"人間"になりたかった"女"
私は早く、人間になりたい。
女じゃなくて、人間になりたい。
かの有名なシモーヌ・ド・ボーヴォワール (Simone de Beauvoir、1908-1986年) 先生は、「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という言葉を残したけれど。
やっぱり私は人間に生まれて、人間のままでいたかった。
女になんて、なりたくなかった。
普段は、「私は人間ではなく女である」ことを忘れていられる。
昔から仲良しの女友達やLGBTQ+当事者の友人や信頼できるALLYの友人に囲まれ、愛する同性のパートナーと共に過ごしているから、「私は人間ではなく女である」ことを忘れていられる。
だけど、日常生活の中のふとした時、
例えば、
・会社に行く前に化粧をしているとき
・会社に向かう電車に女性専用車両があるのを見るとき
・職場で上司に「まぁ、でも、あなたは女性だから」と言われるとき
・職場で先輩に「女性社員同士の方が話しやすいんじゃない?」と言われるとき
・泊まりの予定が決まって、次の生理はいつだろうと計算しているとき
・薬を飲んだりカイロを当てたりしながら、生理痛と生理に伴う激しい睡魔に苦しんでいるとき
・駅で知らない人にぶつかられるとき
・駅前で「お姉さん今からホテルどう?」と声かけをされるとき
・女性同士で居酒屋でお酒を飲んでいたら、男性グループに「女の子でビール飲むなんて良いね」と声をかけられ、追加のビールを勝手に注文されて奢られるとき
・駅から自宅までの帰り道で、ストーカーがついてきていないか確認するとき
・洗濯物をベランダではなく室内に干しているとき
・ドラッグストアで値段と性能を見比べながら真剣に生理用品を選んでいるとき
・友人が結婚して、苗字が変わったことを知るとき
そんな時に私は、「私は人間ではなく女である」ことを嫌でも思い出させられて、毎回一瞬死にたくなる。
死んで、そして、今度こそは人間に生まれて人間になりたいと願ってしまう。
でも、死にたいと願って、そこで易々と死ぬのは癪だから、私はまだ生きている。
それに、人間に生まれた私のことを、勝手に「女になる」ようにしてくる社会の言いなりのまま死ぬのは癪だから、「人間」の歴史ではなく「女」の歴史を学ぼうとした。
※だって、学校の教科書に出てくるのは「人間」だけで、「女」の英雄はほとんど誰も登場しないんだもん。
それに、教科書で習うほど有名な、フランスのフランス人権宣言も、実は「人間(男性)」の人権しか宣言していなくて、「女」の人権は存在していなかったっていうし。
ここのサイトは詳しかった
今でも、やっぱり私は、人間に生まれて、人間のままでいたかった。
でも残念ながら、今の私は人間じゃなくて女だ。
これからも毎日どこかで、「私は人間ではなく女である」ことを嫌でも思い出させられて、毎回一瞬死にたくなるだろう。
でも、それで易々と死ぬのは癪だから、私はまだ生きているし、これからも生きていきたいと思う。
そして、「人間」の歴史ではなく「女」の歴史を学んでこの先に繋いで、「人間」の歴史だけではなく「女」の歴史もちゃんと存在していたことを証明していきたい。
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