見出し画像

【part7】やらかしとボケは紙一重。

クラッシャー森逸崎もりいざき

それは私の、飲食店アルバイト時代の不名誉すぎる通り名である。

私が出勤するたびに皿やビールグラスを割ったり、新店舗オープンのために仕入れた茶碗を、同僚のスタッフから「森逸崎、絶対に割るなよ。これはフリじゃないからな、ガチだからな」と注意を受けた3秒後に箱ごと落として16個全部をお釈迦にしたことだったり、あらゆる実績によって「クラッシャー森逸崎」は名付けられた。

もちろん反省するのだけど、何しろ私はその「やらかし」の種類、というか手法が豊富なのだ。

そんなだから私の中で「何かを割る、落とす、壊す、失くす」みたいなことに対しては、ある種感覚が麻痺している節がどこかある。


@ツレのワンルーム

ツレと付き合うようになってからもそれは相変わらずだった。いくつかの案件を記載する。

case1.  食器棚から取ろうとして取り皿を落とす
案件の要因:視野の狭さ。取りたい皿の手前にある皿が見えておらず、奥の皿をそのままスライドして引っ張り出した。
破損レベル:★★★☆☆
ツレの発言:「大丈夫か?ケガするからそっち行ってな。」
ツレの感情:心配

case2.  振り向きざまに机の上のシャンパングラスにエルボーを食らわせて床に叩きつける
案件の要因:自分の可動域と机との距離に対しての認識不足。
破損レベル:★★★★★
ツレの発言:「おお、、盛大にやったな。雑巾持ってきて。」
ツレの感情:驚き

case3.  エスプレッソマシーンの部品を生ゴミと一緒に捨てる
案件の要因:食器洗い中に生ゴミ入れにホールインワンしたのを見落としていた。ちなみにこのエスプレッソマシーンはツレのお気に入りで、大事に大事に使われているモノ。
紛失レベル:★★★★★(後でツレが見つけてくれた)
ツレの発言:「、、どういうことなんだろう。ねえ、どうしたらそうなるの?普通気づくよね?」
ツレの感情:シンプルな疑問と、静かな怒り

case4.  食器洗い時、流しの中でマグカップを当ててバカラのロックグラスに大きいヒビを入れる
案件の要因:不注意。泡がついたマグカップを滑り落とし、見事グラスにヒット。
破損レベル:★★★☆☆
ツレの発言:「、、、もう、何もしちゃだめだ。君はうちの部屋の台所出禁。立ち入り禁止だな。」
ツレの感情:呆れ

もちろんこれはあくまで代表的な例でしかなくて、他に細かいのも入れると、ツレへの被害は実に多岐に渡る。

ひとことで言うと「そそっかしい」のだけど、普段そんなに慌てて何かをしている訳ではない。至極心穏やかなときでも、その事象は発生してしまう。

そしてこちとらこの二十数年幾ばく、それを治す努力をしては失敗してきた人間である。毎度のことは「あーやっちまった(笑)」と笑い飛ばして、最早「その状況を受け入れ、楽しむフェーズ」にシフトしているのだ。 

だからcase3や4あたりでツレが静かに怒りを表した時は、久しぶりにこれが「悪いこと」なのだということを思い出した。

  「ごめんねポンコツで」と自分を容認する私に対して、最初こそツレは「その自分を許すな」「一生治らないぞ」と叱咤していたのだけど、その後も私は、HDMI変換器をソファと壁の隙間に挟んだまま「失くした」と騒いだり、コーヒーを注ぐ時に思いっきりこぼしてツレのスマホを液体まみれにしたり、着替えて袖に腕を通した瞬間思いっきりツレの頬を殴ったりもした。

そしてとうとう、先日私がベッドから降りた瞬間に、布団乾燥機のフタに足を当て蝶番を壊したときにはもう、それはわかりやすい諦めだった。
「海さんはさ、さすがだよね。」

ツレよ、ようこそ「ポンコツを受け入れざるを得ない」世界へ。


笑い飛ばしてやれ

ツレにとっては普段、出かける時の段取りも含めて全て、「自分の思い通りに動かす」ということが何より気持ちが良いようだった。

だから私がそんなポンコツぶりを発揮し、かつ「なっちまったもんはしょうがない、なるようになるさ」スタンスで段取りを狂わせてきたことは、さぞストレスだったに違いない。

だからと言っては何だが、私は、ツレが電車を乗り間違えたり、運転中に道を間違えたり、部屋の中で失くしものをすることがあったとしても、何も思わない。

そもそも私からしたらそんなもの「やらかし」のうちにも入らないし、「まあそんな時もあるよね」という感じなのだが、ツレは最初、「この案内標識おかしいやろ」とか「わかりにくいナビだな」とか結構弁明じみたことを言っていた。本人なりに、多少なりショックなのかもしれない。

「珍しいよね、間違えるの。」
私が声をかけると、少し間を置いてから、ツレは言う。
「海さんと一緒にいるようになってから、ポンコツが感染うつったんだよなあ。」
「おーい勘弁してくれよ。人はそれを、他責と呼ぶんだぜ。」
私はアメリカのコメディアンばりのジェスチャーをするのだけど、隣で笑うツレからは少しだけ、本当に少しだけ、真面目な空気を感じた。

.
ふと想像してみる。

もし仮にこの先、ツレがボケてしまったとしても、私は今みたいに「そういうこともあるよね」で終わらせられるだろうか。それが本当に認知機能に影響があるゆえの事象だったとしても、今みたいに、「なっちまったもんはしょうがない」と笑い飛ばせるだろうか。

んなもん、その時になってみないとわからない。でも、願わくば、ボケてる側もボケられる側も、笑い合って受け入れる毎日でいたい。

「多分さ、私、あなたがボケてしまったとしても気づかないと思うんだよね。むしろ、私の方が多くやらかし続けると思うんだよね。」 
だから、と続けて言う。
「安心してボケていいよ。」

ああ、我ながらなんて、意味がわからない。

するとツレはいつものひょうきんな声で、優しく言ってくれた。
「そうだな、そんときは2人揃って、ボケ倒そう。」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?