『反応しない練習』を読んで:宗教は意外と合理的だった
こんにちは、けんにぃです。
今日は『反応しない練習』という書籍を読んだ感想についてまとめようと思います。
あらすじ
この本は「心の反応」について、ブッダの教えに基づいて解説した内容になっています。他人の言動に反応して、つい怒ってしまったり負けた気がして不安だという苛まれに悩む人って多いと思います。私もその一人です。
そんな「心の反応」がどんな仕組みで起こるのかをこの本は解説してくれています。相手の言葉にいちいち反応するのはやめましょう、という話は上司などからよく聞かされましたが、この本はまずどういう仕組みで心は反応してしまうのかを知りましょう、という切り口から入っています。
「心の反応」の正体
他人の言動に反応したり、勝ち負けにこだわってしまうのは、周りに認められたいという承認欲求から来るものであるといいます。
承認欲求は持つべきではないと巷では言われていますが、この本ではそれ自体を否定することはなく、それを原動力として自分のやりたいことに集中しましょうと説明しています。
他人に認められること自体が目的化すると良くないのですが、承認欲求を原動力として自分のやりたいことに集中できるなら、むしろ健全だということです。「心の反応」をやめるのではなく、上手に向き合えというところが結構現実的で腹落ちした部分です。
反応しないことは無視することではない
ところで、相手の言動にいちいち反応するのはやめましょうというと、分かりあえない人の発言は無視しましょうと解釈されがちです。でもこの本の主張はそういうことではなく、相手の発言が正しいのかどうかを判断するようなコミュニケーションをやめましょうと説明されています。
判断をすることが執着につながり、それが争い事につながるというのはよくあることですね。この辺はコミュニケーションを取る上では気をつけておきたいところです。
ちなみに嫌な相手とは距離を置くのも一つの選択肢であると本には書かれています。無視って実は意図的な反応であり、執着している意思表示のような気がするので、無視と距離を置くのはちょっとしたニュアンスの違いがありそうですね。
コントロールできることに集中する
反応しない、という考え方を別の視点で捉えると、コントロールできないことは考えるのをやめるということだとも言えると思います。
他人の言動はコントロールできないので、それと真っ向から対立すべきではなく、相手の心情に向き合うとか、気づきを与える言葉を投げかけるとか自分ができることに集中しましょうということです。しかし、だからといって相手が変わることを期待してはいけないので、その場合は距離を置いたらいいのかなと思います。
険悪なムードになっても何事もなかったかのように平然と会話する人とかいますけど、そういう人を見ると反応しないことこそ真の勝利みたいに感じることがあります。
宗教のイメージ
自分は宗教には疎くて、この本を読むまでは宗教って精神論や理想論が色濃いのかなと思っていたのですが、全然違いました。「心の反応」をする仕組みを合理的に説明してくれていて、まるで心理学の本を読まされているような気持ちになちました。これが大昔から語り継がれてきたんだから、昔の人ってすごいなぁ。そして人の本質は今も昔も変わっていないんだなぁ(しみじみ)
アドラー心理学でも自分と他人の課題を分離しようって言われてますけど、課題の分離ができてない状態って「心の反応」の正体そのものだと思うんですよね。宗教も心理学も割りと伝えたいことは同じなんだろうなと思います。
まとめ
自分を客観視できるいい本だと思います。マインドフルネス的な記述もあったので、ちょっとマインドフルネスもやってみたくなる本でした。
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