舟木力英

美術館勤務時代にできなかったこと、書けなかったことがありました。今になって分かったこと…

舟木力英

美術館勤務時代にできなかったこと、書けなかったことがありました。今になって分かったこともありますので、いくつかのブログに書き残しています。

マガジン

  • 呟きとメモ

  • 中村彝研究ノート

    中村彝研究を手短かに紹介します。従来における自他の研究および各種資料の追加・訂正などもあります。彝研究のための新たな視点を探っています。引用に当たってはコメント欄から事前にご連絡を。

  • 美術史ノート

    美術史関連記事。主に19世紀フランス美術と日本の洋画、あるいはその関連について。

最近の記事

メモと呟き 2024-5-28まで

あるNHK番組で、日本では近年富裕層や、超富裕層が増えているとのこと。資産3000万円以下は、マス層と呼ばれ、最低クラスと分類されていた!!! ** 5月は「太陽を踏む」季節という #倉嶋厚 さんの言葉が、14日の読売に紹介されていた。若葉のころのほうが隙間が多いからという。なるほどなと思った。 ** 「人生の意味を言葉で受け取って、解決策にしようとは、少し虫がよすぎますね。…自分で見出すべきものです。…その人だけのもので、他人が入れ替わることができない、まさに特別な

    • メモと呟き、(『東京都同情塔』への呟きを含む)

      土浦市の図書館下のギャラリーで昨日まで開かれていた #渡辺浩三 展を見た。#佐伯祐三 と同時代にパリに行っていた画家の作品、10点のみの無料展示だが、なかなか良かった。 ** 「図書館中心街潤す」という2024-3-4の読売記事読む。 美術館中心に街の活性化というアイディアもあるが、地方都市の場合、やはり図書館の方が良いだろう。 ** #ルール・ブルー、#バッハ などのバロック音楽と古典主義絵画のような構成美の取り合わせが、バレー舞台の表現の中で楽しめる。 **

      • 中村彝の洲崎義郎宛書簡(4)

         中村彝の洲崎義郎宛書簡、新潟県立近代美術館の『中村彝・洲崎義郎宛書簡』(1997)で大正9年9月20日の書簡ーこのブログ記事では同年2月20日ではないかと前回に提示ーに、彝が描いた洲崎義郎の肖像画について、曽宮一念が「この肖像画は…昨日僕が見た洲崎さんとは少しも似て居ない様な気がする」と率直に批判したことまで前回の記事で書いた。  この曽宮の批評については、これまで様々な解説書の類で取り上げられることはあまりなかったように思う。それは、なぜか。  それは、曽宮の批評とそれ

        • 中村彝の洲崎義郎宛書簡(3)

           大正9年9月20日の洲崎義郎宛書簡も1997年の新潟県立近代美術館での展覧会で新たに紹介されたものであるが、やはりその与えられた日付を再検討しなければならない書簡と思われる。  この書簡には塩井雨江(1869‐1913)という文学士の名前が出てくる。そして、彼の娘(独身)を彝は「一昨日面白い人が弟子入りを申し込んできました」と書いている。「実は年四十を超え、絵を初めてから既に二十余年にもなろうと言う…迚も奇抜極まる、画狂です…」と紹介している。  さて、この手紙の末尾には確

        メモと呟き 2024-5-28まで

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          97本
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        • 美術史ノート
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        記事

          中村彝の洲崎義郎宛書簡(2)

           前回に続いて、今回検討していくのは『中村彝・洲崎義郎宛書簡』(新潟県立近代美術館、1997)で、大正9年7月5日とされている書簡である。    これには、なぜかこの手紙の前に出した手紙の内容について彝は書いている。  「多分一四日か五日の日に御手紙を差し上げた筈ですが、そしてそれには七日の日一六日の夜に少しばかりブラッドを出したので絵は未成のまま出品して終った」こと、その後は「多少のブラッド」はあるが経過は極めてよいとか、「例の丸善の本の事と、よくなり次第(そこに)行ってみ

          中村彝の洲崎義郎宛書簡(2)

          中村彝の洲崎義郎宛書簡(1)

           中村彝の洲崎義郎宛書簡は、彝が書いた詩文や書簡などを集めた『藝術の無限感』に収録されているが、1997年(平成9)に新潟県立近代美術館が編集した『中村彝・洲崎義郎宛書簡』もきわめて重要である。  と言うのは、ここには『藝術の無限感』にまだ含まれていなかった洲崎義郎宛の書簡も活字となっているからである。彝の研究には欠かせない非常に重要な貢献と言えることは間違いない。  ただ残念ながら、展覧会図録と共に発行されたこの冊子には、書簡原文の読みが甘いところがあり、おそらくは誤読と

          中村彝の洲崎義郎宛書簡(1)

          中村彝とルノワールの女性裸体画「泉」をめぐる誤解と混乱

           2003年に茨城県近代美術館で開催された『中村彝の全貌』という展覧会図録の「年譜」にこんな記述がある。  「大正9年8月19日、(中村彝は)今村繁三邸においてルノワールの『泉』『庭園(風景)』を見て、深い感銘を受け、画室に帰ってから記憶により模写する。」  そして、ほかの美術館の解説などでも、このような記述が繰り返されていることがある。  しかし、私は既に『研究紀要』(第4号、茨城県近代美術館、1996年発行)に『中村彝と西洋美術』という小論を書いて、その始めの方に、

          中村彝とルノワールの女性裸体画「泉」をめぐる誤解と混乱

          中村彝が読んだドストエフスキー『虐げられし人々』の一場面 

           この稿は、「中村彝と中原悌二郎の読書メモ」の(2)として書いている。前回は悌二郎とトルストイのある断章と、悌二郎が言及したドストエフスキーの「空想的にまで進んだ写実主義」に触れた。  今回は、彝がその書簡で述べているドストエフスキーの『虐げられし人々』について書いてみよう。  彝のこの本への言及は、彼の手紙の中に出てくる。すなわち大正5年1月31日、ほぼ同年齢の彝の支援者であり、芸術愛好家でもあった福島県白河の伊藤隆三郎宛の書簡の中に出てくる。  その手紙は、始めの方で結

          中村彝が読んだドストエフスキー『虐げられし人々』の一場面 

          中村彝と中原悌二郎の読書メモ(1)

           中村彝の親友・中原悌二郎は、大正3年の春、突如喀血に倒れ、故郷の北海道・旭川に帰った。匠秀夫氏によると、この静養中、彼は旭川第7師団でロシア語教官をしていた米川正夫を知り、ドストエフスキーの小説を耽読したという。旭川では米川を中心にした文学青年の間でガリ版刷りの文芸同人誌『呼吸』が発刊されていたらしい。  しかし、悌二郎の文学好きはその時に始まったわけではなく、明治40年の彼の日記にも見られるように、国内外の多くの文学者の名前が記されている。ロシア文学ではこの頃トルストイの

          中村彝と中原悌二郎の読書メモ(1)

          メモと呟き 2024-2-15まで

          村上明子さん「ブレーキがないとアクセルは踏めない。AIを推進だけで考えるのは危険だ。」24-2-9の読売記事より ** 飛行機誤進入、管制官とのやり取り シアトルの管制官「16C手前で待機せよ」 16Rに着陸した機長と副機長側「16L手前で待機」と復唱。 管制官、復唱の誤り指摘なし。 結果、16Cの滑走路を横断して16L手前で待機。 ・相手の言っている言葉の取り違え、結構ある!16Rに着陸したから、次は16Lと脳が勝手に取り違え? ** 今日の読売記事2024-2

          メモと呟き 2024-2-15まで

          中村彝と『ルカ福音書』のザカリア

          中村彝の未刊行の葉書(多湖宛、大正10年8月2日着)に『ルカ福音書』の一節に関連した箇所があることが分かった。 もともと聖書の一節に関連した言葉かと察せられたが、はっきりとは分からなかった。それは彼の葉書のこんな文脈の中に書かれていた。 「僕ハ大によくない。去年の暮から臥たきりだ。…それでもどうにか生きてだけハ居る。たゞ生きてるといふだけだ。昔日の元気ハ全くない。毎日眠いばかりで睡(ネム)ってばかり居る。時々喀血もする。この喀血もこの頃ハ平気なもんだ。熱も出る。熱も慣れっこ

          中村彝と『ルカ福音書』のザカリア

          美術品の真贋

           「美術品の真贋こぼれ話」という演題ですが、実は、公立の美術館では誰も喜んで真贋について判断したくないようであります。  なんとなれば、やはり責任と金銭にかかわる問題があるからです。もし真贋の判断を間違った場合、その責任は学芸員個人の責任にとどまらず、もっと上の方まで、公立なら学芸課長とか、美術館長とかまで行ってしまう恐れもあるでしょう。  公立だからタダで鑑定して、それで間違ったら、責任を取らされる、それでは堪ったもんではありません。  しかし、鑑定に持ち込んできた人も、

          美術品の真贋

          呟きとメモ 2023-12-24まで

          中村彝の野田半三宛絵葉書(明治40年7月30日)|舟木力英 #note 中村彝の野田半三宛の絵葉書(明治40年8月26日)|舟木力英 note.com/riki_72/n/n68b… #note 中村彝の肖像画論|舟木力英 note.com/riki_72/n/n560… #note ** 霧島、朝乃山、物言いがついたが、行司軍配通り。行司、眼がいいな。これがプロだな。 * 大相撲解説にこんなのがあった。 アナ「2杯連敗気になりますね」 解説者「気になると言わ

          呟きとメモ 2023-12-24まで

          シュテファン・ツヴァイク『ジョゼフ・フーシェ』

          この世の中を実際に動かしている人間はいったいどのような種類の人間なのだろう。 こうした疑問が沸き起こってきた時期があった。そのころ読んだのが、ガルブレイスの『権力の解剖』やシュテファン・ツヴァイクのこの特異な伝記本である。 しかし、この本の苦い味わいが解るようになるには、しばらく後に再読する必要があった。 「優れた人物、純粋な観念の持ち主が決定的な役割を演ずることはまれであって、はるかに価値は劣るが、さばくことが巧みな人間、すなわち黒幕の人物が決定権を握っている」というい

          シュテファン・ツヴァイク『ジョゼフ・フーシェ』

          呟きとメモ 2023-10-30まで

          #末永敏事 1887-1945 という医師が、戦時下の茨城県神栖に勤務していたことを知った。朝日新聞2023-10-3、#中村尚徳 氏の記事より。 ** 消しゴムマジックとかベストテイクとか、AI導入の写真に関する記事を読んだ。 朝日新聞2023-10-5 こういうことが簡単にできるようになると、例えば、写真の証拠能力もますます薄められるようになるな。多分、もとの写真に戻すこともできるのだろうが… ** マネの二つの作品と中村彝の「婦人像」(メナード美術館蔵) →go

          呟きとメモ 2023-10-30まで

          呟きとメモ 2023-9-1まで

          ・ルポライターの安田峰俊氏による習近平の素顔という朝日新聞記事2023-6-10に、福建省長時代の習氏は2001年に友好提携を結ぶ長崎県を訪問し、原爆資料館を見学していると書いてあった。他にも習氏にあった日本人が紹介されていた。 *** ・姜尚中「あなたが今悩むのは、何事につけて満たされない空虚なものの影に包まれているからではないでしょうか。むなしさは私たちの心のなかに巣くう最大の難物です。それが心を占拠すると…」2023-8-26の朝日新聞より *** ・上杉謙信

          呟きとメモ 2023-9-1まで