見出し画像

2002年からの武術エッセイ

どんな理由があって、この世にうまれてきたのか?
そんなこと知りませんよね。
生きていたいから生きている。
幸せになりたいから生きている。

もっと、かんたんに言えば、生まれてきたから生きているんです。
そしてじぶんが幸せになりたいから、楽しいことうれしいこと、いっぱい味わいたいから生きているんです。

生まれてきて、最初っから地球の平和をまもるために生まれてきた!なんて言う奴、あたまおかしいんじゃないの?っておもっちゃうよね。

自分がなぜ、生まれてきたかなんて、そんなことだれも知らないよね。
知ってるほうがおかしいと思う。
いや、両親が愛し合って生まれてきた、そんなことわかってる。
でも、なんで自分でなきゃいけなかったの?ってことしょ?
だれもわからない、わからないのが普通だよね。

でも、自分がやりたいことをやって、もちろん、世間と折り合いをつけてうまくやっていくとさ、なんかそれだけで、結果として自分の存在価値ってでてくると思う。
そんなの、天命を知ったとか、自分はこれをするために生まれてきたんだなんて、そんなご立派なこと、棺おけに片足つっこんでからじゃなきゃ言えないよね。

武術をやってることだってそうだよ。
いや、もちろん、わたしだっていろいろ考えたよ。
武術こそは優れた文化で、後世に残さなきゃいけない。
わたしがそれを後世に伝えるんだ。
その役割をはたすために生まれてきたんだ。

武術がスポーツ化してしまい、本物が廃れてきている。
なんとか、もっと自分が世間にPRして武術をもっと盛り上げよう。
武術こそは人類の英知だ。
この素晴らしさ良さをもっとしってもらって、青少年の教育にも役立てよう!
そのためにわたしは武術をやるのだ。
そのために生まれてきたのだ!
・・・・なんていきがっていた。

でも、そんなことを声を大にして言えば言うほど、理屈を並べれば並べるほど、それって、ほんとは違うよね、って気持ちが大きくなってきた。
むりして武術の存在価値を見つけようとしている。
なんか、無理してる。
理屈を並べて、それを強引にみんなに押し付けて、どうだ!すごいだろう!なんて言ってみても、ただただ虚しいだけだ。

そんなんじゃない!
断じてそんなのは嘘だ!
屁理屈だ!
まやかしだ!
じぶんの生き方さえ蜃気楼のようにしてしまいかねない。

やりたいから、やっているだけだ。
おもしろいし、楽しいからやっているだけだ。
それを見て、他人がどうこう言おうが、誉めようがけなそうが関係ない。
あっ、おもしろそうだな、って思ったらやってみればいい。
人生の勉強になります、なるほどな~なんて感心する奴はすればいい。
生きる支えになります、なんてのもありだし、つよくなりてえからやるんだ!なんてのもありだ。

でも、いづれにしても、わたしには関係ない。
武術から何を得るかは、本人だけのこと。
人によって違って当然なんだ。
わたしがこれを学びなさいなんて押し付けることじゃない。

わたしが言えるのは、これっていいとおもうんだけどどうかなあ?くらいです。
あっ、それっていいじゃん!おれもやってみようかな、なんて思ったらやってみればいいし、やってみたけどつまんねえの!なんて思えばやめればいい。

そんなこんなで、わたしが武術をやってるのをみて、なんかそのひとに影響を与えることが出来れば、それがわたしの天命をはたしてるってことなんじゃないのかな。

サムライ精神だの、伝統文化だの、言えば言うほど虚しくなるのはわたしだけじゃないと思う。

2005年7月記す。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?