円の重なり
人がひとつの円だとしたら、関わり合う人とはちょっとずつ重なって、でもそれは、完全に重なることはない。
と私は思ってる。
どんなに仲良しでも、親子でも、夫婦でも。
それをさみしい、って思った時期もあったけど、でもほんの少しでも、重なったことは、ホントはすごいことだ、って。
それが自分の大事にしてる心の深い部分での重なりだった時には、とっても嬉しいことだ、って思う。
自立、っていうのがここしばらく私の中のテーマでもあるのだけれど、精神的自立のことで言えば、一人一人の円、丸がまずあって、それが少しずつ、いろんな丸と重なってる、そういうのが、お互い自立した、健全な、人間関係なのかな、ってイメージしてる。
全然重ならないのは孤独だけれど、あまりに重なり過ぎるというか侵食されるのも、その度合いは人によって違えどやっぱり居心地がよくない。
健全な、心地よい重なりを作り出す。
自分以外の丸と。
それは多分、多いほうがいい。
心地よい重なりの関係を、あちこちに、たくさん持つこと。
それは、生きてくことを、豊かにしてくれる気がする。
人間関係一般、としてはこんなふうに冷静に思えても、でもやっぱり、重なりたい、もっと重なりたい、全部、全部。
体が、とかそういうことじゃなくって、とにかく、心も体も、魂全部がひとつになっていきたい、って思ってしまうような相手が、ツインレイという相手だった。
だから、普通に考えたらムリ、だって全部重なるわけなんかないじゃん。
それでも全部重なりたい気持ちは消えないから、二人の歩みの中、どんな過程でも、どんな関係性であろうと、いつも、どこかは、苦しいのかもしれない。
それでも、バカみたいに、ひとつになりたい、全部重なりたい。
私は、あなたになりたい。
あなたの見るものを私も見たい、あなたの感じるものを私も感じたい。
そんな、思い。
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