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豆腐から視る、京のライフスタイルを学ぶ旅

8月も終わりに近づいたものの、まだまだ暑さが落ち着かない京都へ、旅をしました。大きな目的は、江戸時代から続くような”お豆腐屋さん”を訪れることでした。今回の一人旅での新たな発見、出逢い、美味しさについて、ここに書き残したいと思います。


なぜお豆腐か?

お味噌汁、冷奴、お鍋…と日々の食生活に欠かせない豆腐。
私が最初に気になったのは6歳のとき。大豆から加工される食品の中で、お豆腐だけが白い!と自由研究のテーマにした。家の近くのお豆腐屋さんで、大豆を潰すところから固めるところまで、一丁を作ったことがある。機械化と手作業を組み合わせる技術を自分の目で見たかった。

そして、豆腐には確かな可能性があると私は信じているのがもう一つの理由だ。近年の世界的な肉を避ける風潮で、植物性の代替肉が注目を集めている。それでも、私たち日本人は200年以上前からお豆腐をお肉の代わりとして食べてきたのではないか!京都では海から遠い地形のため、タンパク源を得るには植物性のものに頼る必要があった。そして、美味しいお水が豊富にあること、滋賀など大豆の産地が近いことが重なって、京どうふの文化が発展した。
そこには前に進むことだけでなく、後ろを振り返ってみることの大切さが隠されている気がする。日本人として、世界の問題に何かアイデアを提案したい、そう考えて私は今回の旅を計画した。


昔のまんま

立ち上がったのは江戸時代。入山のおじいちゃんが、かまどで炊いてつくるお豆腐がそこにはある。入山とうふ店だ。薪を燃やしてお豆腐を茹でるお店は、京都ではここしかない。一声かけると、中学生が珍しいのか豆腐の作り方から大切な機械までじっくり説明してくださった。

「焼き豆腐は、棒に刺しても崩れないくらい少し硬めに作って、炭火で炙る。ガスバーナーじゃ芯まで火が通らない。」
「井戸水は一年中17度。これが夏には冷たく、冬には暖かく感じる。」

最初のやり方を変えない。
それは頑固だからではなく、本来の力を最大限に生かすためなのではないか。もちろん継続するには高い技術と普通よりもコストがかかる。入山さんがつくる豆腐は、多くても1日50個程度だ。それでも、現代の私たちにとっては物珍しく、その日の気温や大豆の状態といった細かい違いに合わせて自分で調節することができる。全てのお豆腐屋さんに強制できることではない。けれど、そんな入山豆腐がこれからも続いてほしいと願う。

ありがとうございました!

おばんざい

その地域の食文化を学ぶには、スーパーに行くことが大事だという。京野菜のコーナーがあり、トマトやネギを調達した。白身魚の”はも”は名前すら聞いたことのない魚だった。東京では高級料亭でしかいただけないが、西日本では一般的に食べられているらしい。はも鮨、豆腐と合わせた出し汁にしていただく。

材料を集めて!

入山どうふのお揚げは、信じられないくらい分厚い。紹介してくださった、菜っ葉(今回はほうれん草)と出汁炊きにすると絶品。ちなみに煮ることを”炊く”と表現することは京都独特の言い方。

シソが練り込まれた爽やかな青紫蘇豆腐は、そのまま冷奴に。バジルとモッツアレラのような食べ応えで、岩塩だけのシンプルな味付けがちょうど良い。
トマトは新鮮なもの、出し汁に軽くつけておいたものとを比較。どちらもみずみずしい!
牛すじも京都ならでは人気食材だ。関東県なのでカレーには豚肉だと思ってきたのだが、牛のしっかりした食感も美味しいと発見。今回は、オクラと合わせて甘めに煮込む。
湯葉はつまんで食べるタイプで少し柔らかめ。そのままの濃厚な味で十分!

おばんざい

本来、日常的に食べられる和食の特徴は、短時間で作れることだという。
さっと出汁を通すだけ、煮込んでも5分くらい。じっくりと時間をかけないから、使うエネルギーも少なくて済む。それなのに、どうして料理をする人がこんなに減ってしまったのだろう。コンビニ弁当が選ばれるようになってしまったのだろう。便利に頼りすぎるあまり、食べることの意味を見失って、もっと非効率な方向へと進んでいないか。

出汁に頼れば濃い味付けも必要ない。
お豆腐のように一つの食材でも、何十個もの食べ方ができる。
江戸時代の人々が当たり前にやっていたことを、今の生活に取り入れられたら、私のように現代人が知って体験する機会が増えたら…と思った。

豆腐をつくる

豆腐屋にエアコンはない。蒸し蒸しとした風のない京都の中でも、豆腐屋ほど熱のこもる場所は見つからないだろう。
祇園の商店街に位置する、千代どうふでは朝から豆腐作りの見学をさせてもらった。作り方はこちらの動画を!

千代どうふのこだわりは、大豆をミキサーにかけるとき、水ではなく、残りの豆乳を使うことだ。大多数である水で混ぜると、黄色いドロドロとした硬めの質感になって出てくる。それが豆乳を使うと、白っぽいトロトロとした滑らかな液体になるのだ。本来、豆乳になるまではここからいくつかの過程を踏むのだが、すでに見た目は豆乳のよう。

豆腐屋の仕事は、後片付けに一番時間をかける。温まった大豆や豆乳はすぐに固まって機械にこびりついてしまう。明日も、明後日も豆腐を作り続けるためにはできるだけ早く洗い流すことが必要だ。

ここの揚げ寿司は、伏見稲荷大社で売られる稲荷寿司になっているそうだ。揚げる場合は、プレスして豆腐の水分を少なくする。普通のお豆腐では、石を乗せて余分な水分を出していた。

丁寧に大豆を混ぜます
廃熱を利用してお湯が!
滑らかなお豆腐
ありがとうございました!

商店街

いくつかのアーケード街を地元の人に混ざって散策。喫茶文化から観光客目当ての雑貨店まで、幅広く覗くことができた。
私はボタン屋さんで飾られていた派手な色の小さいボタン(白シャツに付け替えようと思う)と金物屋さんで見つけた野菜の型抜きをお買い上げ。どちらも30年は続いているお店のようで、探したら埃を被った掘り出し物が見つかりそうだった。
お盆明けの水曜日ということで閉まっているお店も多かった。けれど、そこにたくさんの人々が集まって賑わいを見せる様子は容易に想像できたし、少しだけでもその1人になれたことが嬉しかった。ちなみに織田信長で有名な本能寺は、商店街のど真ん中に位置していてびっくり!

番外編

京都といえば、豊富な寺社仏閣。
源氏物語が好きな私は、嵯峨天皇に関係のある大覚寺も案内していただいた。大きなお堂と庭園がとても美しく、今まで残されてきたことに感謝したくなった。私は文化財というと、特別なものという位置付けで、自分には遠いものだとどこか距離を置いてきた。けれど、誰かが誰かのために作って、誰かが大切に残してきたから今になって文化財と言えるのだ。人々の役に立ったり、心を豊かにするからそれが生み出された。だから平安の都だった京都には、至る所に文化財が眠っている。

少し悲しかったのは、文化財を取り巻く街並みが美しいとはいえなかったとこだ。教科書では高い建物や派手な看板・広告を禁止する条例が紹介されていたが、実際のところ私の目で見ても、話を聞いてもほとんどの場所では守られていないと思った。先週訪れていたコペンハーゲンは街に統一感があり、近代的な建物もそうでないものも人々の生活圏に馴染んでいた。海外ではできているのに、綺麗好きな日本ができないのはなぜだろうか…

そしてもうひとつ、意外なことにパンの消費量が日本一だという。湯葉パンやネギパンといった京都らしい味も見つけた。町中華も多く、新しいものが大好きなのかな?と想像してしまう。

旅が終わって

まず一言、日本はやっぱりというか思った以上に素敵だな。
けれどその”素敵”はいつまで続くだろうか。

そう考え続けた旅だった。
今を作り上げているのは、良い面を伸ばして行こうとするより、悪い面をなくしていくという考え方が中心なのではないか。確かに科学の発展によってたくさんの人がより長く、健康に生きることができるようになった。世界と繋がって新しい出会いと感動を求めることも容易になった。生きていることに不便を感じる人は少ないだろう。だからと言って幸せだとは限らない。SNSに目を向ければ自分よりもっと豊かな生活を謳歌している人が溢れるほどいる。知らなければ今の自分で十分満足して、もっと多くを求めようとすることもなかったかもしれない。

どこまでも繋がりを広げていける今の時代、あえて狭い関係を構築してみるのはどうだろうか。
コミュニケーションに限らず、地球の裏側から届いた牛肉ではなく、徒歩で行けるお豆腐屋さんがつくる油揚げを食べてみる。
ネットショッピングをやめて、商店街で目に留まったものを手に取ってみる。
別に全てのことを置き換える必要はない。私はこの200年で大きく変わった社会の流れから自分を守る、ささやかな抵抗として気にかけてみたいと思う。

私がいう”素敵”は、それを残したいと強く思って大切にしてきた人々がいるから今でも出会うことができている。その一部になれることを強く願う。残すのは、今の当たり前に”負けないように”ではない。ここまでに生まれてきたいくつもの当たり前を共存させて、日本で生まれ育った人にも、そうでない人にも選んでもらえるような選択肢の一つにしたい。

きっとこれからの10年でたくさんのことが変わる。
コロナのようなウィルスで滅亡の危機が訪れるかもしれないし、AIがお金を稼いで人間はもっと自由に生きていけるようになるかもしれない。
見守って、変化を待っているだけではもったいない。どんな未来になっても後悔しないようにできそうなことも無謀な挑戦もしてみようと思う。

でもそれより、まずは今を幸せに生きていることに感謝したい。


この旅でお世話になった全ての方に感謝します。
特に、
1人では辿り着けない京都の奥深さを教えてくださった、ゆりさん。
旅の実現に向けてたくさん助けてくださった、えいたろうさん。

本当にありがとうございました!

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