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科学教育の歴史的変遷と現代的課題

この記事では、過去100年間で科学教育の目標や教授方略がどのように変化してきたかを整理した上で、これからの時代の科学教育に何が求められるかを検討します。科学教育 Advent Calendar 2023 の22日目の記事です。


科学教育の目標の変化

科学教育が重要であるという主張には多くの人が同意しますが、その目標は今も昔も変わらないのでしょうか?100年前と現在とで科学教育は同じ方向を目指しているのでしょうか?科学教育の歴史を振り返ると、決してそんなことは無いことが分かります。科学教育の目標は常に社会からの要請を受けて変化していて、社会情勢の変化に伴う科学教育改革がこれまで幾度となく実施されてきました(DeBoer, 2014; Kidman & Fensham, 2020)。少し歴史を振り返ってみましょう。

1940-70年代

第二次世界大戦中、各国の政府は軍事的ニーズにこたえるための科学技術研究に多くの予算を投入してきました。その成果は、抗生物質のペニシリン、殺虫剤のDDT、合成ゴムなどの新しい物質や材料の生産だけでなく、レーダー、ジェットエンジン、ヘリコプター、電子コンピューターなどの新技術として現れ、科学の貢献が評価されていくようになります。特に米国では、大戦後の1940年代後半、戦時中の科学の貢献が評価され(e.g., Manhattan Project)、より多くの科学者を育成する社会的な需要が発生しました。このような需要を受けて、大学では科学教育の内容を現代化し、科学者の育成に力を入れる改革が実施されました。すなわち、この時代の科学教育の目標は科学者の育成でした。

1950年代に入り、米国とソ連の間で冷戦が勃発すると、科学者育成の需要はますます高まっていきました。1957年にソ連が人工衛星スプートニクの打ち上げに成功すると、米国ではウッズホール会議を開催して科学教育について議論し、膨大な予算を投入してカリキュラム改革に取り組んでいくことになります(Bruner, 1961 鈴木・佐藤訳 1963)。この会議で議長を務めたのは心理学者のブルーナーでした。彼は、身の回りのことしか扱えない従来の経験主義に異を唱え、学問の構造や系統性を重視した科学教育への転換を掲げていました。スプートニクのような人工衛星の軌道の計算には高度な数学・物理学の理解が必要であり、子供の興味に寄り添った日常経験からの学習には限界があったのです。そこで、カリキュラムに現代の科学の概念を取り込み教科の構造を再構築する教育の現代化運動が推進されていくことになります。その頃、日本においては、高度経済成長に合わせて科学技術者養成拡充計画が始まり、第1期(1957-1960年)に8000人、第2期(1961-1963年)に2万人の理工系大学定員増加が実施され、多くの理工系人材が育成されていました(伊藤,2013)。

1980-90年代

1980年代に入ると、科学技術が個人の日常生活レベルで強い影響を及ぼすようになり、科学者にならない万人のための科学(Science for All)が重視されるようになりました(e.g., AAAS, 1989)。そして、すべての市民が科学的リテラシー(Scientific literacy)を身に付けることが求められるようになっていきます。科学的リテラシーとは、科学の内容的な理解(Vision I)のみならず、科学と社会の関係の理解や市民としての意思決定の能力(Vision II)といった幅広い力を包含したものです(Roberts & Bybee, 2014)。かつては、読み・書き・計算が日常生活において重要となるリテラシーとされてきたのに対して、この時代になると科学の素養もリテラシーとして位置付けられることになりました。

1990年代以降、2種類の科学的リテラシーはそれぞれTIMSS調査PISA調査といった大規模国際調査によって得点化され、科学教育政策に関する国家間の競争圧を高めていくことになります。これらの国際調査の結果はマスメディアによってセンセーショナルに報道され、結果として各国における学力低下論争とカリキュラム改革を引き起こすことになりました(e.g., 原田,2006; 大髙,2010)。日本でもこのような調査の結果に一喜一憂している教育関係者の姿は珍しくありません。

2000-2010年代

2000年代後半に入ると、グローバル社会の加速と高度科学技術社会の到来を受けて、STEM(Science, Technology, Engineering, Mathematics)分野の労働者を育成し国際競争力を高める需要が生じます。そこで、国家の財政的な支援の下でSTEMを構成する各学問領域の教育とそれらを統合した教育(Integrated STEM Education)が志向されるようになりました(Kelley & Knowles, 2016)。STEM教育では、各領域の内容理解に加えて、21世紀の労働者に必要な社会的スキル、複雑なコミュニケーション、非日常的な問題解決、自己管理、システム思考などの21世紀型スキルを身に付けることも期待されています(Bybee, 2010)。

2020年代

2020年代に入ると、新型コロナウイルス(Covid-19)の世界的な流行により科学教育の実施が困難になるとともに、ウイルスやワクチンに関する誤情報や疑似科学、科学不信などの社会課題が浮き彫りになりました。このような背景には、科学の内容というよりも、科学の仕組みや科学の性質Nature of Science: NOS)の理解不足に一因があると考えられます(Erduran, 2020; Nguyen & Catalan, 2020)。例えば、Covid-19の有効な治療法がなぜすぐに見つからないのかという科学への不信感は、科学者集団の中でどのような手続きを経て新規の知見が受け入れられていくのかといった科学の営みの性質に関する理解があれば低減されるはずです(e.g., Weisberg et al., 2021)。世界的な科学不信の広がりを受けて、このような社会課題に立ち向かうための新たな科学的リテラシー育成に向けた科学教育改革が求められています(Osborne & Pimentel, 2023; UNESCO, 2020)。具体的には,従来の科学的リテラシー(Vision I, II)に加えて、科学が関わる社会課題(Socio-Scientific Issues: SSI)や地球規模の問題に対する社会政治的な参加と行動を重視した科学的リテラシー(Vision III)の育成が求められています(Valladares, 2021)。

ここまで、第二次世界大戦後の社会情勢の変化とそれに伴う科学教育の目標の変化を整理してきましたが、これらの変化は科学者育成市民育成という2つの軸で整理することができるでしょう。科学者育成の観点からは、戦後の科学者需要の時代から一貫して、科学者の育成は国家の経済発展や安全保障の観点から重要な目標であり続けており、現代ではSTEM分野の幅広い労働者の育成がグローバル社会における国家間競争において重要になってきていると整理できます。市民育成の観点からは、日常生活における科学・技術の重要性が高まり、科学が関わる社会課題が増加するにつれて、市民として必要な科学的リテラシーが増加・多様化してきていると整理できます。

科学教育の教授方略の変化

20世紀

科学教育の目標の変化は、科学の教授方略にも変化をもたらしてきました。20世紀前半から一貫して取り組まれてきた教授方略の改革の方向性は、教室において学習者が科学者と同様の探究活動に取り組むように求めるものでした(Riga et al., 2017)。それまでの教科書を用いて知識を一方的に教え込む知識伝達型の教授方略に代わり、学習者が能動的に科学の実践に取り組む中で様々な科学的リテラシーを身に付けることが目指されるようになりました。初期の提案としては、英国のアームストロングによる発見的教授法の提案や(Armstrong, 1910)、米国のデューイによる問題解決学習の提案(Dewey, 1910)などが代表的です。彼らは科学の方法や問題解決の方法に沿った訓練を行うことで、学習者個人の知性を育てることを目指していました。1960年代には、シュワブによる探究学習の提案や(Schwab, 1962)、ブルーナーによる発見学習の提案を通して(Bruner, 1961 鈴木・佐藤訳 1963)、学習者が主体的な認知活動を通して科学的知識の生成過程を体験することの重要性が主張されてきました。1970年代には科学教育分野における構成主義学習論(Constructivism)の台頭により、学習者が能動的に理解を構築していくことが重視されるようになりました。このように、20世紀における教授方略の変遷は、学習者が能動的に科学の実践に取り組むことを志向していたとまとめられます。

21世紀

21世紀に入ると、学習者の能動的な学びを重視した教授方略の系譜は探究に基づく科学教育(Inquiry Based Science Education: IBSE)に引き継がれ 、各国の教育スタンダードに影響を及ぼすなど世界的な広まりを見せています。日本においては、平成29年告示の中学校学習指導要領の理科の目標において、「自然の事物・現象を科学的に探究するために必要な資質・能力」の育成が示されるなど(文部科学省,2018)、探究に基づく科学教育が重視されています。学習者が科学的探究に取り組む中で、科学の内容理解や科学的思考力の獲得など幅広い科学的リテラシーを身に付けることが期待されていて、実際に高い効果が報告されているようです(e.g., Schroeder et al., 2007)。

これまでの改革の中で、学習者が能動的に科学的探究に取り組むことを重視する方向性は一貫しているものの、科学的探究とは何かという解釈は過去50年間を通して変化してきています(Andersen & Garcia-Mila, 2017)。第一の変化は、探究の方法の捉え方についてです。初期の科学教育においては、デューイが探究の過程を5段階で整理するなど(Dewey, 1910)、単一で普遍的な科学の研究方法のステップが存在すると考えられていました。しかし、科学者の研究方法の実態に関する研究成果から、科学者は段階的な研究方法を普遍的に適用している訳ではないことが指摘されるようになってきています(Hepburn & Andersen, 2021; McComas, 2020, pp. 49-51; Reiff-Cox, 2020)。そこで、科学教育においても、科学的探究をより柔軟で多様な手続きとして解釈するようになりました(Emden, 2021) 。第二の変化は、科学の性質や認識論を踏まえた科学的探究の解釈についてです。科学とは所定の手続きを通して人間が作り出した暫定的な説明であり、その説明は科学者コミュニティの中で他者を納得させるものでなければなりません。このような特徴を踏まえれば、科学的探究から科学の営みの性質(NOS)を切り離すことはできないでしょう。そこで、NOSの要素を組み込む形で科学的探究の学習活動を拡張することが試みられるようになりました。例えば、実験・観察を通して明らかになった知見に関して他者を説得する論証(Argument)を構築する活動や、科学的探究の活動を実際の科学者の実践と結び付ける活動などが行われています(e.g., McComas, Clough, & Nouri, 2020)。

このように、過去100年間の改革を通して、学習者が能動的に科学者と同様の科学的探究に取り組む教授方略が重視されてきたものの、科学者の研究実態や科学の営みの性質に関する理解が深まるにつれて、実際の科学の実態に近づける形で科学的探究は拡張されてきたのです。

また、科学の知識を持たない側の能動的な参加を求める方向性は、学校におけるフォーマルな科学教育に限定された話ではありません。学校外のインフォーマルな科学教育やサイエンスコミュニケーションの場においても、かつての欠如モデル(市民を科学の知識が欠如した存在で知識を一方的に伝える必要があるという考え)から、市民の能動的な参加を重視する考え方へと変化しつつあります。例えば、科学者と市民が共に社会的課題解決や政策決定などに意見や知識を反映させるといった市民参加型のモデルは、市民の能動的な関わりを重視しています。

科学教育の現代的課題

科学が関わる社会問題が複雑化する中で、科学教育に求められる役割もますます多様化してきています。科学の内容や方法といった科学的リテラシーを身に付けるという従来の科学教育の重要性は変わりませんが、それらを様々な文脈で複合的に組み合わせて使用するコンピテンシーが必要となってくることでしょう。また、複雑化する問題を義務教育の科学知識だけで完全に理解することは難しいため、科学の内容そのものよりも、どうしてその知見が信頼に足るのかという認識論や科学の性質の学習がますます重視されると考えられています(Osborne & Pimentel, 2023)。このような学習が、科学への信頼を取り戻すことにつながるのではないでしょうか。

また、科学教育の役割の多様化に対応するためには、科学教育に関わる人材の多様化も必要です。本記事が参加するアドベントカレンダーを見ると、実に多様な人材が科学教育に関わっていることが垣間見えます。このような多様性を生かして、様々な科学教育を展開していくことがこれからの時代の重要な課題であると考えられます。

附記

本記事は、著者の博士論文(中村大輝(2022)「理科の仮説設定における学習者の実態と指導方略に関する研究」広島大学)の第1章に加筆修正を加えて作成したものです。

引用文献

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