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【連載小説】小五郎は逃げない 第29話

【15秒でストーリー解説】

「逃げの小五郎」と称された幕末の英雄・桂小五郎は、本当にそうだったのか。

 背戸幕府の転覆を企てる最重要人物・桂小五郎を捉えるべく、新選組は執拗な捜索を続けていた。

 行方不明だった桂の生存を知った新選組は、桂をおびき出すために桂の恋人・幾松と桂の仲間を処刑すると京の町中に触れ回った。桂と岡田以蔵は坂本龍馬の協力を得て、幾松奪還作戦の準備を進める。

幾松処刑まで残された時間はない。桂と以蔵は幾松奪還作戦を決行することができるのか。そして幾松の奪還に成功することができるのか。

愛する人たちのために・・・、桂小五郎は決して逃げない。

木刀の束 4/4

「まぁ、あり得んことではないな。わしらのやるべきことは桂を捕まえることだ。それが公儀のためであり、引いては日本の秩序を守ることになる。そのためには手段を選んでおれん。あいつを捕まえて晒し者にすれば、長州のような、たかが外様がきれいごとを押し並べて幕府に盾突いたところで、自分たちが無力であることを思い知るだろうよ」
 近藤は桂を拘束した後、幕府側に身柄を引き渡す。幕府側は桂を盾にして、長州に完全撤退を要求する。そうなってしまえば、多くの者が処刑され、最悪の場合は藩が取り壊されるかもしれない。明日の一戦は、幾松を奪い返すという小さな戦いでは済まされない。負けて自分が捕まってしまえば、長州だけでなく日本の行く末にまで影響が及んでしまう、桂はそう思わざるを得なかった。
 
「ところで、女の首はどこで撥ねます」
 沖田が話題を変えた。
「土手からなるべく離れた場所にしろ。まぁ、ないとは思うが、ここで襲撃された場合、土手から遠ければ、女のところまでたどり着く距離も長くなる。その間におれたちの隊士を何十人と切り倒さなければならない。いくら剣豪とは言え、それは無理だろうよ」
 土方の計画は、幾松の処刑寸前まで抜かりがない。しかし、このことは桂たちにとっては好都合だった。
「桂が襲撃しに来たら女だけがいて、やつの同士がいないと知ったら、その時初めて騙されたことに気付くのでしょうけど、桂に卑怯者って思われるのは、武士として少し気が引けますね」
 
 近藤と土方の前で、このような発言ができるのは、子供の頃からの付き合いが長い沖田だけであろう。他の隊士であれば、下手をすれば有無を言わさず叩き斬られているところである。しかし、桂たちにとって、また好都合な話だった。人質をだしに使って、敵を罠にはめようとするなど、武士として恥をしれ、と桂は思ったが、拷問の末に手負いとなった仲間がいないのであれば、幾松救出後の逃走がやりやすくなる。
「総司、さっきも言ったろう。公儀のためには、手段は選んでおれん。やつらにしても、わしらに隠れてこそこそ密談を繰り返し、池田屋では町民を巻き込んで京の町を焼き払う算段をしておったのじゃ。やつらも同じ穴の狢ってことよ」
 近藤が言った。沖田と違って、近藤には微塵の迷いもない。新選組とて、明確な政治的思想を持ち合わせていないと言う点においては、岡田以蔵と何ら変わらない。明確な理念もなく、命を賭けて人を斬り続けることなど、余程の狂信者でなければ、成せる業ではない。彼らを狂信的な所業に向かわせる原動力となるものが、近藤と土方の揺るがない意志の固さなのだった。
 
「ちぃ、ふざけるなぁ、おまえらと同じにするな」
 桂は心の中でそう叫んだ。自分たちは、日本の将来を担って戦っている。自分たちは外国の脅威から日本を守ろうと真に願っているだけで、戦うことなどだれも望んではいない。それなのに、何の思想も持たず、幕府側に言われるままに殺戮を繰り返し、志しある若者が、これからの日本を正しい道へと進めようとしているだけなのに、それを無残にも惨殺して屍を曝し続けてきたのは、一体だれなのだ。おまえらさえいなければ、死んでいった有能の人材と共に、新しい日本を作り上げることができたのに・・・。そう思うと桂の心の中に抑えようのない怒りが、ふつふつと沸き上がってきた。
「今、斬り込めば、新選組の首領をまとめて根絶やしにできる。刀さえあれば・・・」
 
 数年前に近藤と剣術の対外試合を行い、完勝した記憶が桂の脳裏に蘇ってきた。この少人数であれば、勝てるかもしれない、彼らの背後から忍び寄って、隊士の一人から刀さえ奪うことができれば戦うことができる。新選組の首領を叩けば、新選組自体が崩壊する。そうすれば、明日の勝てる見込みが極めて小さい戦いを回避することができる。こんな汚い手を使うやつらに自分が負けるはずがない、一か八かやるか、桂がゆっくりと腰を上げようとした。しかし、何かに引っ張られて動くことができなかった。振り返って見ると、寅之助が桂の着物の裾に噛みついて、桂が進もうとした逆の方向に引っ張っていたのである。声を出せない桂は、寅之助を振り解こうとするが、背後にいる寅之助に手が届かない。桂が動いたことで、一瞬葦が揺れた。近藤がそれに気付いたようだが、運よくその時風が吹いて難を逃れることができた。
 もう一度、尻を地面に落とした桂は、以蔵の言ったことをふと思い出した。暗殺剣のことである。確かに近藤に剣術の試合で勝ったことはあるが、それは数年前のことだった。それから近藤だけでなく、土方も、沖田も何十人という武士と戦い、人を斬り続けてきた。彼らは人を斬り殺す鍛錬を何年も積み続けてきたのである。桂が極めてきた剣は、技を競うものであり、決して人を殺すためのものではない。暗殺剣の世界とは程遠い、次元の異なる真の武道というものを極めてきたのである。人を殺戮するための剣と、己の鍛錬を追求するための剣が相まみえれば、勝敗の行方は目に見えている。恐らく、今斬り込んだとしても、勝ち目はない。以蔵から身をもってそう教えられたことを思い出した。桂はすでに自分の弟分となった寅之助の頭を、何度となく撫でてやった。その時には、寅之助は桂の着物から顎を外していた。
 
「そろそろ引き上げるかのぉ。桂小五郎、そこにいるのはわかっておる。百戦錬磨のわしらが、人の気配に気が付かんとでも思っておったか」
 近藤が桂のいる場所まで聞こえるように、大声で言った。桂は自分の心臓の鼓動が高鳴るのがわかった。
「まだ、隠れておるのか。やはりおまえは逃げの小五郎じゃのお。まあ、出て来んのならそれでいい」
 近藤が桂の焦燥を煽った。桂は寅之助の思いを振り切って、彼らの前に飛び出そうかと思った。しかし思い止まった。近藤は人の気配を感じ取ったと言ったが、それが桂のものだと確信している保証はどこにもない。ここに本物の乞食が寝そべっていたとしても、近藤は同じことを言ったのではないか、桂はそう考えた。
 
「おまえがここにいると言うことは、明日処刑される女を助け出すためか。違うのか。まぁ、どっちでもいい。今ここでわしらに斬られるか、明日斬られるか、どちらかになるだけことじゃ。しかし、これほど言ってもわしらの前に出て来んか。『逃げの小五郎』とは、世間のやつらもうまいこと言ったもんじゃ」
 近藤の高笑いが聞こえたが、桂はじっとしたまま耐えた。今、丸腰のまま出て行って捕まるようなことになれば、以蔵や龍馬の苦労が水の泡となる。それに幾松の命も保証されるわけではない。
「引き上げるぞ」
 近藤ははゆっくりと、土手の方に向かって歩き出した。土方や沖田たちが、その後に続いて歩き出した。
「本当に桂があの茂みの中にいるんですか。なぜ捕まえないんです」
 沖田は刀の柄をつかんだまま、怪訝そうに言った。今にも振り向いて、葦の茂みに向かって走り出しそうな様子だった。
 
「こんな所でわしらの姿を見て、こそこそ隠れるやつに、他のだれがいる。あれは桂だ。しかしなぁ、こんな人気のない、だれも見ていない場所であいつを捕まえたところで、世間も幕府の連中もだれも気にも留めない。新選組の名を世間に轟かせるためには、京の町中で、攘夷派の筆頭、しかも日本でも有数の剣豪を相手に、新選組が一歩も引き下がらず、派手に戦ってあいつを捕まえるっていう筋書きが必要なんだよ。あいつも武士なら、あそこまで言われて引か下がるはずもあるまい。あいつは明日必ず現れる」
 近藤の代わりに土方が答えた。
「なるほど、それであいつを泳がせたわけですか」
 沖田が感心しながら答えた。そして、新選組の一団は、そのまま土手の向こう側に姿を消した。
 その場に残された桂の心境は複雑だった。まさか自分が新選組の売名に利用されようとしているとは、夢にも思っていなかった。新選組は全勢力をあげて自分を捕まえに来る。自分が捕まえられ、新選組の知名度が上がり、巨大組織へと発展すれば、それこそ攘夷派が京で活動することが困難になる。この戦いは、女一人のための戦いではないことを、桂は再認識しなければならなかった。

<続く……>

<前回のお話はこちら>

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