見出し画像

エッセイ | 自分のことをどこまで書くのが正解か、いつも悩んでいます。

noteで書き始めて7ヶ月が過ぎましたが、自分はこれを書くんだ!という強い目的がない現在は、noterさん達の企画に参加して微かに存在を維持しているような状況です。

たまにエッセイを書いていますが、だいぶ色々と抑えています。何を抑えているかというと、本音、感情、事実、そして私生活の全てです。

もっと自分のことを書いてnoterさんたちに知ってもらいたいと思う反面、書き過ぎてドン引きされるのではないか、仲良くしてくれているnoterさんたちに嫌われるのではないか、と自分を抑えて書いているのです。

有名作家さんたちのエッセイをよく読んだ時期がありました。おもしろおかしく、友人や知人、同僚のことを書いていて、大丈夫なのかしらこんなに書いてしまって…と感じていました。

事実や本音のようだから、これを本人が目にしたら自分のことだと驚くだろうし、気を悪くするかもしれない。いや、もしかしたら事前に「あなたのこと書くよ~」って許可もらってるのかしら…なんてどうでもいいことを考えながら読んでしまいます。

私のような有名ではない人間が、どこまで書いていいのだろう。

今吐き出したいことは色々な愚痴なのですが、noteに愚痴を書きたくないのです。愚痴はただの愚痴であり、やはりエッセイとは言い難いものになりそうだからです。

しかし、どうしても愚痴をnoterさんたちに聞いてもらいたい時は、つぶやくことにしています。

今のところ、エッセイには思い出話が無難なところで、現在の生活に影響のない範囲内で書いています。

エッセイとはなんぞや

私の中でエッセイというのは、作者の本質が見え隠れするもの。どちらかといえば隠れるものより本質がたくさん見えてしまうもの。
そして思い出話にしても、現在の気持ちをしっかり書き足すことで新鮮に見えるもの。

と、思っているので、自分の書いているものはエッセイというには弱い…弱すぎる…と感じているのです。

私生活をぶちまけてしまえるか、人間関係をネタに書けるのか、事実と本音をドン!と書けるのか、頭の中で自問自答を繰り返しています。

しかし… いや…
やはり書けない…

今は付き合いのない古い人間関係なら書けます。
道で出会った見知らぬ女の子のことなら書けます。

私がnoteに記事を書いていることを家族、仕事関係の人たちは知りません。なので家族のことも仕事関係のことも書きずらいのです。

noterさんたちは、noteの存在を身内に話しているのかしら。それとも内緒に…
そんなところも気になりながら、自分の記事を書いています。

ブレーキをかけずに書きまくる…
そんな日がやってくるのだろうか。

自分のことをどこまで書くのが正解か、悩める日々はとうぶん続きそうです。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?