見出し画像

人は図星だと怒る

人は図星だと反応する。
 

あきらかに落ち着いていない人に、良かれと思い
 

「落ち着こう」
 

と言って
  
 
「落ち着いてるよ!」と、怒られた経験はないだろうか?
 
 
それは結果的に、その図星はつかないほうが良かったということになる。
 
 
人は生きていくなら、必ず人と関わる。
 
 
人と関わることは避けられない。
またそれこそ人なんだ。とも言えるわけで。
 
 
でもだからこそ、人はコミニケーションに悩む。
 
 
今日は、このジャンルの本質についてアウトプットしたい。
 
 
 
人は図星だと反応するから、明らかに正論でも、
 
 
「ここは言わないほうが良い。」
 
 
この選択肢を自分の中で用意できるか?はものすごく大事だと思っている。
 
 
心の奥で、どこか思い当たっていることを
(本人が意識的に認識しているかは別として)
 

他人に指摘されると
怒るわけだから、
 
 
ということは。
逆に図星じゃないことを言われても
人は怒らない。
 
  
 
その証拠に、
 
  
「太っている人」に「デブ」と言ったら
怒るけど、
 
 
「痩せている人」に「デブ」と言っても
そんなには怒らない。だって太ってないから。
 
  
 
もう少し細かくいうと、
 
 
自分で「太っている」と思っている人に
「デブ」と言ったら怒る。

自分で「太っている」と思っていない人に
「デブ」と言っても怒らない
 
 
 
と言う方が正しいだろうか。
 
 
つまり、キムタクに「ブサイク」と言っても、さほどは怒らないだろう。というそういう論理。
  
 
 
この原理でわかることは、
 
 
 
人は、自分で思い当たることを
人に、指摘されると
  
 
反応する。
 
 
そこをうまく乗りこなさないといけない。
 
 
つまり何が言いたいのか?というと、さっきのは極端な例だが、
 
 
 
なんでも正解を言えばいいわけではない。
 
 
 
ということ。正解に気づいても、正解をすぐには言わないほうが、結果いい方向に行く場面というのが存在するのだ。
 
 
「じゃあ、なんでも思ったことをストレートに言わないほうがいいってこと?」っと短絡的に、結論づけた方が楽なんだが、
 
 
 
しかし、言わないわけにはいかない・・・
 
 
それに気づいてもらわないと、後で困るのが目に見えてるケースもあったりするわけで・・・
 
 
 
だからこそ、
時には、遠回りして
ステップを「経由」して
 
 
そーっと、こっちが指摘していることを
本人に気づかれないように
 
 
気づかせてあげるという努力が必要なんだよな。

という自分の学びに対するアウトプットでした。もし読んでくれた方いたら、ありがとうございました。
 
 
※写真は、

今やっている秋のメニュー

・栗パフェ

です。

いただたサポートは、新たにインプットすることにつかいます。そしてそのアウトプットでお返しします。