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#3 W杯を観て思い出すこと #独身中流×葛藤

どうも。いらっしゃいませ。
SoRAiです。
 カタールW杯が開幕しましたね。サッカーには全く縁が無い自分でも日本戦ともなればやっぱり観てしまうのはなぜだろう。

 学生の自分にとって「サッカー部」という存在は苦手な存在だった。なにかと周りからチヤホヤされ、エースともなれば学年の人気者。担任教員はそうゆう存在にクラスをまとめるポジション(学級委員や合唱コンクールの指揮者)を任せたがるし、運動会・体育祭ではたちまちヒーロー・・・
 学校やクラスといった狭い世界がこの世の全てのように感じていた当時の自分は「頭が良い」「生活態度が良い」よりも「サッカーが上手い」というだけで異性からの人気も、通信簿の実績欄も全て満たしていく彼らの存在に理不尽すら感じたものである。増してテレビで観る日本代表選手なんて「人間社会における上澄み液だけを味わってきた勝ち組集団」なんだろうとテレビ越しに思っており、良い印象を持っていない時期があった。今思うとこの時期に感じた劣等感で自分の斜に構えた性格は形成されたのかもしれない。

 上記のようなサッカーへの偏見は長い期間キャプテンを努めた長谷部選手や、今大会も出場している長友選手の書籍を読んだり、かつての同級生が今でも社会人リーグやなでしこリーグで厳しい環境の中働きながら頑張っているのを聞いて少しづつ認識が変わりつつあるが・・・。
 二十歳を超えたあたりから、日本代表の試合の見方が少し変わった気がする。今や自分より年下の選手も主力として出場している。彼らが背負う国旗の重さ・プレッシャーは相当なものだと思う。あれだけ競技人口が多いスポーツなのだから才能だけでのし上がってきた選手はごく稀で少数だろう。早くから海外に拠点を置き厳しい競争の中でサッカーをしている彼らをどうゆう感情で観ればいいのかわからなくなる時がある。

 先日W杯初戦のドイツ戦を観た。体格も技術でも相手に一歩劣る状況。挙げ句相手選手に煽られながらも、ゴール前で小さな体をねじ込んでボールを運び、素人でも知ってるドイツGKノイアー選手を出し抜いてゴールを決める映像には思わずテレビに向かって声を上げた。痛快だった。世間はジャイアントキリングに大騒ぎ。
 今日コスタリカ戦を観た。注目度も高い中まさかの格下に敗戦。思わずため息。あたかも「自分が監督や選手だったら勝利に導ける」と言い出しそうな止まらないネットの批判コメント。良くも悪くもこれが「日本のサッカー」なんだと思う。

色々な声があると思う。あっていいと思う。

ではまた。


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