見出し画像

イングリッド・フジコ・ヘミングさんに捧ぐ言葉【エッセイ #シロクマ文芸部】

 子供の日を前に、自分がどんな子供だったかを思い出してみる。我ながら、起伏の激しい登山道を歩むような半生だった。道を歩く上で、私の伴走者となった存在が、音楽だった。断言できる。音楽が無ければ、今の私はない。

 去る4月21日。私の人生にずっと寄り添ってくれた、大好きなピアニストが、神様のもとに召された。
 
 彼女の名は、イングリッド・フジコ・ヘミングという。

 時を遡り、私と音楽との出会いから、暫し語らせてほしい。

 私が子供だった時。あれは、10歳ころのことだったろうか。教育のためだと思ったのだろう、新聞の折り込み広告か何かで販売されていた、クラシック音楽のCDを、ある日突然、父が大量に(30枚、40枚くらいだったと記憶している)買い与えてくれた。

 確か、初めに、ヴィヴァルディの「冬」を聞いた。ロックのリズムで歌うような、鋭いヴァイオリンの旋律に、鳥肌が立った。退屈凌ぎにとりあえず聞いたCDだったが、どういうわけか、貪るように私はクラシックを聴き漁った。

 バッハ、ヘンデル。
 モーツアルト、ヴェートーヴェン。
 シューベルト、ショパン。
 マーラー、ホルスト。
 チャイコフスキー、ストラヴィンスキー。

 音楽室の壁に飾られた、大作曲家たちの肖像画を見ながら、「ああ、このおじさんたちが書いた曲なんだ」などと、ぼんやりと思っていた。

 ピアノは習っていたものの、楽譜を読むのが極端に苦手だった。特に、テンポ感を掴むのがとても苦しかった。その代わり、音程だけはわかったので、CDで聴いた曲をピアノで再現することに夢中になっていった。ヴェートーヴェンって、いかめしい顔つきをしているのに、こんなにロマンチックな音楽を奏でるなんて、と思っていた。

 中学生の時、とあるテレビ番組を偶然視聴した。イングリッド・フジコ・ヘミングさんが世に出ることとなった、伝説のドキュメンタリー番組だった。

 リストの、ラ・カンパネラだった。ものすごい引力だった。文字通り、周りの音全てが消え失せ、彼女のカンパネラ(鐘)の音だけが、頭の中に朗々と響き渡っていた。

 フジコさんのたった数分間の演奏で、彼女の人生を目の当たりにした。彼女の生きて来た全てが、その鐘の音に表れていた。鐘の音は、誕生を祝福する鐘にも、人生を駆け抜けた果てにある、葬送の鐘にも聴こえた。訳も分からず、私はただ、ぼろぼろと泣いていた。

 当時、フジコさんは既に還暦を過ぎていた。しかし、彼女のピアノが歌う声は、まるで10代の少女のように瑞々しかった。

 自宅のピアノのCの音を、ポーンと鳴らした。

 違う、全然違う。私のピアノの音は死んでいた。
 
——あの節くれだった大きな手から、どうすれば、あんなに心が焦がれるような演奏ができるんだろう。

 フジコさんの音楽との出会いから間もなくして、フジコさんは、音楽の神様に愛された、特別な存在なのだと気が付いた。
 
 そこからは速かった。

 中学生の小遣いなんて、たかが知れているが、それをフルに投下して、フジコさんのCDを買った。

 リストの、ラ・カンパネラ、愛の夢、小鳥に説教する聖アッシジのフランチェスコ。ドビュッシーの、月の光。

 フジコさんの音楽を、澄んだ水を飲むように、毎日聴いた。何度聞いても、胸が熱くなり、涙を堪えた。彼女の音には、色があり、質感があり、光があった。

 2022年に書いた、夏ピリカグランプリ応募作「太陽と月のエチュード」の作中に登場する、リストの「愛の夢」は、愛聴していたフジコさんのCDの演奏をイメージして書いた。その結果、ピリカ賞をもらえたのだから、フジコさんは、今や私の恩人でもある。
 
 フジコさんの「愛の夢」を聴くと、人を愛することは何て素晴らしいのだろうと思える。「夢」だけに、最後は覚めてしまうのだが、たとえ夢でも、覚めた後にしみじみ思い返して、温かい気持ちになることができるのだ。

 フジコさんの演奏は、私の日常となった。辛い時、悲しい時、絶望したとき、いつもフジコさんは私を傍らで励まし、私を肯定し続けてくれた。

「綻びがあったって、下手だっていいじゃない。大事なのはきれいな心よ」

 フジコさんはいつも私にそう言い続けてくれた。

 時は過ぎ、今から約一年前のことだ。2023年5月16日に、フジコさんが札幌に来るということで、チケットを買い求め、コンサートへ向かった。奮発して、S席を買った。

 初めて、本物のフジコさんを見た時、感動で心が震えた。90歳を過ぎてなお、フジコさんの演奏は、やはり少女のように眩しく可憐で、優しく、強かった。

 これは自意識過剰かもしれないけれど、フジコさんと一度、目が合ったように思う。前から2列目だったもの。きっとそうだと信じたい。

 フジコさんは、口の片方の端をひょいっと上げ、微笑んだ。
 生き方を問われるような、強い視線だった。

 あの夜のカンパネラを、ノクターンを、私は一生忘れない。フジコさんの指が鍵盤をとらえ、ピアノが空気を震わせ、私の鼓膜に振動がとどいた。彼女の音楽を体全体で感じた。あの感動を、私は忘れない。

 フジコさんはきっと、神様に特別に愛されていたから、こんなにも長い時間を演奏家として生きて、人々の心を清め、その勤めを果たし終えて、神様のもとに召されたのだと思う。

 フジコさん、溢れるほどの愛をありがとう。
 夢を、希望を、ありがとう。
 あの美しい音色を、ありがとう。
 ずっと私と一緒に歩んでくれて、ありがとう。
 
 うんと寂しくなるけれど、フジコさんの演奏は、私の心の中で、永遠の命を得、これからも北極星のごとく、夜空を照らし続けてくれると、信じている。

 フジコさん、ありがとう。
 フジコさんに恥じないように、一生懸命生きるから。
 フジコさんを想う涙が、最後の最後でまた私の心をきれいにしてくれたから。

 だから。

 大好きな神様のもとで、天国で、美しいピアノを奏で続けてください。

<終>

このエッセイは、小牧幸助さんの下記企画に参加しております。
#シロクマ文芸部
 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。 



 
 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?