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親不知と私の終わりなき戦い

私が実際に体験した苦労話を、誰かに話したくて綴るものです。
(読後に何も得られません。予めご了承ください)

【第1章:駅前の歯科医院にて】

私の右下に生息している親不知は、なかなかに手強い。
「悪さをするようなら、いつか抜いた方がいいよ、親不知は」
友人や親に相談すると、こう言い返されていた。

普段は何も不都合がないのだが、忙しくなると、
免疫の低下や、歯磨きの丁寧さも欠けてしまい、
半年に1回ほどは知覚過敏のような症状に苦しむようになった。
それ(痛み)は、結構突然襲ってくる。

今からちょうど1年前の12月。
私は奥歯のあまりの痛みに、すぐに受診できる歯医者を探して予約。
翌日、仕事を巻きで片付けて診察時間内に飛び込んだ。

歯医者さんは優しく、私の感じる痛みも理解してくれて、
取り急ぎ痛みがなくなるような処置をして下さった。
「これからも続くようなら、やっぱり抜いた方がいいと思うよ」
「確かにそうですよね」
「まずは抜歯できる状態まで歯茎を健康にする必要があるね。来週は週3回は来てください」
え!年末の慌ただしいこのタイミングで、週3回もノー残業は正直きつい…
でも抜歯までに必要な治療なら、受けるしかない。
「わかりました」

翌週も、大急ぎで仕事を終わらせて歯医者までダッシュする日々を送った。
「順調に回復はしていますよ。あと少し汚れがあるんだよね、来週も来れる?」
え…まだ通うのか。少しは相談してみようかな。
「来週はちょっと…行けて週2日ですかね…」
「わかりました。では、水曜と金曜に来てください。その後の経過でいつ抜歯するか決めましょう」

翌週もなんとか来院し、抜歯する見込みが立った。
「ただ、年末は抜歯してもし後遺症があっても処置できないので、年明けにしてください」
なんてことだ、今年中に抜いてしまいたかった…残念…。
「わかりました」
「あと、金曜に抜かれても土日は診れないので、金曜はやめてください」
結構制限が厳しいとはいえ、自分の身体のことだし、何とか調整するしかないか…

私は受付に寄り、抜歯の予約を入れるべく、事務員さんに話しかけた。
「えぇと…予約に空きがないので、1月23日以降でお願いできますか?」

私はキレた。

いや、怒鳴り散らしてなんかいない。ただ静かに、心の中の糸がプチっと切れた。
来月の23日まで、私はあと何回診察に通ったらいいんだろう。
そんなに遅くまで抜けないなら最初から言っておいてほしかった。

「また予定を確認してお電話します」とだけ言って、もうここには通わないことを心に誓ったのだった。

【第2章:近所の歯科クリニックにて】

私の親不知ストーリーはまだ終わらない。
負けるもんかと、すぐに近所のクリニックに診察の予約を入れた。
初めて行ったが、優しい受付の事務員さんの笑顔に癒されたし、半個室の造りも気に入った。

先生に事情を説明し、私の親不知は抜歯できる状態なのか、
そしていつ頃抜けるかを相談した。

先生は「状態は問題ないと思うが、複雑に生えている可能性が高いので、レントゲンを撮りにまた来院してください」と告げた。

え!今日ここで撮影してくれないの?
思わず不平が口から出そうになったが、そこはグッと我慢し、大人しく次の診察予約を入れた。
これで抜歯する予定が立つなら安いものだ。
初診料が2院分かかってしまったのは、もはや小さいことに思えた。(思おうとした)

翌週。何やらごつい機材でレントゲンを撮影。
先生は写真を見ながら、重い口を開いた。
「○○さん、落ち着いて聞いてくださいね。かなり複雑な生え方なので、ここでは抜けないんです」

…なんだと?私は絶句した。

そこから先生は、なぜクリニックで抜歯できないのか、あらゆる角度の写真を見せながら丁寧に説明した。
それは歯茎に埋没した私の親不知が神経に近く、手術により予期せぬ症状を発症する可能性があるからであって、
大学病院のほうが事後処置が安心であること、決して自分の腕が悪いわけではないことを繰り返し主張していた。

すっかり痛みもなくなっていた。もう無理して抜かなくてもいいか。
私のモチベーションは急降下してしまった。

【第3章:ついに大学病院へ】

しばらく親不知のことを忘れていた。
が、半年後に退職して時間に余裕ができたタイミングで、「今のうちに抜いちゃおうかな」と思い始めた。
歯科検診の際にクリニックの先生に相談したところ
「僕は抜けないけど、大学病院へ紹介状を書きますよ。僕は抜けないけど」と言われたので、そのままお願いした。

次の転職先も決まっていたので、できる限り迷惑をかけないように早く抜いてしまおう。

私は最速で先生に紹介状を準備してもらい、受け取ったその足で初めての大学病院へ向かった。外来は予約できないみたいだったので、できるだけ早く行くしかなかった。

大学病院は、患者一人ひとりに呼び出し機を貸し出し、とてもシステマチックな管理体制だった。
慣れない私は右往左往。セクションごとの受付に都度声をかけ、
迷路のような病院内をあちこち歩きまわり、何とか4階の歯科外来へ。
辿り着いたと思いきや、再度レントゲン撮影が必要ということで1階の撮影室に戻されたり。
(当日中に撮影してもらえるだけマシだと思ったが)

何十分も待ち、ようやく診察してもらうことができ、抜歯は約2週間後で予約できた。
「難しい手術かもしれませんが、まぁ取り敢えずやってみないと分からないんで!」
先生は思ったよりポップな態度で、安心と不安を同時に感じたのだった。

親不知の抜歯にかかる診察で、半日が丸々つぶれてしまったが、
転職先に就業する前で良かったと思うようにしよう。自分にそう言い聞かせた。

【第4章:ついに親不知の抜歯!格闘の1時間】

大学病院のルールで、抜歯の前日にPCR検査を受ける必要もあった。
既に就業開始していたが、幸いにも始業が遅いので、朝一ダッシュで向かって遅刻もせず提出できた。
そしていよいよ当日。

「まぁ、複雑な生え方なんでね。抜きながら様子見てやっていきましょう。早ければすぐ終わりますから」
相変わらず先生は楽観的で、私も構えすぎると恥ずかしいかな、と思い始めた。

いざ。抜歯。

数回にわたり麻酔を打ち、痛みは感じなくなった。
代わりに、歯を無理やり引っ張り上げられる感触はしっかり感じた。
本当にこんな感じで抜けるのかな…意外に力づくなのね。

「う~ん、やっぱり歯を削らないと無理ですね。これから縦に歯を割りますね」

しばらく頑張って。

「う~ん、やっぱり4分割にしますね。半分くらいはいけたんすけど」

正直、正常に抜けるなら、歯の形なんてどうでもいいのだが、先生は懇切丁寧に進捗を説明してくれた。

なんだかんだで、小一時間後。4分割になった私の親不知と対面した。
「腫れると思いますが、痛み止めも出しますんで」
これで、長かった親不知との闘いが終わるのね…感慨深い。
早くも重く痛み出した右頬を押さえ、私は帰路についたのだ。今日は何もしないで寝ていよう。

優しい夫が気を遣い、栄養ゼリー等を買い込んでくれたので、何とか軽食も摂ることができた。
幸いにも週末に突入。きっと土日に我慢すれば、月曜からは元気に戻れるはず。
私は眠りについた。

【第5章:完結!恐怖の後遺症】

確かに眠れていたはずだった。
だが、違和感を感じて深夜2時頃に目が覚めた。嫌な予感がして洗面台へ。
口の中が血で溢れていた。
出血が戻ってきたのだ。

「気を付けて歯磨きしてたのに…傷口が開いたのかな」
そこからは怖くてなかなか横になれない。夫は穏やかな寝息を立てて爆睡している。
仕方なく、寒い部屋で座椅子に座り、毛布を被って、止血しながら時間が過ぎるのを待った。
でも止まらない。どうしよう。

こういうときって、なんでネットで悪いニュースばかり検索してしまうんだろう。
「親不知、抜歯、血が止まらない」「親不知、抜歯、痛みはいつまで」と、
思い当たるワードを打ち込み、世間の情報を収集する。

でも不安は募るばかり。そこで為す術もなく1時間ほど震えながら座っていたが、決心して、夜間の救急外来を訪ねてみることにした。

電話のコール音がやたら長く感じる。
ようやく繋がったと思ったら自動音声だった。
それでも我慢強く待っていたら、一次受けのオペレーターさんと繋がり「後ほど折り返します」と言われ、更に待った。
30分ほど経った。もしかして、上手く取り次いでもらえなかったのか?と不安になっていたら見知らぬ番号から折り返しが!
「折り返し遅くなり申し訳ございません。どうされました?」
もうそれだけで救われたような気がした。

幸いにもすぐに診てもらえるということなので、明け方4時過ぎに病院へ。
真っ暗な夜道を、時間外の窓口を照らす灯りを目指して、車を走らせた。

対応してくれた若い女性医師は、ガーゼを使って止血処置をして下さり、
「経過は決して悪くないので、再手術などは必要ないです」と告げた。
私は安心もしたが、ガーゼ以外に処置方法がないことに少し落胆し、軽い貧血状態になってしまった。
「少しお休みされてくださいね」
先生の声が優しかったのがありがたかった。
1つだけ言いたい。抜歯直後にガーゼも何も処置されなかったのは正しかったのか?やけにポップな先生を思い出し、もっと早く止血できたような気がするなぁ…とちょっとモヤモヤした。

女性医師が奥歯に詰めてくれたガーゼはよく効いて、3時間ほどですっかり血は止まった。やれやれだ。

週末は残念なほどよく腫れた右頬をかばい、安静に過ごした。
鎮静剤を飲めば日常生活は送れるので、冷やしたり温めたりしながらやり過ごしていたが…

週明けマスクをして出勤し、家に帰ってきてマスクを外して驚愕した。
右頬に黄色い痣がいきなり表れたのだ。
昨日までなんともなかったのに…時間差攻撃は本当にやめてほしい。
痣が気になって外食もできなくなり、いつまでこの痣は残るのかとテンションはだだ下がり、お昼休みは衝立があるようなカウンターで過ごした。

それから数日。抜歯してから約2週間。
多少の口の中の腫れは残るものの、痛みも痣もすっかり消えた。
人間の治癒力はすごいなぁ。
ようやく長い長い親不知との闘いに幕が下せそうである。

(もしここまで読んで下さった方がいらっしゃれば、お付き合い頂き本当にありがとうございます。)

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