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チャネリングあれこれ〜千手観音さま

チャネリングを習って、いろんな存在とお話させてもらう度に、びっくりするくらいに、愛をもらえた。

私は小さい頃から、幸せ過ぎるのは居心地よくない、みたいに思っちゃうようなタイプだったし、あるいは年下の男に狂った私をみんな不憫に思ってくれているんだろうか、みたいな思いもあった。

でも天使さまは
『あんたにたくさんの愛が与えられるのは、あんたがそれを感じ取れるからなの。あんたが哀れだから愛が与えられてるわけじゃないのよ、そこは勘違いしないで』って。

みんなが愛をくれるんだよ、私ってそんなに愛が欲しげな顔してる?ってカラスに尋ねた時も
『いいじゃん、もらえるもんはもらっとけば。今までの分だと思って』
って言うから、それもそうね、って私は笑った。


そんなふうに、とにかく、愛をたくさんもらって、光に包まれたり、体がぽかぽかしてきたり、あったかい気持ちに包まれてあったかい涙をたくさん流したり、というのが私のチャネリング体験のほとんどだったのだけれど、この、千手観音さまとのチャネリングでは、ガツンと、叱られたような、初めての体験でした。
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6月19日
瞑想するとすぐに、千手観音さまの顔が一気に大きくなって、私の真正面に。

『お前は私の顔を、目を、きちんと見られるか』

お前はちゃんと正しく美しく生きているか、と問うてくる。

私は泣く。
これまでの、愛に包まれての涙ではなく、宿題をやらずに叱られる子供みたいな涙。

言い訳してるだけ、やらなかっただけだよね、って。

『真実に生きることから、なぜまだ逃げるのか』と問うてくる。

神様は私に何をさせたいのですか?と私は聞き返す。

愛に生きろ、と言う一方で、目の前の家族にも愛を注げと言う。
家族への愛や信頼を取り戻しそうに見せかけて、やっぱり彼を忘れさせない。
彼の幸せを祈るだけなら穏やかなのに、そこでとどめさせてはくれなくて、本当は私は彼とただ一緒にいたいって気付かせる。
心が引き裂かれそうな時も何回もありました、と。

『お前にはそれができるからだ』

『もっともっと自己と対峙して、闇を吐き出すのだ』と。

何のために?と聞くと、地球の闇を救うため、みたいなことを仰る。

『お前が自己と対峙し、血を流すかのような思いをして闇と向き合って昇華すれば、それが同じような闇を持つ者の真実として、指し示す光となる』

『だから、やらねばならん』


金銭的な対価という、目に見える形での光の働きはまだできていない自分へのコンプレックス。

でも私が日々彼を思い、いろんな感情に触れて情けなくも一人で泣いている姿そのものが、私自身だけでなく、誰かの救いにもなっているのかもしれなかった。

年下の男に狂って、みっともなく泣いている50女の涙、ではなく、この涙と心の痛みが、似たような誰かを救っている、あるいはこれから救うのかもしれなかった。

それは小説とかの言葉にも似ているかもしれない。
何年前のものであっても、誰かを救うことがある。
似たような誰かを。


闇と向き合う、とかなくて、ただ愛に包まれて生きたい、とも思う。
『それはお主が本当に望むことではない』

最初にご挨拶と、ここまでこれた感謝をお伝えするように、と先生に言われていたんだった、と思い出す。
『いらん』
『これまで生きてきた己自身に感謝しろ。己自身を敬え。讃えろ』
『お主は、やれる』

6月20日
今日も顔が真正面に。

今日は『私はあなたを愛する』と言ってくださる。

よくしようとする心がけこそが大事だ、と。
その方向性さえ向けば自ずと人生はよくなる、と。

私はひとつ、聞いてもらう。泣き言みたいなこと。
でもそれには甘いことは言ってくれない。
『もっと向き合え』と。
『大きな闇だから』
『その代わり、これを超えた時の光はまた大きいから』


『お前のこれから進む道は険しい』

愛と豊かさ、健康はめぐる。
それとは別の、自分と向き合うという意味での険しさだと仰る。

『だがお前はできる。全てを信ずるように』




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