連作短編|揺られて(後編)❸|矢田
入社試験は簡単だったから成績は良かったはずだ。今は支店に在籍だけれど、いずれ本店へ行くことになるさ。まずは副支店長、支店長の椅子に座らなければならない。このままいけば、それも難しくはなさそうだ。
支店長の肩書には、それに見合う連れて歩くのに恥ずかしくない美しい妻が必要だ。彼女が新入社員で入ってきたときから決めていた。顔、容姿ともに美しく頭もいい、控えめなところも妻に相応しい。
この女と結婚しよう……
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そう決めてからというもの、結婚までどう話を進めていこうか考え続けた。
身辺を調べたところ、普通の学歴、普通の家庭の女だった。父親は中小企業の課長、母親は近所のスーパーのパート社員だ。女は下手に学歴など持たなくていい。口答えなどする女は許せない。
問題は高校生のころからつき合っている男がいることだ。
しかもそいつはマッチングアプリで男娼をやって生計を立てていた。
男前だが最低なやつ
男娼と女の身元を探る男、どちらが最低だろうか。
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支店長に誘われ数名で飲みに行った時、飲み足りなそうな支店長を三軒目に誘ったのは、もちろん彼女とのきっかけを作りたいからだ。
会話を男女の話へと誘導すると、支店長は想定通りの質問をしてきた。
「矢田は彼女いないのか?」
「いませんよ…… 女性に全くモテませんし……」
「好きな女はいないのか?」
「好きな女性はいますけど……」
「お!誰だ、誰だ? わかった!麻里さんだろう~?彼女いいよな!」
妻子ある支店長の目が輝いてきた。女の尻ばかり追いかけてきたいやらしい目つきだ。実は彼女のことも狙っていたのかもしれない。義父が頭取だからやりたい放題という噂だ。
その後はこちらが何かお願いすることもなく、こうがいいかな、ああがいいかなと、勝手に支店長が考えてくれ、彼女へ気持ちを伝えるキューピット役まで自ら引き受けてくれた。支店長宅での顔合わせを考えてくれているようだ。
「仲人はじめてなんだよなぁ」
気の早い支店長の頭の中は結婚式での様子が浮かんでいるようで、バーカウンターのボトル棚の一点を見つめながら、緩んだ顔のまま氷の溶けきったバーボンをごくりと口にした。
支店長は何を想像してるんだか⋯とぼんやりしていると、急にその頭がくるっとこちらを向いた。
「早速、明日、彼女に伝えるぞ!」
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支店長の自宅で食事会となったのは助かった。女性を喜ばせることは得意ではないし、何から話していいかも分からない。しくじるわけにはいかない一日となりそうだ。
母に言われ菓子折りを用意した。相手の目を見て話すことと、相手の言葉をオウム返しするようレクチャーを受けた。オウム返しをしているだけで相手がこちらへ好意を持ちやすくなるという。
母にははやく家に連れてくるようにと言われた。母のことだから、連れていけば頭のてっぺんからつま先まで確認するだろう。あれこれ質問する母と、必死で答える彼女が目に浮かぶようだ。
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支店長はいつも見るスーツ姿ではなく、カジュアルな服装で迎えてくれた。奥さんはとても美しく、目を合わせることができなかった。シンプルな黒いニットのワンピースが肌の白さを強調していた。
約束の時間の五分過ぎに到着したが彼女はまだ来ていなかった。
「麻里さん少し遅れるって」
支店長の家に呼ばれて遅刻はありえない。きっと何か起こっているに違いないが、でも今はどうすることもできない。まさかここで怖気づいて来ないなんてことないだろうな。恥をかかされてはたまらない。
三人だけの時間が長く感じられ、出された紅茶にも口をつけずに足元に擦り寄って来た猫の頭を撫でると、猫は気持ちよさそうにごろりと横になり、柔らかい体をくねらせていた。
支店長と奥さんは落ち着かないようで、そわそわとキッチンと居間を行き来している。この奥さんが支店長の前でこんな風に体をくねらせるのかと想像し、その柔らかな体の線を盗み見しながら猫の体を撫で続けていた。
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こっちの水の方が甘いことに必ず気がつくはずだ。
答えは出ている。
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