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眠れなかった夏のこと

昨夏、地元の高校が甲子園を勝ち上がっていた。
連日テレビで応援していた私と夫と父は、いてもたってもいられず準々決勝を甲子園まで観に行った。産休中だった私は、思いつきで行動できる日々にはしゃいでもいた。

駐車場を探すのにてまどり、着いたのは3回裏。
外野席は満員御礼で、内野の、いかにも身内席の端っこしか空いていなかったため、そこに3人でちんまりと座った。

客席から見上げる広い空、気持ちの良い浜風、強豪校とは違う少しバラついたブラスバンドの演奏。前の席の男の子が担ぐユーフォニアムはとても重そうで、両親らしき人たちがときどき飲み物を渡しにきては応援を応援していた。

今、あの日のすべてが眩しい。
甲子園が中止になるなんて思ってもみなかった。熱い想いでスタンドを埋め尽くすことも、ハイタッチすることも、マスクなしで会話することもできなくなるなんて。

地元の高校は延長戦を制し、準決勝進出を決めた。
帰り道、相手チームの横を通り過ぎた。泣きながら応援団に頭を下げる彼らがいつかの自分と重なり、拍手を送りながら私は祈った。
「彼らが今夜、ぐっすり眠れますように」


中学3年生の夏、私の所属していたハンドボール部は全国大会出場の切符を手にした。春の全国大会では優勝し、文句なしの優勝候補だった。開催地は沖縄で、チームへの期待と開催地への期待があいまって、応援に来てくれた家族も多かった。サミットが終わったばかりの空港は真新しく、どこかしこで安室ちゃんの『never end』がかかっていた。

1回戦は、さとうきび畑に囲まれた小さな体育館で行われた。初戦の相手は変則的なディフェンスをする九州のチームで、下馬評では私たちの勝利が優勢だった。コートの周りには聞き慣れない方言の横断幕がずらりと並び、鳴り響く南国独特の打楽器を使った応援に少なからず圧倒された。

試合は5点リードで折り返した。
そのまま逃げ切ろうと突入した後半、序盤から連続得点を許してしまった。するとなんと、今まで一度もやったことのないフォーメーションでの守備を監督が指示してきた。なぜそんなことをしたのか今でもわからない。「悪手だと思います」とでも言えれば良かったが、恐怖の独裁おばちゃん監督には、いまあの日に戻っても言えそうにない。

かみ合わないディフェンス。
どんどんめくられる敵のスコアボード。
動かない自分たちのスコアボード。
平らなはずの体育館の床が、じわじわと前へ傾斜していくように感じた。

巻き戻すことのできない20分が過ぎ、私たちは、負けた。

何点差で負けたのか、どんなスコアだったのか全く覚えていない。僅差だったらしいのだが、何度聞いても悲しみがかき消してしまい覚えることができない。

試合終わりのミーティングで、現役最後のミーティングで、監督はこう怒鳴った。

「勝てなかったお前たちが本当に情けない。完全に勝てる試合だった。7点差になったら補欠のアズマを出してやろうと思ったのに、お前らはすこしでもそのことを考えたか!? それに思い至らず、頑張ることもできず負けるなんて、人としてもチームとしても最低だ!!」と。

ハンドボールは1チーム7人で行う競技だ。
私の学年には、私を含め8人の部員がいた。
3年間1度もレギュラーになれなかった同級生、それがアズマだった。

「アズマを試合に出してやりたいと思ったか?」という問いは、ものすごい衝撃だった。考えもしなかった自分に失望した。アズマのことを思って頑張っていたら勝てたかと聞かれたら、それは今でもわからない。でも、考えることができていれば何かは違ったように思う。

私たちは泣きに泣いた。どんなに泣いても涙は枯れず、吐くように泣いた。コートサイドで、体育館の廊下で、帰りのバスで。どこかに冷めた自分もいて、泣いたって何も変わらないよなと思っていた。

泣いても謝っても戻らない時間。
私の40分、アズマの40分。
私の3年間、アズマの3年間。
あの日、私は、想像力の欠如がもたらす最低な現実を知った。

いつまでも泣いてはいられないから、いつの間にか泣き止み、ちゃんと夜が来た。晩ごはんを食べた後も8人は離れがたく、キャプテンの部屋に集まり乾杯をした。自分たち以外には聞こえないようにひっそりと。子供ながらに乾杯は楽しいときやおめでたいときにだけするわけではないと知った。それでも、乾杯のもつ明るさが心地よかった。なにを話したかはさっぱり覚えていないけれど、自販機で買ったジュースのかく汗やデザインをよく覚えている。

テレビで『リング』をやっていたから、貞子にキャーキャー言って、そのまま一緒に寝ようということになった。ツインベットと簡易ベッドが敷き詰められた一室で、テトリスみたいに組み合わさって眠りについた。

リゾートホテルが商売っ気を出して、1つの部屋に4つもベッドを入れてくれていてよかった。テレビで怖い映画がやっていてよかった。じゃなかったら、みんなで寝なかったかもしれないから。

眠ろうと目を閉じると、負けた試合がエンドレスで再生された。目を開けると敗北という現実の重さが全身にのしかかり、試合のない明日がくるのが怖かった。アズマのことを思うと自分を消してしまいたかった。負けたことへの純粋な悔しさや応援してくれた家族や友人への申し訳なさ…浮かんでくるさまざまな全てが耐えがたかった。

意外にも他のメンバーは寝ていた。みんなの寝息に囲まれながら、私は恐怖と戦った。窓の外が白んできたとき、おそれていた明日を迎えたことには違いなかったが心底ホッとした。


あの夏の日が、悔いのないよう思いをくばれと私にささやく。前代未聞づくしの今だけど、いつだって明日は知ることができない。分からないことが楽しくて仕方ない、もうすぐ1歳の娘が先生だ。今夜も無事に彼女を寝かしつけ、ノンアルコールビールの私とビールの夫で小さくグラスを鳴らそう。お疲れさまのきょうと明るいあしたに、乾杯。


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