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一冊の本

某月某日
「あー、この本たちはダメだね。ゴミだ」
「とりあえず、こっからここまで全部積んどいて!縛らなくていいから」
「わかりました」
一人で持てるだけの本を持ち、階段から玄関へ、玄関からハイエースへ。
ゴミ、と一言いわれてしまった本たちだが、迅速にかつ丁寧に運ぶ。
そして、雑な運転にも耐えられるよう、本たちを積む。
ぼんっ
振り返ると本、が投げられていた。
思わず、目が見開く。
「お客さんがいるけど、しょうがないね」
へらへら
ぼんっ
ぼんっ
ぼんっ
ズサァー
一瞬にして、本の雪崩が起きた。
私は本を取りに玄関へ戻り、まだ積めそうなスペースに本を積んでいった。
「そんな丁寧に積まなくていいよ」
「え?でも、お客様が見たら…」
「大丈夫。あの人達の本じゃないから、亡くなられた父親の本だから。一応、再生紙になるし」
…。
夏目漱石っ
荻原朔太郎っ
室生犀星っ
ゲーテっ
アンネの日記っ 
トットちゃんっ
岩波文庫っ
文庫本
文庫本っ
文庫本っ
大量の
文庫本っ
「社長!この本とこの本、あとこの本も買います」
「抜いといてー」
ぼんっ
ぼんっ
ぼんっ
依頼主の娘さんと目が合ってしまった。とても気まずい。
とりあえず、私はお辞儀をした。
数冊だけですが、お父様の本は私のところに、無事に人の手に届きましたよ。
けれど、すべての本を救えずにごめんなさい。
私はいま無力なのです。
今夜飲むストロングは沁みるぞ、と思った。

某月某日
「あの、つい玄関の扉を開きっぱなしにしたまま上がってきてしまったのですが、閉めてきた方がいいですよね?」
「うん…。一応ね」
「本だけど、この部屋と階段のところ。あと、こっちの部屋も。とにかく全部持って行ってもらえます?じゃないと困るんで」
にやり
「ここからここまでの本は縛っておいて」
「わかりました」
「すべて縛り終えました」
「ありがとー」
「ゆっくり気を付けて運んでね」
…。
「いやぁ、しかし久しぶりにすごかったなー」
「洗礼を受けました。咳が止まりません。あと、なんだか全身がムズムズします」
「あーゆー、家ほどいい本(宝)があるんだよ」
私はこの日人生で初めて、ごみ屋敷に靴下で上がった。
本音を言うと靴のまま上がりたかったが、社長がお客様に尋ねたところ「靴はダメに決まっている」と一蹴され、私は軽く絶望した。
昔、夕方のニュースで見たごみ屋敷は、この世に平然と存在することを知った。
そして、ごみ屋敷という環境で生きる猫も、この世にいるということを知った。
頭に付いた埃を払いながら、今夜は絶対に鳥貴族でビールを飲んでから帰ることを決めた。
そして、この前買ったあの本を読んでから寝よう。
じゃないと死ぬ気がする、心が。

某月某日
「本当に本が好きなんだね」
「好きです。面白いので、本についての知識はなく詳しくもないですが」 
「俺本読めないんだよねー。ここ数年一冊も読み切ってないや。それに、本を見たらお金にしか見えないし。本の内容よりも、この本は高いのか、安いのか。売れるのか、売れないのか。どっち?みたいな(笑)本が好きすぎると商売する時の弊害になりやすいから、そこが心配だなあ」
…。
今日この日、私の好きこそ物の上手なれ論は死んだ。
今までの我慢が祟ったのか、日に日に右耳が聞こえなくなり始め、病院へ通うことになる。
病院のあとは少しでも気分を上げたかったので、いつも本屋へと向かった。
夜を越え、朝も越えられるよう、また、寄り添ってくれる本を探しに。 
どこにいても、何をしていても、なんのため、それだけは絶対に忘れたくない。
いつもそう心に秘めながら、私は今日も本を読む。

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