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隠岐を学ぶ旅

ほんの3週間前に人のご縁で繋がって、広がった旅の記録をここに残したいと思う。振り返りといいつつ雑な文章になっていたら申し訳ない。感じたこと、学んだこと、考えたことをまだ新しいうちに言語化してみた。

私が今回訪れた隠岐島前地域(西ノ島町・海士町・知夫村)では循環型と工業型の食システムがそれぞれ存在していた。滞在していたTAKUHI.や島食の寺子屋では、裏山に生えているタケノコなどの山菜と放牧牛や有機野菜など島産の食材が使われており、強いこだわりが感じられた。特に隠岐牛は様々な場所で放牧されていて、とてものびのびとしていた。道に出てくることもあり、外に出られないようにする工夫など、動物の暮らしに人間が寄り添って共生している。島で育てられた子牛はブランド牛に育てられるために神戸や松坂などへ売られていくそうだ。TAKUHI.では牛を投資対象にしているという話には驚いたが、自然が豊富にあり、「体内細菌は生まれないというよりかは、むしろ育っている。牧草を好きなだけ食べる環境で放牧されてるから、牛自身適度な量が食べられる。肥育は決まった量の濃厚飼料や乾燥牧草で育てていることの違いです。」と一般的な世界の食肉肥育だけでないことを教えてくれた。放牧牛に合わせるために作られたハーブソルトは魔法の調味料なのでぜひ!




西ノ島町には以前は約7000人が住んでいたものの、食糧はまかなえていたそうだ。今では2500人程度で、同時に農業生産量も減少したため、本土からの輸入に頼りがちでもある。それでも隠岐産のお米は、自給率200%を超えているという。本土からフェリーで4時間はかかる孤島だからこその都会に比較した物価高がありつつも、冷凍を中心とした加工食品は豊富に見られた。しかしながら、棚がからになっても”ないものはない”という精神が浸透していて、不便と感じるのではなく受け入れる姿勢が共通していたことが印象的だった。欠品を減らし続けた結果、事業食品ロスが溢れている日本だからこそ、見習うべき価値観だと思う。消費者庁のアンケートを調べたところ、棚が空でも気にならないという人が8割以上いたと分かった。今後も現在の納品スピードを続けていく企業は、次第に受け入れられなくなっていくのではないかと思う。その波を本当に必要な方向へ加速させるためにより一層働きかけていきたい。



フードロスに関してはTAKUHI.ではないに等しかった。野菜の芯は調理法を変えて最後まで活用し、傷んでしまったりとおいしく食べられなさそうであれば庭のヤギにあげる。アップサイクルフードが注目を集めているが、その加工の間にCO2排出しているなどと考えると、ベストな方法とは思えなくなった。ヤギは草刈り用に様々な家庭へレンタルされるそうで、バランスの取れたウィンウィンな関係に思えた。それでも家畜を育てていることに環境保護団体からの嫌がらせがあったり、手作りのケーキを冷凍と勘違いして口コミを書かれた話を聴き、表面だけで一方的な決断を下す風潮があることに危機感を覚えた。私はあくまで大量消費のためにコーンとホルモン剤でぎゅうぎゅうの小屋で育てられた家畜に疑問を持っているだけで、過度な動物愛護には批判的だ。現場を見ることで意見と事実の違いを正しく扱える人になりたいと思う。


境港でのドミトリー宿泊から始まった旅が、野営ともいえるキャンプを経て、ゲストハウスでのお手伝いステイと様々な視点から学びを深められた。鳥取名産の白ネギ、焚火で作ったジビエハヤシライス、
隠岐米、岩ガキ、山椒、筍、なめみそ→、放牧牛のカレーライス、とれたての海鮮丼、野イチゴ、だいだい...たくさんの食材に触れ、ときに普段口にするものと比較しながら、ときに新しい感覚に驚きながら命が繋いだ食のひとときを胸に刻んだ。同時にこれらの感動がお金という手段でしか価値が付けられない、そしてその判断基準によって世界のほとんどのことが決められていることに不合理な感覚を覚えた。

西ノ島の家庭料理『なめみそ』

自転車で2時間以上の時間をかけて峠を超え、たどり着いた集落で商品棚から取り出したコーヒーをふるまってくれた商店のおばあちゃん。太陽が照り付ける中で大荷物をもって歩いていた時に、何度も往復して全員をキャンプ場へ載せていってくれたおじちゃん。ギリギリにフェリーに乗り込む私たちを快く待ってくれた船員さん。隠岐にはそんな小さな温かさが溢れていた。知夫村には老人ホームの真下に墓地がある笑えないブラックジョークもあったが。


どうぞのいす

人情と物々交換で成り立つ、農耕や狩猟社会の断片が見えた旅だった。私が思っていた以上に、まだ世界には、少なくとも日本には自然と共存し、優しさのある営みが残っているのかもしれない。現実的に考えて、これを全人類規模で取り戻すのは夢物語だ。それでも、小さなところがポツポツと温かいライフスタイルを実践し、それが世界各地に広がっていったら次世代の共通認識としてやがて多くの人々へ届いてゆくのではないか。私の新たな夢は、自分自身がそんな生活を当たり前に取り入れ、同じような希望をもってそれぞれに動き出している人々を繋ぐことだ。今回の旅で見てきた風景のひとつひとつを心に留め、日々の学びを深める引き出しにしようと思う。

最後にこの旅に関わってくださった全ての方に感謝をしたい。
TAKUHI.を紹介してくださったソウダルアさん、
誰かもわからない中学生を10日も受け入れてくださった小松倫世さん、
学ぶ資金のサポートをしてくださった桑原英太郎さん、
お話を聴かせてくださった島食の寺子屋・恒光一将さん、
境港で宿主以上の対応をしてくださった「旅の宿屋」鳥谷さん、
色々な場所に連れて行ってくださった東淳さん、
無謀なスケジュールを知りながら送り出してくれたお母さんお父さん、
素敵な対話を生んでくれた島前高校とキャンプのメンバー、
すいせい・ゆなせ・アデリーナ・はっけい・ひで・アレックス・かいと・りんと・るい
本当にありがとうございました!!

P.S. 次の旅にお勧めしたいところがあれば、ぜひ教えてください!


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