「I'm give up working holiday」
1
また同じ夢を見ていた。
私だけが高校を卒業することができず、留年してしまう夢だ。
まだ私だけが教室で勉強をしている。
卒業式を迎えているのになぜ私だけが卒業できないのか。
決して偏差値が高い高校ではなかったが、それでも周りの人よりも勉強はできたはずなのに、なんでこんな夢を見なきゃいけないのだ。
高校は卒業したのに。
随分前だった気がする。
2
2社目の会社を続けることができなかった私はまた無職に戻ってしまった。
元々、失うもののなかった私は会社を続けることの重要性もわからなかったし、上司の叱責に耐えて成長するだけの器量はなかった。
私はこの会社で営業事務の仕事をしていたけど、最後まで一体何をやらされているのか全く理解できなかった。
25歳になって、会社を2社早期離職したことを親に伝えたら高校生じゃないんだからと叱られた。
行き場のなくなった私はとりあえずアルバイトを探すことにした。
3
アルバイトも中々採用してもらうことができず、とにかく時間だけはあった私は本屋へ向かいよく立ち読みをしていた。
そこで海外の景色の本を私ななんとなく手にとって眺めていた。
「綺麗だな〜」
相変わらず能天気な何も考えずに外国へ行ってみたいと思ってしまった。
私は計画を立てるのは非常に苦手だったが、行動力には少し自信があり猪突猛進とは自分のための言葉と思っていた。
猛進した先に待っているのは大抵先の見えない地獄であったことが多かったが。
私はワーキングホリデーについて携帯で調べてみて、近くの相談所に行ってみた。
優しそうなおじいさんがその相談所のオーナーだった。
オーナーが言うにはワーキングホリーデーに行くためには、ピザの発行やホームステイの費用、保険など、諸々で約100万円ほどお金が必要とのことだった。
私は愕然としていた。
しかし今の生活に絶望していた私はとにかく逃亡したい気持ちでいっぱいだった。
4
私は最寄駅の隣の駅の小料理屋でようやくアルバイトの採用を頂いた。
外観の雰囲気がなんとなくオシャレだったのが応募するきっかけだった。
もちろん私に飲食店で働いた経験などはなく、仕事でお金を稼ぐというより、お客さん感覚でアルバイトに応募してしてしまった。
この店のマスターは白髪で恰幅が良かった。
実際雇われ店長だったらしい。
名前は石塚さん。
というよりもこの店は応募した人を全員採用するという方針だった。
その時点でおかしいお店だと思うのが普通の感覚なのかもしれない。
ただ私自身もアルバイトを落ち続けているのでお互い様なのかもしれない。
5
私は小料理屋に出勤した。
17時から23時までのシフトだった。
15分前に仕事場に到着するとロッカールームで黒の上下の制服を着た私。
周りには大量のお酒や食品が置いてあった。
アルバイト先には二人の女性先輩アルバイトがいた。
メイクをバッチリ決めている二人はとても顔が整っているのにも関わらず、どこか違和感があった。
すずかさんとまなさん。
すずかさんは26歳。まなさんは20歳。
すずかさんは姉御派だと言った感じで。
「太このお酒持っていって!!」
と言われて私は必死に走り仕事をしていた。
何が何だかわからなかった。けどすずかさんさんは優しかった。
要領が悪く不器用な私は言われたことをとにかくメモをして家に帰って復習することにしていた。
すずかさんは私が貧乏だったと話すと
「なになに!!それっ、聞かせて!!」
目を輝かせていた。人の不幸話が大好きらしい。
すずかさんは貧乏だったけど、家族の仲はいいと話してくれた。
小料理屋の社長が兄弟で財産の争いをしているのを見て。
「貧乏でよかった〜」
と強がりを言っていた。すずかさんは最近結婚したらしい。
にも関わらず全然、新婚の幸せそうな雰囲気はなく、仕事前や仕事中に一人でタバコを吸っている姿を何度か見かけたけど、どこか悲しそうだった。
まなさんの家族は蒸発しているらしい。
中学校の頃はテニス部で悪かったとよく話していた。
20歳にも関わらず、
「もうおばさん」
と愚痴っていた。
高校には進まないでアルバイトをしながら生活をしてきたらしい。
本当に口が悪く、私はコイツに散々悪口を言われた。
当時の私はコイツを許せなかった。
6
私は17時から24時まで出勤することが多かった。
この日も怒られながらアルバイトに奮闘していた。
やることは山のようにあり、まず出社したら机を拭いて、コースターを準備して、…私は毎日まなさんに怒られていた。
私はなぜこの人がいつもこんなにも怒っているのか全くわからなかった。
最初は仕事ができなかったので本当に申し訳ないと思っていたのだが、繰り返し言われているうちに段々腹が立ってきた。
アルバイトにも関わらず家で復習もして、必死に仕事を覚えようとしているのに、なんだこいつの言葉遣いと思ってしまった。
それでもお金が必要な私は溢れる感情を抑えて仕事を覚えていた。
まなさんは仕事が終わっておらず、お客さんがいるにも関わらず、お酒を飲み始めた。
そしてすずかさんもお酒を飲み始めてしまい、仕事中にお酒を飲むことに私は驚いていた。
しまいには石塚さんもお酒を飲んでいた。
そもそも私はお酒を飲む習慣が全くなかったし、他の居酒屋もラストオーダーが終了して片付けをしているときは現実問題お酒を飲んでいるお店もあるのかもしれない。
しかし頭が悪いのに硬い頭の私は呆然と立ち尽くすしかなかった。
7
こんなにもアルバイトは大変なのに目標の100万円を貯金するためには全くペースが遅かった。
私の目標は一年以内に100万円を貯金することだった。
仕方なく私はもう一つアルバイトを掛け持ちすることにした。
もう一つは小料理屋から歩いて10分ほどの場所にあるショッピングモールの中のパン屋さんだ。
そのアルバイト先も常に欠員をしており応募した人は誰でも採用するという方針だった。
時給も1100円。小料理屋は950円。
パン屋の方が時給が良かった。
パン屋の朝は早い
早い時間からの仕事だったため小料理屋とは時間が被らないことも良かった。
8
このパン屋の店長も石塚さんと同じくらい優しそうだった。
名前は竹村さん。
結婚をしたからだろうか。
しかし周りのアルバイトスタッフは竹村店長の悪口をずっと言っていた。
「人は良いけど頼りないし、指示できない。アルバイトも教育できないからみんな辞めていく」
大抵悪口を言っているのは藤原さんだった。
藤原さんは工場で元々働いていたらしい。
30歳くらいのときにパン屋の専門学校へ行って勉強したらしい。
工場で働いていたときは自分が残業代を誤魔化して多く給料をもらっていたと自慢していた。
現在はここのパン屋の契約社員らしい。
ここのパン屋が給料が他の会社に比べて非常に良いことを意気揚々と語っていた。
この人もまなさん同様に嫌いだった。
私は飯田さんに仕事を教わっていた。
飯田さんはシングルファザーで30歳ごろからパンの修行を始めたらしかった。
パン屋の仕事も業務時間がブラックであることが多かったと昔の話をしてくれた。
私が最初に作ったパンは塩パンだった。
チーズのようなものを生地入れてくるくると巻いた。
やっぱり上手に作れると嬉しかった。
釜に生地を入れてパンを焼く機会なんて人生でそうはない。
私は10歳の頃、二分の一成人式が小学校で行われた。
二分の一成人式ではみんなの前で夢を発表しなくてはいけない機会だった。
私はそのときパン屋になりたいと発表した記憶がある。
パン屋なら売れなくても食べるものには困らないのかななんて考えていた記憶が微かに残っている。
夢は叶った。
一応。
帰り際、藤原さんから宿題を渡された。
パンを作るための原価計算の用紙だった。
私は子供の頃は描いた夢にこんな用紙はもちろんなかった。
9
私はこのパン屋でのアルバイトで働くために始発の電車に乗る必要があった。
夜明け前の星空は綺麗だったが常に憂鬱で仕事前はいつも泣きそうだった。
いつまでこんな生活が続くのか。
先の見えない苦労をしており、英語の勉強のためと教えてもらったボブディアランのライクアローリングを聞いていた。
10
小料理屋とパン屋の掛け持ちのアルバイトを1ヶ月ほど続けて15万程稼げた。
しかしこのペースでは全然貯金することができなかった。
私はできれば1年後にワーキングホリデーに行きたいと思っていた。
今年25歳だったこともあり、貯金するのに2年も3年も費やしていたらワーキングホリーデーが終わった後は30歳を過ぎる計算だった。
とにかく焦っていた。
私はパン屋の休憩中によく小説を読んでいた。
小説を読むと少しだけ心が柔らかくなる。
「俺だってやってやる」
小説を読んだ後に休憩室を出るとき、心の中でつぶやいていた。
11
私は現状のお金の稼ぎ方や時間の使い方、それから人間関係に悩んでいた。
適度に仕事は休んでいて体調は気をつけていたけど、始発の電車に乗ったり、24時まで働くのはさすがにハードだったし家で職場の勉強をするのは苦痛だった。
一体自分が何をしているのかよくわからなかった。
それも小料理屋での接客を私は一生懸命間違えないようにやっているのだけど、お客様からは
「なんか君は暗い、暗いんだよな〜。元気が足りないんだよ」
などと言われ続けて仕事も嫌になってきた。
たかがアルバイトに色んな人から暗いと言われるのが辛かった。
とにかく私は貯金をしてワーホリに行きたかった。
現実逃避から他のアルバイトを探していると治験のアルバイトやイベントスタッフのアルバイトを見つけてしまった。
私は現状のアルバイトを続けるか悩んでいた。
12
小料理屋でアルバイトしているとき建築関係の仕事をしている常連さんが男4人でやってきた。
この人の会社ですずかさんの旦那さんが働いていて実際そのうちの一人だった。
想像していたよりもとても軟弱で声も小さかった。
すずかさんは選んだ相手がこの人なんだと意外に思った。
この小料理屋で出会って結婚したとか聞いてもないのにまなが話していた。
4人のうちの宮崎と呼ばれていた人がその場を仕切っていたのだが、態度がデカくて、歩くのもままならないくらいとても太っていた。
そして私に向かって急に
「酒!!」
と大きな声で注文してきた。
私はよくわからなかったけど、とにかく厨房に戻った。
なんとなくだけど、すずかさんもまなもこの人を嫌っているような怯えているような雰囲気があった。
そしてこいつは私に興味を持ったのかしつこく話しかけてきた。
前の仕事は何をしてたのだの。年齢はいくつだの。なんでここで働いているだの。なんでこいつに答えなきゃいけないのか意味がわからなかった。
「結局、お前の努力が足んねーんだよ」
となぜか毎回言われた。
こんな奴がお得意様なのかと思ってしまった。
てかもっと早く気づくべきだったけど、お酒を飲まなきゃ本音を言えない人や居酒屋で店員に迷惑をかけたり、子供のように喧嘩する人が私は大嫌いだった。
当時の日記には
「お前等、絶対後悔するぞ」
と書かれている。
自分より身分の下の人にデカい顔をして大きな声で笑いって他人に迷惑をかける。
ただ今は這い上がるしかない。
それは自分でも気づいていた。
13
この日はパン屋でのアルバイトだった。
すると外部監査と呼ばれるものがあり品質管理のチェックがあった。
私は聞き耳を立てていると竹村店長がずっと怒られている。
監査員の人たちの意見は一見、社会的に正しいように思われるのだけど彼等の意見を尊重すると10人や20人で働いたり、超長時間労働をするしかない。
実際、汚れの掃除を一緒にしてくれた監査担当の社員も
「今日はこのくらいで後は明日やっておいて」
と竹村店長に投げてしまっていた。
明日以降、監査員の人達がくることもないから掃除もしない。
結局竹村店長がしんどいことをやらされるのだ。
藤原さんが聞いてもいないのに教えてくれたのだが、竹村店長はアルバイトから長年勤めて課長になり、監査を担当する社員の人達は大学を卒業して課長からスタートらしい。
ただ竹村店長は結婚するんだと私に話してくれたときは、心が温まった。
そして外部監査員の人が結婚していないで悩んでいるって聞いたときはスッキリした。
私はこのとき、一刻も早くこの国から逃げ出したいと思った。
14
まなにも相変わらず怒られ続けており、何度も
「バカなんじゃないの!!」
とよくキレられていた。
コイツは遅刻して出勤してくるくせになんでこんなにも態度がでかいのか当時の私はわからなかった。
仕事は早かったけど、性格はクズだと思っていた。
私がコイツに怒られる度にいつも見えないところでベロを出していた。
またパン屋では丁寧に仕事を教えてくれた飯田さんが退職してしまい、藤原さんに仕事を教わるハメになり、ここでも仕事が遅いと怒られていた。
そろそろ潮時な気がしていた。
15
私は治験のアルバイトで10日間ほどベッドでダラダラしているだけで15万程稼げるアルバイトに応募してしまった。
こんな環境でアルバイトをしているのは散々だった。
私はパン屋の竹村店長に退職する旨を伝えると意外にも引き止められた。
優しそうで泣きそうな店長の哀愁漂う表情が私は忘れられない。
どこか自分を一人にしないでくれって訴えている気がした。
それから小料理屋にも退職することを伝えた。
なんで辞めるのか聞かれたので就職が決まりましたと嘘をついた。
石塚さんも
「そっか…」
とため息を漏らしていた。
そこにも優しくて泣きそうな哀愁が漂っていた。
私は気づかなかっただけで実は愛されていたのかもしれない。
まさかな。
16
残り2週間ほどの出勤となり私の気持ちは少しずつ軽くなっていた。
私は退職した旨を伝えると小料理屋のお客さんが一緒に飲もうと言ってくれた。
私が話したのは家族仲が悪く職場で黒子になりなさいと上司に言われた女医や中学生の頃に家族から30万円を渡されてここから出ていけと言われた建築関係の社長だったり、超大手有名企業の社員で2000万円以上の給料ももらっているが家族とは疎遠の人達だった。
私はみんなそれぞれ不幸を背負ってこの小料理屋にやってきているのだと学んだ。
そのとき以前暴言を吐いた宮崎が店にやってきた。
私が退職することを知っていたからか、私の周りに周りの人と仲良くしているのを見たからなのか、前回の勢いはなく曖昧に笑って挨拶してきた。
私はこんばんわと挨拶した。
17
パン屋での仕事の最終日。
一応、藤原さんに帰り際挨拶をしに行った。
「藤原さん。今日までありがとうございました」
「あんたさ、礼儀もできてないし。もっとちゃんとしなよね。まぁ次のところは頑張んなね」
私は挨拶をしなければ良かったと後悔した。
そしてパン屋の店長にも挨拶をした。
「さようなら」
店長はずっと私の目を見ていた。
あの行かないでと訴えているような、怯えたような目が私は中々忘れられなかった。
18
小料理屋での最終日。
すずかさんに挨拶をすると。
「アンタはもっと頑張んないとね。要領悪いんだし」
「僕は頑張るのは嫌いです」
ってポロッと本音を言ってしまった。
すずかさんは困った顔をしていた。
石塚さんに挨拶すると給料袋を渡された。
「少し多めに、入れておいたから」
当時の自分はわからなかったけど、暗い私は元気にしたかったんだと思う。
私はお客さんから暗い暗いと言われ続けた。
それを私は当たり前のように受け取ってしまい、石塚さんも困った顔をしていた。
まなさんには挨拶しなかった。
コイツにだけは絶対挨拶しないと決めていた。
19
私は二つの職場を経験してようやくお金を稼ぐことが大変なんだって気づくことができた。
人が働く理由は生活するためにお金が必要なのだ。
ランニングをしがら街の景色を眺める。
車、木、テニスコート、ビル。
全てお金に変換できてしまうんだな。
同時に言葉にも。
私は約2ヶ月間で33万1344円稼いだ。
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