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家事・育児系

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家事や育児のTIPSを書いています。
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父になった日

まず、わたしはモテるような人間ではありませんでした。 今の妻を除いて、そんな恋愛関係になるようなシチュエーションがほとんど経験していません。 つまり、妻との出会いが奇跡だったと今では思っています。 そんなわたしでも、父になれて、子供を育てるという事を経験できました。 ✅初めての妊娠ある日、妻から告げられました。 妊娠したかもと。 その時の気持ちは、世の中にはそんなシーンを味わった人は沢山いるだろうし、ドラマでも見るなぐらいのちょっと遠い世界でした。 けれど、今目

親になっても個人として楽しむ

わたしは、過去にワンオペ育児、フルタイムで仕事、PTA役員を同時にやっていた過酷な時期がありました。 ワンオペ育児になったのは妻が単身赴任でいなかったからでしたが、一人でこなすという貴重な体験ができたので今では感謝しています。 どうして、こんな過酷な状況の乗り越えられたのか、自分的に分析してみました。 ✅重要:自分の時間いくら親になったからと言って、自分のパーソナリティが急激に変わるわけではなく、家事、育児にどうしても疲弊してしまうことがあります。 そんな時、心を保っ

備えが大事

備えというと、災害に備えて、防災袋を作るとか、そういうのを思い浮かべるかもしれません。 でも、もっと頻繁に起こって、しかもこの現象にも備えが必要だという事を意識している人は少ないかもしれません。 けれど、わたしが実際に子育てをしてみて、よく体験したのが、自分の体調不良や、家族の体調不良です。 ✅体調不良に備える普段、あなたが家庭を回しているとすると、自分のやり方っていうもので、家庭が回っているハズです。 診察券がどこあって、洗濯をするサイクル、食料の買い出しのサイクル

胃袋の記憶

母の思い出というと、いろいろありますよね。 でも、その1つのジャンルの中に、必ず入ってくるのが、母が作ってくれた料理の事だったりします。 そんなわたしの胃袋の記憶、そしてそれをどうわたしが受け継いだのかを考えてみます。 ✅母が料理をするまでうちは元々大農家の家柄で、父の代までは、住み込みのお手伝いさんがいるほどだったと聞いています。 母の姉妹である叔母たちに聞くと、うちに嫁入りすることはあまり好ましく思ってなかったそうです。 けれど、わたしの想像では、母は父と恋をし

親の背中ってなんだろう?

昨日、わたしと近い年齢の女性の方とZoomでお話する機械を得ました。 境遇もわたしと似ていて、原家族に問題があった方でした。 そのお話を聞いて、わたしの体験を重ねると親の背中って何かな?って考えたくなりました。 ✅完ぺきな親が苦しいわたしの親は、ある意味では完ぺきな親でした。 父親は名のある地主の長男としてうまれ、父の代までは家に住み込みのお手伝いさんがいるほど。 母親も優しく、キレイな人でした。 けれど、その完ぺきさを保つ為には今では想像出来るのですが、かなりの

仕事とプライベートのバランス

これはわたしの場合であって全ての人に当てはまる訳ではありません。 過去、ワンオペ育児をするのに当たって注意してきた事を思い出しながら書いてみます。 当時のわたしは、妻の単身赴任で、小学二年生の娘、保育園年中の息子を一人で見る生活でした。 ✅仕事妻の単身赴任がきまってから、すぐに上司にわたしが家事を担う事になったこと、ほぼ定時で帰らなくては行けない事を説明しました。 けれど仕事には支障がでない様に、今まで何となくやっていた作業を全て見直し、効率的に終わらせる様に仕組み化

もちろん違うけど、辿る道は近い

わたしの子供たちは、もうかなり大きくなって、上の子は既に21歳になっていて、下の子でさえ17歳になっています。 そうやって彼らの生き方を見ていると、確かに時代が違うし、わたしの子供の頃とは全然生活スタイルは違ってはいます。 けれど、何となくですが、生きている感覚は親子で似てるもんだなぁって、二人の子供達を見て思っています。 ✅持論:【自分】と言うものは中学時代に確立するわたしの人生を振り返っても、基本の考え方、生き方の方向性は中学時代に作られると実感しています。 これ

料理をするようになって驚いた事

結婚して、妻の仕事が忙しかったので、少しずつ家事をするようになっていきました。 新婚当初はアパートに二人暮らしをして、会社とアパートが近かったわたしは、夕食の食材のお買い物を担当していました。 この頃は、まだ料理をするまではいかなくて、お買い物して、妻の帰りを待つぐらいの人でした。 ✅妻の転職、子供が生まれてからこの時期になると妻も夜勤がある仕事に変わり、しかも長女も生まれていたから、育児も始まっていました。 この頃から、妻が夜勤の時は、ワンオペ育児をするようになって

ゆでたまごの茹で方

実はわたしはゆでたまごが大好きなんです。 子供の頃は、ばあちゃんに茹でてもらったゆでたまごを食べておやつ代わりにしていました。 そのうち大きくなってくると自分でゆでたまごを作る様になっていきました。 ✅か、殻が剥けないだと……!自分でゆでたまごを作ってみると、意外とめちゃくちゃ難しい事がわかりました。 特に黄身の固め方がなかなか思い通りに行かなくて、かた茹でにしたいときに黄身が半熟になったり。 一番困ったのが殻がうまく剥けない事でした。 あれって、後で分かる事です

育児をする理由

わたしは、恵まれた事に、この年代にしては珍しく、育児にフルコミットした十数年間を送る事ができました。 なので、わたしが、奮闘していた姿をわたしの子供達も見ているだろうし、現にいまでも、子供達といつでも会話ができる関係になれています。 でも、自分が子供の頃だと、男性は育児にまったく参加せずに終わってしまう事が多かったので、そのギャップを考えて見たいと思います。 ✅人生の基礎まず、そもそも育児って何かなって考えた時、その子の人生の基礎を作って行く作業なんだなぁって思います。

鍋の季節裏事情

わたしも以前から主夫業を頑張っていた時には、冬になるとかなりの鍋率になっていました。 鍋の何がいいかというと、材料を切って鍋のスープの素で、煮るだけで、夕飯が成立してしまう事。 最近ではしめのバリエーションも多彩になってきているので、ちょっとしたごちそう感も出るところも主夫からすると魅力です。 ✅妻は始め鍋批判的立場だったわたしが主夫をしていて妻が単身赴任時代には、土日に妻が帰って来るのがいつものルーティンでした。 なので、土日は、わたしの料理を妻に振る舞っていました

息子が長崎に行った1週間

コロナの影響で、高校2年生の息子の修学旅行がどうなるのか、春の時点ではまったく決まっていませんでした。 けれど奇跡的に、コロナの波も収まって、世間の雰囲気も旅行しても良い様な感じになってくれたので、息子が修学旅行に行くことができました。 本当にありがたく感じました。 ✅初飛行機!本来なら、家族で旅行に行けるといいんですが、家の事情でなかなか遠出ができない状況が続いていました。 だから、息子だけ、飛行機に乗ったことが無かったんですよね。 飛行機に乗れるんだ!って息子か

立派な親にならなくていい理由

わたしの親は立派過ぎたのかもしれません。 確かに、父親は晩年はアルコールに飲まれてしまいましたが、逆を言えば、私達が食べるのに困らず、生活になんの心配もないぐらい稼いでいました。 母も母で、一族の本家の長男の家に嫁いできて、親戚たちと上手くやっていました。 けれど、そうやって、親が立派過ぎると子供であるわたしには、ものすごいプレッシャーが襲いかかって来たのです。 ✅子供は親を見ている自分が子供時代を振り返っても、自分の子供たちを見ていても、やっぱり思うのは、子供は親を

目玉焼き変遷

わたしが少年の頃は、親が仕事で家にいなくて、大抵ばあちゃんにいろいろ面倒を見てもらっていました。 けれど、ばあちゃんも畑仕事をメインにしているので、結局家にはほとんどいませんでした。 子供の頃の食欲旺盛な私達兄弟は、おやつが無いといつしか自分で作る様になっていきました。 ✅目玉焼き作り始め子供の頃はできる料理が限られていました。 インスタント麺か、マルシンハンバーグを焼くぐらいだったと記憶しています。 その中の一つにあったのが、玉子料理。 卵焼き、スクランブルエッ