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鼓腹撃壌(こふくげきじょう)からほど遠い現状だから為政者に目が向く

今朝は曇りで済んでいたものの、昼前からはずっと雨となりました。今日は長い傘を持って出たため、折り畳み傘を使うことはありませんでした。干して畳む手間が掛からず助かりました。

さて、……。

タイトルの「鼓腹撃壌」という言葉、あまり知られていないと思う。出典は十八史略の堯帝。

「鼓腹撃壌」は、「老人が腹一杯食べて太ったお腹を鼓のようにポンポンと叩きながら、大地を叩いて歌う様子」を表している。「壌」って何だろう? と一瞬思うけれど、今を生きる私たちも「土壌」という言葉は使う。大地のことである。

ちなみにこの老人は「お日様が出たら働くし、日が落ちたらお休みする。井戸を掘って水を得て、田を耕して作物を食べる。帝のお力なんて私に何の関係があるのか」と歌っていたことまで書かれている。

少し端折って補足すると、中国の歴史の最初の方に書かれた伝説の聖天子(三皇五帝)の一人が堯。彼の治世は後の世から見た理想社会だとされている。もちろん実在性は不明。

それはさておき、これって意外と深い言葉だと思う。

老人は満ち足りていて、生活に何の心配もしていない。自由に生きていて、だからこそ帝のことなど全然意識せずに暮らせている。

聖天子と言えども霞を食って生きていたのではないだろうから税は取っただろう。でも、そこは理想社会なので触れずにおく。

私が気に留めたのは、世の中がうまく治まっている時には為政者のことを気にする人がいないという点。

逆に言えば、世の中が不安に満ちている、或いはうまく治まっていない時には為政者が気にされるということでもある。

昨今の政治情勢に関する「X」の投稿を見ると、為政者について言及するものが多数見られる。これってうまく治まっていないことを端的に示しているのではなかろうか。

この言葉を更に突き詰めると、政治の動向を心配しないで済む生活が幸せだという解釈もできるように思う。

もちろん、聖天子が治める政治体制が前提の理想社会と今の国民主権の現実社会を単純に比較はできない。ただ、国民自らが政治に参加し、自らの意思を表示する自由を獲得した今の方が自己実現を行いやすいのは確かなはず。

でも、今が幸せとは言いがたいのは、たくさんの不確定要素を抱えた現代社会で明快な解が得られないことに起因すると考えており、何とも皮肉なものだと思う。

なお、会社の中でも同様のことは起こり得る。会社がうまく回っている時に、社員はあまり経営者の顔を見ない。でも、会社が危機に陥った時にはそうでもなくなる。

ある経営者の方が経営が厳しくなった時のことを述懐し「社員が皆自分の顔を見てくる。それがプレッシャーになったのは事実だけど、何とかせねばという意思をより強くさせた」というコメントをしていたのを読んだことがある。

マンガ「釣りバカ日誌」の浜ちゃんのように、会社の動向など一切気にせず勤められるのは、幸せなことなのだろうなと改めて感じる。

お読み頂き、ありがとうございました。

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