連作短編|揺られて(前編)⑥|明日へ
月の半ばは融資の取り引きも比較的落ち着いている。ここ数日は外出予定もほとんどない。自席でコーヒーを飲みながら今期収支を確認していると、固定電話の液晶がぱっと明るくなり相手が表示された。
『 頭取 』
義父からの電話でよい知らせは滅多にない。重い気持ちで受話器をとると、何やら電話向こうで怒っているのだが、何を言っているのかさっぱりわからない。
「とにかく!今すぐ来なさい!」
この支店から本店まで、営業車で二十分ほどで到着した。
頭取室のドアをノックし部屋に入ると、義父は封筒から数枚の紙を取り出し、大きく立派な机にそれらを叩きつけた。
「怪文書だ」
それは自分と彩乃との関係を密告する内容だった。
「それとな……」
義父は二枚の写真を机の上に置くと頭を抱え込みながら、どさっと崩れるようにその立派な椅子に腰を落とした。
一枚は見知らぬ男の写真、もう一枚は妻の写真だ。
同じホテルの入口から出てきたところを撮影している写真には日時が印刷されていて、妻の写真は男の写真の約十五分後に撮られたようだ。
「こんな写真いくらでも加工で作れます。可奈子がこんなことするはずありません」
彩乃とは別れるよう義父に言われ、その場でLINEの関係を消した。あれほど欲していた彩乃の体のことも一瞬で冷めてしまった。
何のためにここまで頑張ってきたんだ……
パソコンもスマートフォンも苦手な義父には、写真は作られたものだと信じ込ませ、写真は処分するからと預かったが、処分するつもりはない。
目に入れても痛くないひとり娘本人に事実を聞き出すことはできない義父は、血の繋がらない者に問題だけ押し付けそれだけだ。義母へも相談することはないだろう。
可奈子のやつ……
こんな若い男と……
◈
最近、夫はチョコレートの女とは逢っていないようだ。
そわそわすることがなくなったし、久しぶりに私と目を合わせるようになった。夫は女ができると目を合わせなくなるので、とても分かりやすい。
夫が女とどんな理由で別れたかなんて興味がないけれど、次はどんな女に恋をするのかは興味がある。嫉妬とは無縁だ。
アキラに逢いたい……
夫の浮気は見えないけれど、二週間に一度はアキラに連絡をとり、これまで通りの関係を続けているが、偶然にもその日の夜に夫から体を求められることが多くなった。
気づいているのかもしれない……
でもそれならそれでいい……
だって私が失うものは何ひとつないのだから。
◈
ある日、貴也のLINEが消えたのは、きっと家族にバレたからだろう。
この一人がいなくなるのはかなり痛いけれど仕方ない。
これは恋愛ゲームなのだから。
またパパ探さないとな……
別に悲しくも寂しくも虚しくもない。
もしかしたら悪魔に取り憑かれているのではないかと自身が恐ろしくなる。
男たちから金銭を受け取ることも、その家庭が壊れることにも全く罪悪感はない。
私が今信じられる世界はスマートフォンの画面の中だけで、その向こう側の世界には全く興味がない。
マッチングアプリから着信だ
─ はじめまして 今夜 大人3 どう? (※2)
─ OKです!
◈
あの日以来、苛立ちがなくなることはなく、銀行への密告文書とあの鳩の公園から隠し撮りをすることを思いついた。
あの日は火曜日だったから、火曜日の同じ頃に公園から見張ることした。翌週は空振りだったけれど、その翌週は的中だった。
公園からの撮影するのにスマートフォンのカメラでは倍率が低すぎるので、公園で怪しまれないよう気をつけながらデジカメのシャッターを押した。なかなか上手くアキラくんとあの人をカメラに収めることに成功した。
銀行で騒ぎになっただろうか……
家庭内はどうなったのだろう……
暴露文と写真を普通郵便で送ってから二週間後、家の様子を覗きに行ったが、何の変化もなさそうだった。我が家の五倍も広い家は、庭も整えられ、美しさを保っていた。
そうだよね……
あれくらいで表面まで崩れないよね~
でも、ひびくらいは入ったかな〜
◈
今日は絶対に休めない講義がある。単位を落としそうなのでこれ以上欠席はできない。
どんなに忙しくても落第するわけにはいかない。
学歴は最短でないと……
駅の改札口を出ると桜子が背後から抱きついてきた。
「彩乃!おはよう!」
オープンしたばかりのお洒落なカフェの話をしながら大学へ向かう。そろそろ就活もしなくてはいけない。早くも内々定をもらっている友人もいる。
暖かな日差しが二人を包み込む。
いつも間にか、桜子との間でパパ活の話題はなくなっていた。このまま、このことはお互いの一生の秘密になっていく。
私たちはゆらり揺られてどこへ向かっているのだろう。
一輪の紅い梅の花が目に飛び込んできた。
もう厚手のコートを脱ぐ季節になっていた。
◈
※2 大人3:大人の関係ありで3万円の略
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