「はぁ?」に対する考察

先に言っておくがこれは別に我が「はぁ?」と言われてそれがなぜ言われたものかを長々書き連ねるものではない。

我はnoteを開く時は大抵好きな物について話す時だ。

もう一度先に言っておくが別に我は「はぁ?」と言われるのが好きなんじゃない、今日は演劇の話をしよう。

我は魔界から来た、魔界にはスマートフォンなんざそう多くはない、ついでに映写機もフィルムもない、映像は貴様らが思い描く通りの映像記録結晶でやりとりが成される為特に開発する理由がない。


さてそんな魔界の第一の娯楽が何かと言うと、これは演劇になる。
我が魔界を立ってもう1年になるが我が立つ前には炎の剣士の演目が大層流行っていた。
内容はこうだ、我の国マルクホルテは真祖の吸血鬼より炎の力を受け継ぐ吸血鬼が代々治めている、その中の街に生を受けた平々凡々な人間の青年はある日突然地中深くより目覚めし古代の魔に襲われるんだ。そして自分の先祖に吸血鬼がいた事を知る、炎の力が目覚め一旦は撃退する。
そうして生まれ出でし炎の剣士が活躍するというのがあらすじだ。
人間界で言うところの仮面ライダーだ、炎の剣士グッズはちびっ子に大人気。

話が逸れたな、そういう感じで我も多分に漏れず演劇が好きだ。
人間界に来ても時々朗読の音声なんか聴いたり行ける時には観劇に行ったりする。
最近は時間もないのでオーディオブックなどをお供に眠ってしまうことも多いがな、ははは。
そうしてつい先程聴いていた劇があるんだが、その中に発せられた「はぁ?」というセリフがあまりにも素晴らしかったので、それについていくつか話そう。
安心するといい、我は貴様の時間を貰うからには多少なりとも益のある話をする。

その場面というのは冬の日に仲違いをした者の片方が頓珍漢な事を言ってそれに対する「はぁ?」であったので特別変わった場面という訳でもない、どんな劇やひょっとしたら日常にもあるような平凡な「はぁ?」だ。
今回話したいのはその演技だ、アクセントから息の抜き方から完璧だった、我は雷に打たれたようだった。

演技の善し悪しは好みが大きいところだと考えている、陳腐というのはシンプルでわかりやすいと言うふうに捉えられるし、演劇らしいよく通る発声は大仰とも捉えられる。
我もこの「はぁ?」に対する考察が高尚なものだとは思わん、貴様らのうちの何人かが時折やるように言葉に出し、整理し、より味わう為であり、共有する為であり、身とするただそれだけの為だ。

本題に行こうか、その「はぁ?」が何故素晴らしいのか。
我は感嘆の言葉は演ずる場合あまり後をひかんのが佳いと考えている、我自身は何かに感嘆する時心の赴くままに後味たっぷりのをよく出しているがな、ははは。
その「はぁ?」は喉の上の方で響いていて末尾がスパッと切れる小気味よい発声だった、息は混ざっておらず純粋な声で、音量は喋り始めからすぐにピークを迎え、加減速のグラフのようにスーッと落ちていく。
基礎がしっかりしているのがよく分かる、おそらくそう何度もリテイクしちゃいないだろう。エンジニアが丁寧に調節したSEのようであった、実に格好が良い。

我は声が初期からだいぶ変わっている。
これは感覚的な話だが喉の上の方で鳴るミーンという音が声に乗っていると格好が良いという我の解釈に無意識に寄っていったのではないかと思っている。

その思う格好の良い音に極限に近い発声だった、最初からその者は息を抜く演技が素晴らしく上手いと思っていたが、そこで確信が出来た。

素晴らしいアウトプットは沢山のインプットからだ。
そう出ない場合も儘有るが、少なくとも我はそう信じている。

また我は1つインプット出来た、何かを学ぶにおいて師があるのとないのとでは大違いだ。
学ぶの語源は真似ぶ、真似ることが第一歩となる。

我はただでさえ魅力的だがまだ足りん。
人間は飽きやすいからな、貴様の人生をなるべく長くエモーショナルにしてやる為にはもっと多彩でいて素晴らしいものでありたい。
今回の経験は必ずや我のゆく道に生きてくれるはずだ。

ますます美しくなる我を楽しみにしていてくれ、はっはっは。