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渦に潰れる

 私が小学四年生の秋に隣に引っ越してきたその一家は、何処かこの街にそぐわない雰囲気をたたえたまま挨拶に来た。その家の母親は隠しているのだろうが、言動の端々からこちらを見下しているのが子供の目から見てもまる判りだった。無理矢理身に着けているように見えた数々のブランドと思しきファッションアイテムが、子供心に痛々しさを引き起こさせたのを覚えている。聞く所によると、いや彼女が聞いてもいないのに口を開いたのだが、どうやらその家の旦那さんは有名な大学を出て有名な建設会社に勤めているらしい。この度建てた家も旦那さんの伝手で有名な建築家に依頼したものらしい。その家を私は観察してみた事があるのだが、成程緑あふれるこの街に合わせる気のない都会的なデザインだった。恐らくあの家の母親の意識をそのまま建物として設計したらあのような形になるのだろう、と私は思った。鉄筋コンクリート造の直線的な外形に、モダニズムにかぶれたような曲線的な窓はいかにも私、都会の女なのよ、と言わんばかりであった。デザインの注文はきっとあの母親がしたに違いない。何度かその家の旦那さんと顔を合わせた事があるのだが、いかにも真面目そうな、さほど特徴の見られない人物であった。山手線のターミナル駅、東京でも品川でも渋谷でも新宿でも池袋でもいい、そこに紛れていたらきっと気付かないだろう。それくらい面白味の無さそうな人相をしていた。その家には私と同い年の男の子がいた。小柄で声の小さい色白の男の子だった。一目見て私は彼とは仲良く出来無さそうだという印象を受けた。私の予感は昔から大体当たる。そして今回も大当たりだった。

 隣に引っ越してきた一家を今後はT家と呼ぶことにしよう。T家は、特にT家の母親は本当にこの街に合わせる気の無い人だった。いくらこの街が東京のベッドタウンとはいえ、元々この街に昔から住んでいた家というものは結構残っている。私の家もそういう家だ。因習も町内会も強制しない緩いご近所付き合いで十分成り立つ我が町に、T家の母親は積極的に波風を立ててきた。本人はそういう意識は無かったのだろうが、T家の母親はマウントを取らないとコミュニケーションを取れなかったのだろう。私の母によると彼女の話題はいつも旦那の輝かしい経歴と息子の優秀さばかりだったそうだ。それも関係無いママ友の集まりに首を突っ込んでは一方的にまくし立てていたそうだ。私の母は普段悪口を言わない人なのだが、T家の母親に関してだけは明確に嫌悪感を露にしていた。非難の言葉は無くとも、その苦々しく眉をひそめる表情で私にも母の心情を十分理解出来た。この街の人々は多かれ少なかれ意識的にT家を避けていたように思えた。正直私も隣家でなければ避けたい部類の人々であった。

 T家の息子は私の通っている公立小学校に転校してきた。何の因果か彼とは同じクラスになった。担任からは家が隣同士だからという理由で面倒を見るように頼まれた。実際その方が色々と楽であることは間違いない。仮に私が教師だとしても同じようにするだろう。彼とはうまくやっていけるかは予感通り不安だったが、仕方の無い事だ。名目だけでも果たそう、と私は彼の面倒を見る事にした。大抵転校生というものは囲まれて質問攻めに遭うものだ。T家の息子も案の定そういう目に遭った。だが、彼は私の想像以上に無口でシャイだった。次々繰り出される質問に目を合わせることなく挙動不審でだんまりを決め込んでいたのだ。彼はずっとそんな態度だったものだから、だんだんクラスメイト達はイライラを募らせていったのが見て取れた。このままでは短気な連中が何をしでかすかわからない。手が出てもおかしくないだろう。私は質問会に参加せず本を読んでいたのだが、流石にこれ以上見て見ぬ振りは出来なかった。私を介する事で、何とか彼のか細く短い返答をクラスメイト達に伝える事で質問会は乗り切った。だがこの時点で彼の学校生活でのポジションは決定したといってもいい。確かに彼は学業においては優秀なのだろう。だが公立小学校でその事は大したステータスにはならない。彼の母親が常日頃自慢する様に私立中学を目指していたとしても、子供の世界においては必勝の切り札にはならない。頭脳よりも身体的特技がアピールポイントになりやすい小学校社会において、頭脳面で生き残るには単に優秀であるだけでは意味が無い。それこそ一癖も二癖もあった方が面白い奴として一目置かれるようになる。私は運動が苦手だったが、その分を豊富な知識量とアイデアマンっぷりで乗り切っていた。活躍出来る場面がある、頼れる部分がある、それこそ人が居場所を作るのに必要な要素なのだろうと私は子供ながらに思っていた。ではT家の息子はどうだろうか。彼は無口でシャイでコミュニケーションを取りづらい性格だ。積極性も無く、リアクションも薄い。会話の話題が広がらず、彼のことは何一つわからないままで話が終わる。正直私も彼の事は持て余していた。担任から頼まれていなければ今すぐにでも彼の事を放り出したい位だった。T家の息子はクラス内での扱いは空気同然になった。最初の頃こそ短気な男子連中やミーハーな女子グループが絡んできたものの、彼の余りの無反応っぷりに次第に離れていった。いじっても面白い反応を返さないし、何の話題にも食いついてこない彼に皆飽きたのだろう。担任も彼の状況にやきもきしていた様で、色々と手を回していたそうだが結果は芳しくは無かった。一度担任と彼の事について話したことがあった。何とかして欲しいと担任は言っていたが、私はそれは無理だとしか思えなかった。本人にその気が無ければ改善し様がないし、その気ならもっと積極的になっている筈だ、その気があるなら担任にも相談するだろうと言った。その時の担任の心底から項垂れた表情は今も覚えている。担任は若い女性だったが、恐らく彼女は初めての挫折というものにぶち当たったのかもしれない。結局の所問題解決というものは当事者の意識次第でしかないのだろう。その意味ではT家の息子は意識というものが薄弱であるかのように見えた。強烈な個性や自我が欠けている様だった。更に言えば、彼は別に学業が優秀という訳でもなかった。結局の所T家の息子には、何ら人を引き付ける要素というものは見当たらなかったのだ。

 傍目から見るとT家は普通に幸福な核家族に見える。だが間近でT家の営みを観察していると、全く持ってそうでない事がよく分かった。社会的ステータスに異様に拘る母親、家庭に無関心な父親、人格の薄い息子、あまりにも微妙なバランスで何とか保っているだけにしか見えなかった。ほんの僅かなアクシデントがあるだけで簡単に壊れてしまいそうな家庭だった。時々母親のヒステリックな叫び声が聞こえてくる事があった。その度に私は不快な思いをしたものだった。音に感情が乗っている分、深夜の暴走族より遥かに癇に障った。折角の鉄筋コンクリート造の新築住宅も窓が開いていれば音は漏れ出るものなのだ。他者には完璧を求める癖にT家の母親は、自分が完璧でない事を棚に上げてヒステリーを起こしていて更に不快だった。私はいずれT家は崩壊するな、という予感があった。畑道を散歩しながら堂々とそびえたつ鉄筋コンクリート造のT家が、出来の悪いクッキーみたいに罅割れ、ぼろぼろに崩れ去る光景を妄想したりもした。稲妻みたいな罅がコンクリートの壁面に入る。直方体のコンクリートの角が割れた消しゴムみたいに欠け地面へとずり落ちていく。欠けた面同士を繋ぐ鉄筋がグミみたいにひん曲がり激しい破裂音と共に破断する。パウンドケーキみたいに細かいコンクリート片がぼろぼろと零れ落ちる。赤く錆び付いた鉄筋が露になりストローみたいに潰れてひしゃげる。そうしてT家はぺちゃんこになるのだ。後には何にも残らない。ただただT家の鉄筋コンクリート造が潰れる。私はその幻視がずっと頭から離れなかった。きっとT家はこういう末路をたどるのだろうとずっと思っていた。私の予感は昔から大体当たる。そして形は違えど確かにT家は崩壊したのだ。それは家族という意味でも、建物という意味でもだ。

 切欠はT家の母親がカタツムリを駆除した事だった。私の家は農家なので虫やら動物やらをしょっちゅう目にする。梅雨時ともなればカエルは出てくるし、ナメクジもカタツムリもその辺を這い回っている。庭の一角に植えてあるアジサイの近くにそれらを見つける事が出来るので、風流を感じるのに事欠かない環境ではあった。だが梅雨の生き物であるそれらを毛嫌いする人が多いのは事実だろう。私も触れない、遠巻きに観察するだけだ。梅雨時のある朝、T家の母親の一際甲高い絶叫が聞こえた。塩、塩とT家の母親が叫ぶのが聞こえる。その後明確な殺意の篭った大声が響いてきた。感情のままにカタツムリかナメクジに塩をぶち撒けているのだろう、と我が家は結論付けた。都会の人はいちいち騒がしいねえ、と祖母が呟いた。これが我が家での暴言表現の限界だった。

 その日、私が小学校から帰宅すると祖母と母は明らかに不機嫌そうな表情をしていた。訝しげにしていた私に祖母は家中がここまで酷い空気になっている理由を説明した。何でもT家の母親が袋一杯の塩を買い込んで庭に撒こうとしている所を咎めた所、言い争いに発展したそうだ。祖母と母が怒るのも解る。塩害によってどれだけの人々が苦しんできたのか、当時の私は既に私は知っていたからだ。土壌の塩分濃度が高いと殆どの植物は生育が困難になる。植物が育たなければ動物も生きられない。塩害は土地を殺し、生命バランスを殺し、社会を殺す。冗談でも土地に塩を撒いてはいけない。風に飛ばされ水に溶けた塩が、我が家の土地に侵入しないとも限らない。断固としてT家の母親の行為は止めなければならないので、私も彼女の行為に愕然とし憤懣となった。また後々知った事なのだが塩化ナトリウムの様なイオン化合物は導電率が高いため漏電の原因になったり、塩化物イオンは金属を腐食させてしまう。T家の母親が大量の塩を地面に撒くだけで重大な事故が発生してしまうかもしれない事に私は戦慄した事を覚えている。その日の夜、T家からまたヒステリックな絶叫が聞こえてきた。

 翌日、私が小学校から帰宅すると昨日以上に不機嫌な祖母と母がいた。またT家関連だろうと私は直感を得た。またやらかしたの、と私が祖母と母に問いかけると二人は大きく溜息をついた。どうやらT家の母親は二人の注意も空しく庭に大量の塩を撒いたというのだ。二人は力づくでT家の母親を止めようとしたが、ヒステリックな叫び声を上げながら彼女が棒を振り回してきたそうだ。その時彼女は“どいつもこいつもみんなして!”と叫んでいたそうだ。私は多分昨日旦那さんにも注意されたんじゃないの、と言った。恐らく昨夜のT家の絶叫はそれが原因だろう。私の推理に祖母と母は深く頷いた。少しだけ二人の表情が緩んだ気がした。

 それからのT家は予想外に怒涛の展開が続いて行ったそうだ。私はT家の問題に一切首を突っ込んでいなかったので又聞きになってしまうが、分かる範囲で説明させてもらう。塩の一件から半月後に突然T家の息子が転校するという連絡があった。あまりにも急な話だった。お別れ会すら開かずT家の息子はいつの間にかこの小学校から去っていった。それと同時にT家からヒステリックな叫び声が聞こえてくる事は無くなった。祖母から聞いた話だとどうやらT家の母親が浮気をしていたらしく、親権と慰謝料を旦那に取られて離婚したという。祖母は引っ越し業者と共に家を去っていくT家の旦那と息子を見たという。正直私は余所の家庭の醜聞には興味が無い質だったので話半分で聞き流していた。

 祖母から話を聞いた夜、またもヒステリックな叫び声がT家の方角から響いてきた。だがその声はいつもの荒々しい怒りに満ちた絶叫とは異なっていた。鋭い刃物の様なただただ助けて、助けてと力一杯叫んでいる様だった。怒りというよりも困惑、絶望、そして恐怖が籠っているように聞こえた。いつもの自己中心的な調子ではなく、本当に何かに襲われている様な叫び声だった。私は思わず身震いしていた記憶がある。その絶叫がただ一回、夜の街を引き裂いて以降、T家からヒステリックな叫び声が聞こえる事は無くなった。それどころから物音一つ立たなくなった。

 その日以降、私は悪夢を見るようになった。夢の中で私は宙に浮いていた。というよりも夢の世界を外側から覗き込んでいる様な感覚があった。夢で見ている光景と私の意識は明らかに別の世界にあるという実感があった。夢の中では白い大粒の雨が降り注いでいた。高層ビルが建ち並ぶ都会を、私は上空から白い雨に打たれる事無く見下ろす事が出来た。地面は白い水溜まりしか見えなかった。ゆったりとうねりながら白い水溜まりは流れている。地面からは次々と高層ビルがずんずんと筍みたいに生えてきていた。だが高層ビルが天高くそびえたつ事は無い。白い雨が高層ビルを溶かしているのか、ビルの先端がぼろぼろと崩れ落ち、根元から折れて倒れていく。崩れた高層ビルは音を立てることなく白い水溜まりに飲み込まれ、あっという間に姿を消した。白い水溜まりは想像以上に深いらしい。私はいつもビルが白い水溜まりに飲み込まれていくとき身震いした。身も心も凍えるとはこういく感覚なのだろう。私が身震いすると決まって聞き覚えのあるヒステリックな叫び声が聞こえてくる。その方角にはビルの屋上に必死にしがみ付くT家の母親の姿が見えた。彼女がいるビルはT家をそのまままっすぐ積み上げて伸ばしたようなビルだった。そのT家ビルだけが荒々しい轟音を立てて崩れ落ちていく。T家の母親の絶叫と共に白い水溜まりに落ちていく。白い水溜まりがT家ビルを中心に渦を巻き、何もかも飲み込んでいく。T家の母親は最後に聞いたのと同じ恐ろしい絶叫を白い渦に飲み込まれていく。なぜか私は遠くにいるはずなのにT家の母親の形相がはっきりと見えるのだ! 必死にもがく彼女の表情は醜く強張り恐怖と絶望に染まっていた。T家の母親の姿が完全に白い渦に飲み込まれた時、私はいつもこの白い雨が雨では無いという違和感を感じ慄いてしまう。この白い物は一体何なんだ? そう思ったところで私はいつも目が覚めた。酷い寝汗と激しい動悸の所為で体が怠くなってしまい、私はすっかり体調を崩しかけていた。

 白い雨の夢を見る様になってからしばらくの事だった。その日は休日だった。私は気晴らしに畑道を散歩していた。ニュースでは近々梅雨明けするとの事だったが、未だ空は厚い灰色の雲に覆われていた。T家はしんと静まり返り、一切の生活感や人の気配が感じ取れなかった。そういえば、T家の旦那と息子が家を出てから誰もT家の母親を見ていないそうだ。私は、まさか彼女は家の中で死んでいるんじゃないのだろうかという仮説を浮かべた。私はこっそりとT家と私の家の土地を隔てる塀を乗り越えた。T家の母親が植えたのだろう芝は梅雨時だというのに黄色く枯れていた。きっと大量に撒いた塩の所為だろう。この枯れた芝の様に、T家の母親は自身の軽率な行動で何もかもを台無しにしてしまったのだ。そうして初めて彼女は恐怖したのかもしれないな、と私は思った。四角い鉄筋コンクリート造の家をぐるりと回ってみた。元々生活感の無い外装だったが、今はすっかり廃墟同然の雰囲気をたたえていた。何処か家の中を覗ける場所は無いかと探していた所、玄関の真裏の壁面に、私の握り拳大の穴が開いているのに気付いた。なぜこんな所に穴が開いているのか私にはわからなかったが、ここからなら中の様子を覗けるだろうと思った。不躾な行動かもしれないが、好奇心には逆らえず私は穴を覗いた。

 私はその穴を覗くべきでは無かった! 穴を通してT家の中を窺った瞬間、私の息は詰まり、思い切り仰け反って背後のブロック塀にしたたかに腰をぶつけてしまった。一瞬だけしか見えなかったが、私にはそれで十分だった。T家の中は白い何かで埋め尽くされていた。それこそ、悪夢で見た白い雨に浸かった都市の様に! そして私はあの白い雨の正体をはっきりと理解してしまった! 白い雨は、T家の中を覆う白い物は、全てカタツムリやナメクジだった! カタツムリやナメクジがT家を侵食していたのだ! そういえばカタツムリは殻の成分を得るためにコンクリートを食べる事があると聞いた事がある。まさかとは思うが、カタツムリがコンクリートを食べる事でT家の壁に穴をあけたとでもいうのか!? そんな馬鹿な!?

 夢と現実が入り混じった精神状態になった私は、恐怖にかられ慌てて塀を乗り越えて我が家の畑へと戻っていった。何もかも忘れるかのように私は畑道を走った! ただひたすら走った! 息が切れるまで走った所で私はようやく落ち着くことが出来た。肩で息をしながら、必死で深呼吸をして落ち着きを取り戻そうとした。直後に、何か大きく重い物がぶつかり、落下する音が聞こえてきた。T家の方角からだった。私の両親と祖母が慌てて外に出てきた。私達は急いでT家の方へと向かった。鉄筋コンクリート造のT家は粉々に崩れ落ちていた。誰も何も言えないまま、私達は呆然とT家だった瓦礫を眺めていた。真っ先に我に返った私の父が警察と消防に連絡した。

 その後、警察と消防、救急の総出でT家の捜索が始まった。瓦礫をどかし、誰かいないかを藍色や橙色の制服が所狭しと動き回っていた。瓦礫の撤去作業は数日に渡って行われた。だが、T家の跡地からは誰も見つからなかったそうだ。いたはずのT家の母親についての消息については誰も知らなかった。

 だが、私は撤去作業が終わった夜、全ての答えになり得る悪夢を見た。白い雨、いやカタツムリやナメクジが降りそそぐ街の夢だ。だがその夢はいつもと異なる展開を迎えた。相変わらずT家ビルの屋上にはT家の母親がしがみ付いている。だが崩壊の仕方がいつもと違った。カタツムリやナメクジが床を食い破ってきたのだ。カタツムリやナメクジはT家の母親に纏わり付く。T家の母親は恐怖に満ちた叫び声を上げるが、あっという間にカタツムリやナメクジに飲み込まれてしまった。人型にそびえ立つカタツムリやナメクジがやがて平たく、潮が引くように去っていく。そこには何も残されていなかった。T家の母親がいたという痕跡は何も無かった。そこで私は目が覚めた。それ以降、私はこの夢を見ていない。


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