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ナチスの強制的同一化政策

933年、ヒトラーは政権を掌握すると、Gleichschaltung (日本語では『強制的同一化』と訳されています)というナチスのイデオロギーに則った政策を進めていきました。これは「一つの民族、一つの国、一人の指導者」というスローガンのもと、すべての国民がヒトラーだけを指導者と仰ぎ、統一的に生き、統一的に考える民族共同体となって団結することを目標としたものです。この『民族共同体』は当然ナチスが理想とするものでなくてはなりません。つまり、政治はもちろん、司法、経済、学校、教会、芸術、文学、ジャーナリズム、家庭などすべては「高邁な精神を持つドイツ的なもの」でなくてはならず、「堕落した者」は排除されなくてはなりません。これによって初めて『強制的同一化』が実現するのです。

 その中でもナチス政府がどのように学術界に介入し、『強制的同一化』を果たしていったのか、簡単に説明させてください。

 ヒトラーを始めとするナチス高官たちには学問的な専門知識はほとんどありませんでしたが、彼らの統制政策には知識は必要ではありませんでした。なぜなら彼らにとっての「堕落した者」はユダヤ人、社会主義者、反体制派、リベラリスト、反戦主義者と明白であり、彼らが何を研究していようが、全く興味がなかったからです。

 ヒトラーの首相就任の三カ月後、まず最初に行ったのが法律『職業公務員復権法』の制定であり、これによって上記の「堕落した者」が公職追放となりました。解雇された大学職員は約2割、そのほとんどがユダヤ人でした。当時、ユダヤ人はドイツ全人口のたった0,8%だったのですから、いかに学者にユダヤ人が多かったのかがわかります。

 大学を解雇されたユダヤ人学者たちのなかには物理学者のアルベルト・アインシュタイン、マックス・ボルン、化学者のフリッツ・ハーバー、リヒャルト・ヴィルシュテッター、オットー・マイヤーホフ、哲学者のエトムント・フッサール、テオドール・アドルノ、マルティン・ブーバー、エルンスト・ブロッホ、ハンナ・アーレント、エルンスト・カッシーラー、ヴァルター・ベンヤミン、ヘルベルト・マルクーゼなど20世紀を代表する錚々たる学者たちばかりで、そのほとんどがアメリカ亡命を余儀なくされたのですから、ドイツはこの時代に貴重な知性を失ったことになります。

 その一ヶ月後の1933年5月、全国の22の大学で、ナチス親衛隊、国家社会主義ドイツ学生同盟(ナチス党員の学生版)メンバーの学生たちによる「邪悪な精神の公開処刑」、焚書が行われました。これはユダヤ人、社会主義者、リベラリスト、反戦主義者などナチスのイデオロギーに反する本が公開の場で焼かれる儀式でした。

 焚書を扇動した宣伝大臣ゲッベルスには、れっきとした大義名分がありました。例えばハインリッヒ・ハイネ、カール・マルクス、ジグムント・フロイト、シュテファン・ツヴァイクなどユダヤ人は「崇高なドイツ的精神を持たないくせにドイツ語で嘘ばかり書く極悪人」であり、ドイツ人ではあるけれどナチス政府に批判的であったトーマス・マン、ハインリッヒ・マン、エーリヒ・ケストナーは「退廃的でモラルが欠如」し、反戦小説『西部戦線異状なし』を書いたエーリヒ・マリア・レマルクは「(第一次世界)大戦で戦死した英雄たちを辱めた裏切り者」であり、同性愛者を擁護した性科学者の医師マグヌス・ヒルシュフェルトの著作は「ドイツ民族という崇高な人種を破壊」したのです。焼かれた本は12,400タイトル、著者は149人に及びました。

 焚書から間もなくゲッベルスは帝国会議出版局を設立し、作家、出版社、書店、図書館のメンバー登録を義務化、それによって出版物は常に政府の監視下に置かれました。政府イデオロギーにそぐわない著作活動、販売を行ったものは、著作・販売活動禁止となり、多くの作家は国外に追放されたのです。

 同年11月、焚書の憂き目に遭わなかった純粋アーリア人の多くの学者たちは『国家社会主義革命』を祝う式典に招待され、「ドイツ国民の名誉、自由、正義のために!アドルフ・ヒトラーと共に!」とヒトラーへの忠誠を宣誓しなければなりませんでした。

 翌年にはすべての学校、大学、研究機関、博物館が強制的同一化されることを目標とする『帝国科学・国民教育省』が設立され、『新大学憲法』が制定されました。これによって学術的な自主運営は厳しく制限され、政府は熱心なヒトラー支持者のみを大学学長に任命しました。大哲学者マルティン・ハイデッガーもそのひとりで、フライブルグ大学の学長に就任したハイデッガーは、講義の開始と終了にハイル・ヒトラーの敬礼を教授と学生に義務付けました。

 その一方で、政府は学者たちに莫大な研究費を与え、研究をさせてもいました。それは1935年に親衛隊トップのハインリヒ・ヒムラーが設立したアーネンエルベ(祖先の遺産の意)研究会です。これはアーリア人種の優越性を科学的に証明させることを目標としたもので、考古学、人種学、建築学、哲学、言語学、なんとオカルト科学など52部署を有する巨大な研究機関でした。なかにはユダヤ人の身体的欠陥を証明するために強制収容所の被収容者に対する人体実験も行われ、これを行った医師の多くは戦後も罪を問われることなく、エリート街道を突き進んでいきました。

 このようにしてナチス政府は大学、研究室に対する強制的同一化政策を実施し、大学職員の三分の二がナチス党員となっていったのです。

1933年5月10日、ベルリン大学前のオペラ座広場で、火にくべる本を集める国家社会主義ドイツ学生同盟の学生たち

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