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#8 東京出身者が僻地配属2年目に思うこと。

どうもいらっしゃいませ。SoRAi です。
生活残業が多くて、せっかく始めたnoteも手つかずになったものです。

早いもので入社二年目を迎えました。
車がすんなり手に入ったこと、運転は苦でないことも相まって案外僻地でも普通に生活できてます。欲深くない性格とインターネットに感謝。
まぁ成長とか仕事における成果は・・・って感じです。転職という選択肢が目の前にちらつく。
もう少し頑張ってみるけど。

「東京在住じゃなくても大丈夫な人間なのかな」と思いかけてた矢先、大学の同期に「君は”実家が東京ある”というバックグラウンドがあるから僻地配属になっても平気なんだよ」と言われてはっとしました。そうなのかな。
僕の地元は東京23区だけどランクは最下層。いわゆる下町。評判はあまりよくない。
23区でオーダーメイド住宅+駐車場付きの好条件とはいえ、「親はなんでこんな場所に家建てたんだ。見栄張りだな」と感じていた。はやく出たくて仕方なかった。実際今も郷土愛なんてない。
でも心の何処かで見えない安心感をもらっていたのかもしれない。狙ってたかは不明だが家を建てた後、周辺の交通網の整備が進み公示地価は上昇。社会人となった今認めたくないけど「悪い買い物はしていない」

都内のカーストはあるものの、やはり「東京出身」の肩書は強い。
僻地に配属になって俗に言う「地方出身者」と働くことになっているけど、彼らは東京出身という肩書に対して驚くほど敏感である。
当の本人は「勝手に妬まれてもねぇ」って感じだけど。

地方に住むとやはり日本は村社会というか族気質なんだなと身をもって痛感している。
地元を愛する彼らの視野は狭い。広げようともしない。意思があったり、何かしらの要因で視野を広げた人間は進学や仕事で既に地元を捨てているのが現実。
結局残った人間のする事と言ったら他人の噂話やゴシップ。そこに「地元に貢献しよう」とか地方創生につながる気運は存在しない。
諦めに近い何かを感じる。

地方で育った両親が常々「地元に根付かないで、外の世界に身を置け」といって区外に進学させてくれたり、海外に行く資金を援助してくれた。
結局日本国内で完結する仕事に就いたけど、若い頃に半ば強引に外の世界を見に行く経験や機会は必要だと感じている。親に感謝している。

視野が狭まっている事は自分では気づけない。
何かしら機会を作って外に見に行かなければ。

大学の研究交流で派遣されたタイにて。
人も飯もとにかく良かった。
現地学生に「なんで夜まで研究するんだ。明日があるだろ」と言われ連れて行かれた屋台街。


ではまた。




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