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名もなき夜に【#夜行バスに乗って】

帰る、ということは
帰る場所がそこにあるということだ。

帰る場所には待っている人がいる。
それで初めてそこがホームとなる。


僕の帰る場所と呼べるところは、
もうどこにもない。



東京の部屋はただそこに居を構えているだけで、帰る場所という言葉には値しない。僕の帰る場所はずっと、生まれた時から住んでいたあの家しかなかった。




だけど、父を追うように安らかに空へ還った母の葬式を終え、実家を処分して荷物を整理し終えると、そこはもはやただ仕切りで区切られた空間でしかなかった。

夕暮れを飲み込んでいく部屋たちは音もなく、冷たい空気を包含していく。僕たちの思い出はどこへ消えたのか。僕たちは両親の温もりにどれだけ守られて生きてきたのだろうか。


僕は兄の家の六畳半の和室で、微笑ましく並ぶ父母の遺影に手を合わせると、その足で新宿行きの夜行バスに飛び乗った。



新幹線ならすぐに帰れる。

だけど、ゆっくり帰りたかった。


まだそこには思い出が至るところに散りばめられていて、それを拾い集めながら帰らなければ僕は僕としてここに立っていることなどできず、東京のあの部屋への帰り道さえ見失ったしまいそうで。


高速をひたすらに走るバスの窓に、
ぽつぽつと街灯が映り、流れては消えていく。


追い抜いていく車のライトはどこへ急いでいるのだろう。どんなに急いだって、すべてを掴めるわけなんてないのに。



目を閉じると、広い実家にひとり暮らしていた母の小さな背中がそこにあった。

歩けばきしむような廊下を、毎日決まったように丁寧に雑巾で拭き取る、母の日課。1人分の質素なご飯を作って食べる静かな茶の間。どうして今まで僕は、こんなささいな想像力さえなかったのだろう。



いや、知っていたはずだ。

都会の慌ただしい時間の中にいて、ずっと置き去りにしていたものたち。今になって喉の奥から永遠に湧き上がる蛆虫のように蠢いて離れようとしない。母と血が繋がっていない、と知っても変わらず愛してくれていたはずなのに、僕は逃げるようにあの家を離れたのだ。


バスが立ち寄ったサービスエリアで降りる。
暗闇に光る自販機で水を買った。



ちょうど同じバスから降りた、フードを被った男性も同じように水を買う。彼は少し離れたところで、煙草を吸いながらぼんやりと空を見ていた。

そこにいるのに、いないような存在感。彼も同じなのかもしれない。置き去りにした何かに囚われたまま、いっそこのまま夜に溶けてしまえたら..

僕は彼の少し後ろを辿るよう歩きながら、バスに戻った。


彼が座った脇を通り過ぎようとしたとき、

ゴトッ。

やたら重いものが落ちた音がして、僕の足にぶつかった。反射的に拾おうとして、

「触らないでっ..!」

声が思いがけず女の子のもので、僕は思わず動きを止めた。彼、いや彼女は落ちたものを急いで拾うと大事そうにバッグに入れて膝に抱えた。


あれは…

拳銃..?


彼女の不安そうな目がみるみる潤みを帯びていき、怯えるように僕を見上げていたので、僕は何も見てなかったかのように軽くおじぎをすると席へ戻った。


斜め前に座る彼女は、フードを被りマスクを付けて気配を潜め、まるで自分は息などしていないのだというかのように微動だにしない。


もし、あれが本物だとしても。

怯えた彼女の目を思い出す。
誰かに銃口を向けるようには到底見えなかった。


そういえば..

ふと思い出して自分のカバンの中を探り、錆びついた銀色の四角い缶を取り出す。いつか母と兄と庭に埋めたタイムカプセルを、今朝思い出して掘り出してきたのだ。


なかなか開ける気になれず持ち歩いたままになっていた缶から、ガラガラと何かが転がる音がする。きっとビー玉とかそんなものだろう。しかし母が何を入れたのかは聞いたことがなかった。


缶に手をかけると、すんなりと開いた。思った通りビー玉やお菓子のシールなどくだらないもので埋め尽くされている。だけど今の僕にとってもそれは、キラキラと輝く宝物のようだった。

一番下に見覚えのない白い封筒が入っている。

開けてみると、一枚の家族写真と手紙が入っていた。

写真にはまだ幼い僕ら兄弟と、髪をまだ黒々とさせている父母が笑顔で写っている。


ーいつか離れ離れになっても、どんな時も、どこにいても、お母さんはあなたたちを応援しています。大好きよ。


こっそり書いたのだろう。
走り書きのように短いその手紙が視界に馴染んでいく。

その言葉こそが今僕が最も欲していたものだと初めて気づく。そしてもう永遠に返事を返すことができないのだ。

僕は手紙を缶に入れてカバンに入れると、カバンごとぎゅっと胸に抱いた。まるでそれがないと眠りにつくことができない幼子のように。


あの女の子もそうなのだろうか。

ふとななめ前の、体を丸めて眠っているらしき彼女にちらっと視線を向けた。

ほんの数時間だけ空間を共にした僕らは、他人のまますれ違う。ただ同じ気持ちを共有しているようなそのひとときが、僕を僕でいさせてくれるように思えた。

心地良い揺れが規則正しく人々を揺らし、生温い空気に世界線が曖昧になっていくのを感じるのは、眠気のせいなのだろうか。窓の外で何かが揺らめいたように見えた。



6時、新宿バスターミナル着。

欠伸をしながら朝日が降り注ぐドアを降りると、それぞれが言葉なく別々の方向へ歩いていく。

雑踏の中で感じる孤独感を、今は感じない。
僕だけが一人なのではなく、それぞれがまた一人なのだ。たとえ隣に誰かがいたとしても。たくさんの人とすれ違いながら、ほかの誰でもない僕という存在を噛み締める。


カバンの中から、ビー玉が缶の壁に転がってはぶつかる音が微かに聞こえた。

決して越えられない壁の中でぶつかっては離れていくビー玉のように、僕らはこの小さな世界でひとつひとつが夜に輝く名もなき星なのだと、今は見えない彼らに想いを馳せながら、僕はサンドイッチとコーヒーを買いにコンビニに向かった。




豆島さん、はじめまして。
よろしくお願いします(。 •ω•)。´_ _))ペコリ



※なかなかnote徘徊できてませんが
空き時間にお仕事しているだけなので
ご心配なく(`・ω・´)ゞ

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