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連作短編|揺られて(後編)❶|麻里

前編⑦はこちら

ある日、応接室にくるよう支店長に呼び出された。職場の全員が耳をそばだてている。

何か失敗したかしら……

「忙しいところ申し訳ない」

支店長がにこにこ笑っているので少し安心したが、わざわざ応接室に呼び出すなんて、何か無理なことを頼まれそうな予感がして構えていると、予想もしていなかったことを言われ驚いてしまった。

この行員たちの中でも優秀で将来の支店長と噂されている矢田さんとお付き合いをしてみないかという。

「そんな……  私なんか……」

「いやね、好きだけれど僕なんか……と言っていて、告白するつもりもないと言ってるんだよ」

「はぁ……」

気のない返答をしてしまったことを一瞬悔やんだが、支店長はそれを気にする様子もなく話を続けた。

「きみは仕事熱心でお客様にも信頼されているテラーだ。仕事を辞めろと言っているわけではないんだよ。矢田くんとお付き合いをして、もしも結婚… あ!もしもだよ!もしも結婚したとしても、もちろん仕事は続けてもらいたと思っているんだ」

業務外でほとんど会話もしたことのない矢田さんとのお付き合いなんて、想像もしていなかったことで、矢田さんの気持ちも全く理解できず悩んでいた。

あきらくん……

あのやさしい笑顔、長くて綺麗な指が頭から離れない。
連絡を絶ってから、数ヶ月が過ぎようとしていた。

あきらくんがマッチングアプリで大勢の女性と知り合い、そしてお金をもらっていることは、自宅ポストに入っていた紙切れ一枚で知った。

『アナタ ノ カレ ハ ママカツ シテイル』

気味が悪くてすぐにあきらくんへ電話をしたら、あっさりとその事実を認めたことにショックを受けた。

「ごめん……」

配送のアルバイトをしていると信じていたのに、そのアルバイトすらやっていなかった。これまでのデート代も、たくさんもらったプレゼントも全部、その女性たちから貰ったお金で買ったものだったのだ。

涙が溢れてスマートフォンの画面が見えない。
何か言わなきゃ…でも言葉がでない。

沈黙がどれくらい続いたかわからない。

「ごめん… でも麻里だけを愛していたんだ。それは本当だよ」

そして電話は切れた。

え?

言うことはそれだけ?

これで私たちの関係は終わったの?

― 矢田さんとのお話、前向きに考えます。

支店長へメールを入れ、心をあきらくんに残したまま矢田さんとお付き合いしようとしている自分が恐ろしい。矢田さんがどういう人なのか知らないで、将来有望だからの理由だけで付き合って大丈夫なのか。本当にあの人と結婚生活が送れるのだろうか。

でも銀行と家の往復だけの人生はもう嫌だ。
幸せな家庭も作りたいし、子どもも欲しい。
その相手があきらくんでなかったとしても…

翌朝、いつもの時間に職場へ行くと支店長が待ち構えていた。また応接室で話しをしたいらしい。相変わらず職場の全員が耳をそばだてている。
そして当の矢田さんは端末のモニターを見つめたままだ。

「おはようございます」

横を通る際こちらが挨拶しても、顔も動かず、表情も変えず、目も合わさない。

「おはようございます」

「早速、矢田くんに伝えたよ。大喜びだったよ」

「そうですか…」

本当だろうか。
あれが大喜びの男の態度なの?

でも引き返せない。支店長に頼まれたのだから。あきらくんには戻れないのだから。

「それで、どうだろう… 最初から二人だけでは緊張するだろうから、私の家で食事をしないか」

「支店長のお宅でですか?それはご迷惑では……」

「いやね、妻も是非にって言っているんだよ。うちのはなかなか料理も上手いんだぞ」

支店長が奥様のことを話すなんて珍しい。確か奥様は頭取の一人娘だ。
どんな女性なのか、支店長がどんな家に住んでいるのか、少し興味がでてきた。

「では、お言葉に甘えてよろしくお願いします。奥様にもよろしくお伝えください」

あきらくんのことは忘れよう。どんなに好きでも絶対に一緒になれないんだ。

そう自分に言い聞かせた。

後編❷へつづく


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