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時には、イヤホンを外して歩こう

私は演劇が好きで、今年のゴールデンウィークも、静岡で開催された『ふじのくに⇔せかい演劇祭2024』を堪能しました。これはSPAC(静岡県舞台芸術センター)が毎年開催している演劇のフェスティバル)です。
芸術総監督の宮城 聰氏は、パンフレットにこんな文章を寄せています(以下抜粋です)。

今年の芸術祭は、ようやく、コロナ禍前と同じ状況での開催になりました。そして日本ではライブエンターテイメントの活況が戻りつつあります。そのことは舞台芸術界で働く者として嬉しいことには違いないのですが、最近の活況は「もともと自分の好きなものに一層肩入れすることを楽しむ」タイプの舞台に多くを頼っているように見えます。

もしも「観るためには観客の側にも努力がいる、エネルギーが求められる」作品がなくなってしまったら、…舞台芸術の土台が痩せ細りやがては花も乏しくなる結果をもたらすでしょう。
「観る側にもエネルギーが求められる」作品と出会うことは、この世界への自分のスタンスが変わっていく契機になり、長く続く喜び、生きることの楽しさにつながります。

街へ出てまわりの人を眺めてみると、若い世代ほどイヤホンをしている人が多いように感じます。全世代を通じて、少し前には考えられなかったぐらいの普及率じゃないでしょうか。
それぞれがそれぞれの嗜好の中で、「推し」の世界のエンタメに没頭している…

AIはそれぞれの傾向に応じて、「こんなのもありますよ、こんなのはどうでしょう」と手を変え品を変え、果てしなくおススメを繰り出す。世代の分断どころか、個々の分断はいや増しです。

宮城氏は岡倉天心やチェーホフの例を挙げていますが、私はもっと俗なことを考えます。
例えば親の本棚に並んでいる本をペラペラめくるとか、やることがなくておばあちゃんと一緒に相撲をみるとか、家族で歌番組をみるとか。
「他者との意外なかかわりで自分の世界が広がる」機会は、積極的に求めていかない限り、どこまでも閉じていくことができる。

こたつで寝転んで「けっこう演歌もいい曲あるもんだな」とボンヤリしていた子ども時代は、のんきなものでした。

せめて、イヤホンを外して外に出よう。
今日は私も、日課のウォーキングでイヤホンを外してみました。少し頭が重い日は、耳孔に直接入れない骨伝導イヤホンですら、億劫に感じるときがあります。ポケットにしまうと頭はすっきりと軽くなりました。

朝のひんやりした空気を、ほほに感じました。春一番の背の低い野草は姿を消し、夏草に交代してきました。ハルジョオンはもうおしまい、もうすぐ日陰はツユクサが幅をきかせるでしょう。クスノキはすっかり古い葉を落として、若葉にきらめいていました。
誰かを待っているらしいおばあちゃんに挨拶をして、笑顔を交わして。

「人生に究極の幸福感をもたらすのは、人間関係でしかありえない」どんなに煩雑であろうと、そこはぶれないし科学的根拠もあります。落ち込んだ時こそ外に向かって自分を開きながら、自分の世界をひろげて他者と関わっていこう、他者と関わって自分を広げていこうと、そんなことを考えました。

宮城氏の全文はこちらです。大切なことを平易な言葉で語れるのってすばらしいな、と私は思っています。


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