りん【元強迫性障害/不登校経験者→今伝えたいこと】

重度の強迫性障害、不登校時代を乗り越え、地域の小さな塾で一般入試の大学受験をして、そこ…

りん【元強迫性障害/不登校経験者→今伝えたいこと】

重度の強迫性障害、不登校時代を乗り越え、地域の小さな塾で一般入試の大学受験をして、そこら辺にいるふつうの大人になった話。 ⭐︎週2日ペースで投稿中! ⭐︎少しでも良いなと思っていただけたら、ぜひ「フォロー」「いいね」「コメント」でお知らせください!

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サクッと簡単に、自己紹介

私は都内のそこら辺にいる24歳です。 そんな私ですが、 高校時代まではずっと暗闇の中をさまよってきました。 ・小学四年の時、強迫性障害を発症 ・小学六年の卒業間近に強迫性障害を再発 ・中学校に入学して間も無く不登校になる ・定時制の高校になんとか進学 ・高校入学後に一般での大学受験を目指す ・中学校の勉強をいちから紐解いていく ・ひたすら机に向かう高校三年間 ・第一志望のところでは無かったが、自分なりに納得のできる大学へ進学 様々なハードルがありましたが、、、 こうして

    • 「ネガティブ」か?「ポジティブ」か?それはあなたのせい?

      いきなりですが、 あなたは自分が「ネガティブ」だと思いますか? それとも、 「ポジティブ」だと思いますか? 実はそうした 「ネガティブ」や「ポジティブ」というのにも、 「環境」が大きく関わっているというお話を 今日は軽くしてみたいと思います。 まず前提として、 そもそも人間というのは、 基本「ネガティブ」になりがちなんです。 なぜなら、 色々なことを心配したり、 不安になることが出来ていなければ、 人間の種としての繁栄が ここまで出来ていなかったからです。 やりで

      • 「気にし過ぎ」「考え過ぎ」って良くないことなの?

        友達や親に相談をした時、 胸の内を打ち明けた時、 「それって気にし過ぎじゃない?」 「え〜考え過ぎだよ〜。」 そのように言われてしまったことは、 ありませんか? そういう風に言われてしまうと、 落ち込んでしまうんですよね。 おそらくその相手は、 あなたの「気にし過ぎ」だったり、 「考え過ぎ」な核の部分を見せられている という訳ですから、 親しかったり、信頼している相手だったり するかもしれません。 そんな人からの言葉なら尚更、 重みもあって、 心に残りやすかった

        • 「強迫性障害」ってなに?

          俳優の佐藤二朗さんが公表したことにより、昨今メディアなどでも取り上げられ始めている「強迫性障害」。 徐々に世の中にも「強迫性障害」という言葉が浸透され始めている部分もあるかと思います。 しかしながら、まだまだ認知度は低く、その実態もいまいち掴みづらいところもあるかと思ったので、そもそも「強迫性障害とは一体どういうものなのか?」一般的に言われていることについて、元当事者である「りん」の視点も交えつつ、出来る限り分かりやすく説明していきたいと思います。 強迫性障害について既に知っ

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          「何が幸せで、何が不幸せかなんて、最後まで分からない。」

          これは、私が好きな「人間万事塞翁が馬」ということわざの一節です。 念のため、辞書的な意味を確認してみると、以下の通りになります。 『一見不運に思えたことが幸運につながったり、その逆だったりすることこたとえ。 幸運か不運かは容易に判断しがたい、ということ。』【参考:故事成語を知る辞典】 「ふむふむ、なるほど」と言ったところかと思うのですが、個人的にはこのことわざの元になっているエピソードがとても面白かったので、ぜひご紹介させてください! ▷ 【エピソード】 「塞翁が馬」

          「何が幸せで、何が不幸せかなんて、最後まで分からない。」

          「“みんな”に合わせられなかった私」

          “みんな”とか“大多数”とか。 多分きっとほとんどの人が そこから外れたくない。 願って、自ら外れていく人なんて なかなかいないだろう。 “みんな”の中にいれば安心だし、 “みんな”と違う“あなた”として、 後ろ指を指されずに済むのだから。 でも中学の頃の私には、 それがどうにも出来なかった。 私だって、 “みんな”と同じが良かったのに… ▷ 例えば学校。 中学校までは義務教育だから、 「学校へ行く」というのが一般的だろう。 だから私も学校へ行きたかった。

          「りん」の方向性

          いつも「りん」の記事をご覧いただき、ありがとうございます。 ありがたいことに、ちょっとずつではございますが、見てくださる方も増えてきたので、ここで一旦私がどんなことを大切にしながら、どんな想いで日々記事を書いているかについて、お伝え出来たらいいなと思います。 私の創作活動の軸のようなものになるので、ぜひ「りん」の記事を一度でも見てくださった方は、この機会にぜひ覗いていってくださると嬉しいです☺︎ それではいきます! ①あくまでも「希望」的であること 私のこれまでの経験

          「病名」が「病気」にさせてしまう、ということもある。

          「病名」があることによって、 私たちはその「病気」について知り、 そんな自分自身を受け止めて、 どのようにすればより良くなっていけるか 考えることが出来るようになると思うのです。 これは私たちにとって、 とても役に立つことだと思うのです。 しかし、 全てが全てそうだと言えるでしょうか? 長年、強迫性障害という「病名」と向き合い、 乗り越えていくまで、 同時に「病名」があることに対する 違和感のようなものも感じるようになったので、 今回はそれについて、 お話させて

          「病名」が「病気」にさせてしまう、ということもある。

          「続けて叶える」ということ。

          「自分もいつかこんなふうになりたい」 そんな未来を 思い描くこともありますよね。 例えば私には、 「強迫性障害を治して“普通”の生活がしたい」 という想いが長年ありました。 そう願って、 すぐにそんな未来が目の前に現れてくれたら 話は早いのですが、 “そうも簡単に上手くいってくれない” というのが人生の厳しさ とでも言えるのかもしれません。 とはいえ私たちは、 その理想に向かって、 少しでも近づいていけるように、 今の自分ができることをやる。 このように自分

          ③「障害」という言葉を自分のために活かすには?

          一旦、本シリーズも今回が最後となりました。 そのため、最後はこれまでのシリーズを踏まえた上で、もし「障害」という言葉を与えられたら、実際にどのようにそれを自分のために活かしていくか?について私なりに考えてみたいと思います。 ※初めてこちらの記事をご覧になる方は、ぜひ①から順にお読みいただくのがおすすめです☺︎ →①https://note.com/rin_990206/n/nc2232a51d83f →②https://note.com/rin_990206/n/n0d6f

          ③「障害」という言葉を自分のために活かすには?

          ②海外では「障害」はどんな感じ?

          ※初めてこちらの記事をご覧になる方は、ぜひ①から順にお読みいただくのがおすすめです☺︎ →https://note.com/rin_990206/n/nc2232a51d83f 本編では、海外では「障害」という言葉はどのように捉えられ、またどのようなイメージが持たれているのかについて、簡単に見ていきたいと思います。 それでは早速、本題に入りますね! ①「障害」はどんなふうに表現されているの? まずは、英語での「障害」に関する表現についてみてみたいと思います。 その表現

          ①「障害」「普通」ってなに?-基本のおさらい-

          今、このページを開いてくれたあなたは、「障害」や「普通」という言葉を聞いて、どんなイメージが最初に頭の中に浮かびますか? 例えば、  「障害」については… 「少数派」 「大変でちょっとかわいそう」 「なんかちょっと暗そう」 「普通」については… 「多数派」 「健康そう」 「幸せそうな人たち」 このように、人によって様々なイメージが思い浮かぶと思うのですが、この記事ではそもそも「普通」や「障害」って何だろう?というところから、できる限り分かりやすく紐解いていきたいと思

          ①「障害」「普通」ってなに?-基本のおさらい-

          強迫性障害だった頃の私-それを支える周りの人たち-

          強迫性障害だった頃の自分を振り返った時、 一番初めに思い出すのは、 その時辛かった自分自身のことですが、 そこに必ずセットに付いてくるのは、 私のことを懸命に支えてくれた周りの人たちの存在です。 今の私があるのも、 そうした方々の支えがあってこそ。 一度たりとも、 その人たちの存在を忘れたことはありません。 一番私のことを身近に支えてくれた存在は、 家族でした。 中でも私の強迫性障害が良くなっていくように、 一番動いてくれたのは母でした。 強迫性障害の症状が一番

          強迫性障害だった頃の私-それを支える周りの人たち-

          「環境の安全は心の安全に繋がる」

          これは私の最近の気づきです。 というのもですね、 既にご存知の方もいらっしゃると思うのですが、 私つい最近、 コロナにかかってしまっていたんです。 そんな中、 家庭内はどんどんピリピリしていきました。 (何なら現在進行形です🫣) 症状も辛いけど、 家庭内がピリピリしてる。 せっかく症状が良くなってきてるのに、 家庭内がピリピリしている。 「家庭内でのピリピリ」 家の中でコロナに罹った人間がいるとなれば、 周りの人も気が気でなくなる。 そうなってしまうのも、 仕

          コロナになってました

          これで実はかかるのも3度目なのです。 いや〜完全に今回は不意を突かれましたね。笑 至って地味〜に生活していたものですから、 まさかまさかです。笑 コロナになって一番辛いのは、 結局は「人」なんですよね。 けれど今回は割と、 人の温かさの方に 目を向けられている自分になっていたので、 我ながら成長できてるなぁ〜なんて、 感じている次第です。笑 人は危険に直面すると、 その時にどのような振る舞いをするか、 痛いほどその人の本質が見えてしまいます。 家族で住んでても

          自分を責め過ぎてしまう、そこの優しいあなたへ。

          何かに失敗しちゃったとき。 それを周りから怒られちゃったとき。 そんな全ての出来事に落ち込んじゃうとき。 あると思うんです。生きていると。 もちろん私にだってあります。 けれどそんなときこそ、 大切にしたいことがあるんです。 それは、 “あなただけは決して、 あなた自身を一人ぼっちにしない” ということです。 何かに失敗しちゃったら、 すごく落ち込んじゃうし、 それを周りに咎められたら、 さらに自分を責めちゃうと思うんです。 あなたが人一倍、 真面目で責任感

          自分を責め過ぎてしまう、そこの優しいあなたへ。