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【ショートエッセイ】人が何かに夢中になると・・・

毎朝、ジョギングをしていた時があった。
今は全く走っていないが・・・。

朝4時45分起き。
夏は暑いけど外は明るくて走るには問題ない。

冬は心が折れそうになる。
走り出して身体が温まるまでは極寒だ。
走り出したら汗ばんできて、服を脱がなければならない。
汗だくだから、信号で止まった時に寒さをまた感じる。
何より真っ暗な中で走ること自体が気が重い。

5年近く走り続けただろうか。
今のぼくがあの頃のぼくを思うとよく続けていたなぁ、と思う。

続けられた理由は一つ。
辛いことより、じわじわと減っていくタイムへの喜びの方が遥かに大きかったから。

"それが辛いことに耐えた報酬だ"、とか大それたことは言わない。
目標に向かって走り続けていたら、辛いことが気にならなくなっていた、というのが本音だ。

人が本気で何かに夢中になると、こういうことになるんだろうな。
それならオリンピックに出場する選手たちは、とてつもなく大きな目標を夢中で追い続ける。
それでも辛さを感じていないのだろうか。

確かにぼくの辛さとは次元が違う。
目標を達成するために、自分の体を痛めつけて、それで辛いとか言ってられなくて、そうしているうちに辛いことに麻痺してしまって・・・。

それでも遥か遠くにある目標に、手が届かないこともある。
麻痺した身体をさらに痛めつける。

チャンスは限られている。
目標に届くまで身体を痛め続ける。
麻痺しているから、それでも辛いと思えない。
想像を絶する世界だ。
ぼくの趣味程度の目標とは比べ物にならない。

でもそんな感覚でなければ、普通の人間にはとても耐えられない。

そう思うと、たかだかジョギングをしていただけのぼくの"辛さ"なんて、取るに足らない。

夢中になれば人はどこまでも強くなれる。
辛さを忘れて。
だから夢中とは"夢の中"って言うのだろうか。



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