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連れ去りと共同親権と 本当のクズと

最近伊丹十三監督の「たんぽぽ」というラーメンに纏わる映画を久しぶりに見た。
子供のころは、ヤクザの情婦役の黒田福美さんの裸で興奮して100回以上も見た。
青年時代になるとふわとろオムレツを割って食べる「たんぽぽオムライス」を作れたらカッコイイと思い、たいめいけんの作る半熟オムライスを見よう見まねで作れるようになるため、100回以上見ている。




そして改めて中年になった僕は妻と見た。
主人公たんぽぽ役の宮本信子と共にダブル主演で出演している山崎努。役名はゴローさん。焼肉をたんぽぽと食べている際に、連れ去り別居を語り、寂しさを背負い生きている男の生き様を語るシーンがあった。

僕は思った。

「多くの人は映画のようにカッコよく連れ去り別居を受け入れられるほど人間は出来ていないのだ」

この作品は1985年に作られた映画だ。
養育費問題も面会交流費もないのだ。

  僕の男友だちは連れ去り別居をされ、養育費を払う条件で月に一回子どもと会うために払い続けた。原因は特にない。強いて言えば友だち側に器量がなかった。それだけである。そんなある日友だちの元嫁さんは、妊娠と共に再婚をした。再婚をした際に「養育費はいらないから子ども共二度と会わせない」と勝手に決めた。
1年後、第2子が種違いで産まれ元嫁さんは離婚をして友だちに電話をかけた。
養育費はまた貰う、子どもと会わせる。
元の関係に戻ると友だちに伝えた。

子どもは、癇癪を起こすようになり、学校で友達をぶん殴りまくる子どもへと成長した。

誰が悪いか明確には分からない。
しかし子の立場を想像すれば新しいお父さんに追い出される程の母に少なからずとも憤りを感じてもおかしくない状況なのではないだろうか。親を経験したり、離婚してたらい回しになった事のある人であればある程度共感出来るのではないだろうか。

  時は遡り1858年。開国を迫られた幕府は日米修好通商条約を結び、多くの国民から怒りを買い、尊皇攘夷運動が勃発した。
簡単に言えば「天皇を敬い外敵を日本から追い払う」というような運動で内戦まで起きている。
現在の日本はどうだろうか。
その頃生まれた新たな政治主導者が現代でも残り続け、プリウスで児童らを殺しても罪にならない人がいたり、よく分からない理屈でクズが裁かれない日本になりつつあるわけである。これが新聞とテレビだけで都合よく情報操作出来た時代は良いのだが、スマホの普及により馬鹿な国民への情報操作が現代では困難である。
困難であるにも関わらず、相変わらず1985年に描かれたたんぽぽの時代と変わらないのは何故か。そのような批判がネット上で生まれても操作する側が情弱すぎるので、批判すら感知出来ない老人が国を運営しているから届くわけないのである。
何故なら国会は未だに紙で議論している。
つまりこの情弱すぎるアホな老人が、気持ちよく寿命を全うするまで国民は待たなければならない世の中が今の日本なのだ。

今でも、新聞とテレビでノロノロ情報を仕入れている老人に合わせなければならない日本です。テレビなど政治やジャニー喜多川のような変態が自由にできる洗脳装置が未だに情報源です。40代以上の国民なら「政治家の情報源はラジオです」とか、「カタカナの電報で情報を仕入れています」と言われたらどうであろうか。現代の子どもから見たら今の日本はそれ程遅れているのです。

話を戻しますが、だ・か・ら
友だちのような悲劇が生まれるのです。
裁判所に求める民事は、どちらがクズかです。クズを判断出来ず「女だから」とか、「収入が不安定だから」とかそんな理由で判例のみの判断をするならまだAIでやったほうが早くてマシなのである。

つまり、クズを判定することが出来ない司法に裁かれなければならないほど悪いことをした国民がそれ程いますか?
子どもがクズ嫁が贅沢するための道具になっている現実を受け入れる結婚という制度に意味をなしますか?という話です。
デキる男が結婚をするのであれば、リスクしかありません。生涯結婚を諦めることが、嫌な気持ちをしないで生きていく選択肢になっています。よく過去のメディアで女性が妊娠した際「責任取ってくれるの」なんてセリフがありましたが、無理です。日本でのリスクは高すぎなのです。

連れ去り別居で自殺するお父さん。
連れ去り別居で馬鹿な女が子どもを振り回して癇癪を起こす子ども。
都合よく2回離婚して「金、金、金」と働かずして金をむしり取る乞食のような女。
誰が悪で、誰が被害者なのだ。

これを変えるためにはもう内乱を起こすしか方法はないだろう。
今からジジイ共を説得した所で、理解を得る、またはジジイ共が寿命を全うする頃には、僕らの子どもは大人になってしまうのだ。ましてや今政権を握って話さないジジイ共が国民の言うことなど聞くわけもない。

ペンを持ってももう国を変える事は出来ない世の中である。先程言った通り、そのペンで書いたものを読む力がない老人にいくらペンを奮っても読めないのだ。
フランス語で書かれている論文を読めと言われても多くの国民が読めないように、日本語で書いてあっても、ネット上に書かれている事は老人には読めないのだ。
紙に書いて提出しても状況が把握出来ない老人に僕らは一生懸命投票して苦しんでいることに気づかないなら国民である僕らも大概である。
「常識」という殻を突き破り、クズはクズであると断罪しなくては自分を守れない世の中に多くの人間は気づくべきであり、クズが「女」という理由だけで司法が偏るなら司法は、必要ないとするべきである。

今、日本はペンより刀が必要だ。
武器を持ち立ち上がらなくては、友だちのように、愛する子も守れない世の中に、いち早く気づくべきである。

そう。今必要なのは、坂本龍馬ではなく、吉田松陰のような声のでかい人なのだと思う。

                                                                 𝓡𝓲𝓷1129


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