連作短編|揺られて(前編)③|可奈子
朝食はトーストとハムエッグにした。
体を重ねた翌朝は、味噌汁や焼き魚は相応しくないように思う。なぜだか分からないけれど……
半熟の目玉焼きが好きな夫の為に、焼き過ぎないようにフライパンの前に立ち、ハムの焼ける香ばしい匂いが漂う中、夕べの夫婦の交わりを思い出し、何かかわったことはなかったか、頭の中でその行為を繰り返してみる。
夫はいつもより激しかった。何かを打ち消すかのようにぶつかってきたといってもいい。仕事は順調なはずだし銀行の業績も悪くない。
きっと女のことだ……
結婚して二十年以上になるが、常に女の影が見え隠れしているのは全てお見通しだ。世間知らずの女だから気づくまいと思っているようだが、夫という男については子どもの頃から母を見て学んでいるつもりだ。
父の女遊びは酷かったが、母は黙って日々を過ごしていた。泣きも騒ぎもしない母に心はあったのか、今でもわからない。心を無にするしか自分を守る方法がなかったのかもしれない。
私にとって家庭なんてこんなもの。
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結婚を前提として父から紹介された夫は、将来の銀行支店長の席が約束されている。そして頭取までの道は見えている。
夫は高学歴のエリートで外見も美しい男だ。
生まれてくる子の知能、外見までも考えて父が選んだ男を拒めるはずもなく、いや、私は生まれた時から自ら生涯のパートナーを選択できる立場にはなかった。
苦労を知らない世間知らずのお嬢さんと言われても仕方がない。
自分の意志のない幼少時は私立幼稚園へ入園するためのスクールへ通い、有名私立幼稚園に入園してからはエスカレータ式で大学まで難なく行くことができた。
習い事は一通りはやらせてもらったが、身に付いたものはそれほど多くない。
自分で考えなくても全て両親が人生のレールを引いてくれたことを疑問に思ったこともない。ただこのレールに乗っていれば、困らない人生だとわかっているから、嫌だと思うこともなければ、逆らうこともしなかった。
学生時代に恋人はできたけれど、結婚したいと思えるほどの男性にはめぐり逢えなかった。なにせ男性の基準は銀行頭取の父なのだから、そこは無理もない話だ。
◈
スマートフォンが鳴り、画面を覗くと夫からだった。
時計を見るとまだ昼過ぎだ。
たぶん今朝から決まっている約束なのだと直感でわかる。
─ 今夜は接待で遅くなる
─はい 気を付けて…
月曜日から女に逢うなんて……
どうやら今回の女のことは相当気に入っているようだ。
◈
夜遅くに玄関のチャイムが鳴った。
帰ってきた夫を出迎えるため、ネグリジェの上にガウンを羽織り、玄関へ向かいドアを開けると、ふらふらと前のめりで玄関内に入ってきた夫は、立っているのがやっとの状態で前後にゆらゆらと揺れている。
かなり酔っている夫の上着を脱がせる時に顔を近づけるとほんのり甘い匂いがした。緩めたネクタイの第一ボタンを外したワイシャツの襟元から香る甘い匂い。
チョコレート……
安っぽいチョコレートの匂いは、夫が若い女と付き合っていることを意味していた。
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夫の逢瀬に気づいた翌日は、アキラを呼び出すことにしている。機械類には疎くビデオ録画も自分に頼む妻がまさかスマートフォンのマッチングアプリを使いこなしていると夫は思いもしないだろう。
アキラに逢いたい……
アキラは自称フリーターだが、連絡をするとすぐに逢う時間を作ってくれるので、まともに働いているようには到底思えない。
だけど、そんなことはどうでもいい。
夫より滑らかなアキラの手のひらで触れてほしかった。
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