楽しかった旅行のはなしや、推しのはなし、残りの人生どう生きたいかまで話すようになりました。愚痴はほとんど聞かなくなりました。
自分がやりたいことしか、もうやらないと決めたの。とえがおで話す母を見て、私は本当に嬉しく、泣きそうになりました。
私が見てきた母の人生で今が本当に一番楽しそうです。
そして父も変わりました。父との関係性も色々あったのですが(こちらのラジオで話しています)、娘として父に伝えたいことを伝えるようになり、母へのコミュニケーションが柔らかく、不器用だけれど愛情を感じられるようになりました。
母の変化が父にも伝達していったこともあってなのか、離婚寸前だった両親は、いまでは毎週デートに行くようになりました。
そんな私たち家族は今年家族旅行も沢山行って、まだまだ親孝行していくけれど、後悔ないと言えるくらいに、私は家族との時間を過ごせています。
これらは、上にも書いた「関係性に勇気を持ちこむ」ことができるようになったことが作用しているかなと思います。
ひとりで、いきなりはやっぱり怖くて。宮本さんが丁寧に、まずセッションで関係性を扱ってくださったからこそ、踏み出せた領域だと思っています。
ここに書いた4つ以外にも沢山変化はあって。
もちろん、しごとの変化もあります。でも、目の前のキャリアだけでなく、その先を変える視点が変化しました。
例えば、どんなビジネスをつくりたいかではなく、どんな社会にしたいのかを考える視点の変化や、お金を稼ぐのではなくて、お金が不要な循環をどう育てていけるかを考え、行動していくことなど。
いやぁ、ここまでくるのも、全てひとつひとつの積み重ねで。コーチとクライアントのパートナーシップの可能性の大きさをひしひしと感じます。
パートナーシップって何なんだろう?
関係性にいのちを燃やす
ちょっと大げさな表現かもしれませんが。でも、パートナーシップを考えたときに浮かんだことばは、ド真摯と柔らかな眼差し。
互いに灯火をバトンタッチしているような。聖火をつないでいく。結構重く感じるかもしれないですが、それくらいに互いに大切なものを受け渡ししていく関係性だと思っています。
どれくらい真摯にセッションの時間を、それ以外のふとした時間を、人生を使って互いにことばや場の交換・共有をしていくのか。そんなバトンの積み重ねが唯一無二のパートナーシップとして育まれていっているのではないかなと、現時点では思っています。
セッションの時間はもちろん、それぞれ生きている時間ももちろんセッション中に在り方として表れる。
大前提として、わたしたちはもともと繋がっている。という最初のパートナーシップの土台はあるとして、コーチとクライアントとのオリジナルなパートナーシップは、間違いなく互いに育んでゆくものだと思います。
クライアントだから気にしなくていいわけではなくて、クライアントとしての在り方もあると思うんです。そういった真摯さ・眼差しが、よりセッションの価値を高めていく。
当たり前にパートナーシップが広がってゆく社会に
ここまで書いてきて、コーチとクライアントという関係が特別というのも何だか違うよなぁと感じてきました。
コーチとクライアントという関係性が、もっと当たり前に日常の、あらゆる場の関係性にも表れる社会になればいいのに。
特別な間柄だけを扱わずに、あなたとわたし、がそんなあたたかなパートナーシップを感じ、つながりを思い出すことができる社会を思い描いたりしています。希望しかない。
そう思うと、パートナーシップって社会の、世界の希望のはじまりなんじゃないかと。そんなことを考える夜です。
わたしは今、コーチとしてクライアント募集はしていないですが、今後また絞った形になると思いますが、再開する予定です。
ただ、コーチとして掲げていなくても、わたしとして、出会ってくださったみなさまと、愛あるパートナーシップの輪を広げていけたらなぁと思っています。
具体で何するかはまだ決まっていませんが、在り方として、出会うと温度が上がるひとになれたら嬉しいな。
謝辞
ここまでお付き合いくださったみなさま、本当にありがとうございました。
これを読んで更に聞きたいこと、気になることがありましたら、お気軽にご連絡ください~!
このnoteは、宮本さんのコーチングについて話したときに、上手くことばに出来なかった不甲斐なさと、私の話下手で宮本さんが本来と違った形で伝わってしまったら悔いしかないと思い、懇願して書いたものです。
書くことを決めてから、パートナーシップとコーチングについて沢山考えて、パートナーシップの可能性を経験した私だからこそ、いま書くタイミングにいるんだなぁと感じるようになりました。
書かれるべくして、今このタイミングに書かれたnoteです。
伝わっているかな、これで大丈夫なのかな、と色々不安もありますが、世界にとってよりよい形で生みだせていたら、嬉しいです。
最後に、わたしがセッション間でやってよかったなぁと思ったことをお伝えできればと。セッション時間は一時間なので、もちろん話せることに限りはあります。実際、現実が変わってゆくのはセッション間です。
実際やったことはこんなことがあります。
特によかったなぁと思うのが、対話と執筆です。
セッションとセッションのあいだに、わたしはうーさんの場づくり講座やリトリートを通して、対話を重ねてきました。
この対話から更に気づくことや、未完了を完了させること、そしてやっぱり認知の限界(わたしが見えている世界の限界)を幾度となく知り、他の方の世界に触れることで広がってゆくことで、受容してきたことが沢山あります。
対話のちからって本当に凄いです。コーチングセッションも対話のひとつかもしれないですが、もっともっと日常に、当たり前に対話ができる世界になるといいなと思っています。
執筆は、アドベントカレンダーという、まーとやっている企画です。
年に2回ですが、とことん自分と向き合って、文章にしてゆく、そして、同じ熱量のことばに触れていくこの期間は確かに私に気づきをもたらしてくれました。
12/1スタートなので、よければご覧ください。
ひとそれぞれ、セッション間の過ごし方があると思いますが、ぜひぜひ、対話の機会があればセッション間に参加してみていただきたいことと、私もこれから、そんな世界をつくってゆくひとりとして活動していきたいと思っていますので、これからもご縁をご一緒できたら嬉しいです。
わ!初の10,000文字超え!!!!
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