時には、イヤホンを外して歩こう
私は演劇が好きで、今年のゴールデンウィークも、静岡で開催された『ふじのくに⇔せかい演劇祭2024』を堪能しました。これはSPAC(静岡県舞台芸術センター)が毎年開催している演劇のフェスティバル)です。
芸術総監督の宮城 聰氏は、パンフレットにこんな文章を寄せています(以下抜粋です)。
街へ出てまわりの人を眺めてみると、若い世代ほどイヤホンをしている人が多いように感じます。全世代を通じて、少し前には考えられなかったぐらいの普及率じゃないでしょうか。
それぞれがそれぞれの嗜好の中で、「推し」の世界のエンタメに没頭している…
AIはそれぞれの傾向に応じて、「こんなのもありますよ、こんなのはどうでしょう」と手を変え品を変え、果てしなくおススメを繰り出す。世代の分断どころか、個々の分断はいや増しです。
宮城氏は岡倉天心やチェーホフの例を挙げていますが、私はもっと俗なことを考えます。
例えば親の本棚に並んでいる本をペラペラめくるとか、やることがなくておばあちゃんと一緒に相撲をみるとか、家族で歌番組をみるとか。
「他者との意外なかかわりで自分の世界が広がる」機会は、積極的に求めていかない限り、どこまでも閉じていくことができる。
こたつで寝転んで「けっこう演歌もいい曲あるもんだな」とボンヤリしていた子ども時代は、のんきなものでした。
せめて、イヤホンを外して外に出よう。
今日は私も、日課のウォーキングでイヤホンを外してみました。少し頭が重い日は、耳孔に直接入れない骨伝導イヤホンですら、億劫に感じるときがあります。ポケットにしまうと頭はすっきりと軽くなりました。
朝のひんやりした空気を、ほほに感じました。春一番の背の低い野草は姿を消し、夏草に交代してきました。ハルジョオンはもうおしまい、もうすぐ日陰はツユクサが幅をきかせるでしょう。クスノキはすっかり古い葉を落として、若葉にきらめいていました。
誰かを待っているらしいおばあちゃんに挨拶をして、笑顔を交わして。
「人生に究極の幸福感をもたらすのは、人間関係でしかありえない」どんなに煩雑であろうと、そこはぶれないし科学的根拠もあります。落ち込んだ時こそ外に向かって自分を開きながら、自分の世界をひろげて他者と関わっていこう、他者と関わって自分を広げていこうと、そんなことを考えました。
宮城氏の全文はこちらです。大切なことを平易な言葉で語れるのってすばらしいな、と私は思っています。
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