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小説と私小説の間に、音楽は奏でる「僕」の物語をー『弱い者が夕暮れて、さらに弱い者をたたきよる』スージー鈴木著/ブックマン社


『弱い者が夕暮れて、さらに弱いもんをたたきよる』
スージー鈴木の自伝的小説、第二弾。第一弾の『恋するラジオ』を読んだ時の気持ちは、前のnoteに書いてあるので、読んでみてね。

 さて、そもそも「スージー鈴木」というペンネームである。
言うたらジェンダーレスな名前。スージーは、普通女名だ。
スージー・スーとかスージー・クアトロとかスージー・クーパーとか。
知らない人が見たら女性かと思うだろう(リリー・フランキーがそうだったように)しかし、スージーさんは、顔出しライターである。文春のコラムにも写真が貼ってあるし、テレビにも出てるし、どう見ても中年のおじ…男性である。

 しかしまた、垣間見るスージーさんは、中年男性ぽくもない。特に中性的でも女性的でもないが、いわゆる中高年男性の放つオヤジみ、政治家や社長の滲み出す偉そうな感じ、強そうな感じがない。言い換えると、弱そう…。と書こうとすると、何か申し訳ないような気持ちになる。
男性に対して「弱い」という言葉を使うのは、失礼な気がする。
その時点で、わたしは、わたしの中の「男尊女子」、社会通念上の性差別的な物差しが、植え付けられていると知るのだったが。

 スージーさんは、多分そんなポリコレ的な意思を持って名前を付けたわけでは、全然なかったと思うけど。なんにせよ。「スージー鈴木」という不可思議な(ふざけた)名前は、受け取る者の心の中を浮き出させる鏡となる。
鏡の本体は、ただの反射板だ。鏡は鏡を見るもの、映ったものだけを映す。


『弱い者が夕暮れて、さらに弱いもんをたたきよる』

 本書は、大阪(東大阪市)に生まれた子ども「僕」と、両親ともに京都大学卒の教員という、レアケースな家族の物語である。
 全体として自伝的で私小説のようにも読めるけれど。同時にファンタジー小説のようにも思える。そうさせているのは、「音楽」で。
音楽好きの「僕」が、その時その時聴いてきた、流行歌、歌謡曲、フォークソング、ニューミュージック、ロックにテクノポップ…。
一曲一曲がタイトルになるエピソードは、かなり周到に構成が練られている。といって、ベースにあるのは、その曲の何に「僕」が共鳴したかという実感であり、ヒット曲の所以、時代背景にもしっかりと結びついている。
特に秀逸なのは「飛んでイスタンブール」の章。

 読んでいるわたしは、東大阪で生まれた子どもの幼年期、思春期、青年期の入り口までを、様々な人々との出会い、地域社会、街の風景を音楽とともに空に昇って俯瞰している気分になる。

 だからと言って、懐かしレトロな『三丁目の夕陽』とはまた違う。
時代は、1970年代中盤〜80年だが、ピックアップされる内容は、現在につながるものばかりだ。SNS、ネット記事で活動する著者のアンテナが張り巡らされている。貧乏な友達の家や在日コリアンの同級生と「僕」の関わり、「せきぐんは」と「僕」の短い関わり、「自由」とは何かと語り合う母と息子。部落問題を地道に研究し、子に語りかける父親。

 それらの「重い話」を、東大阪に在る庶民の生活と決して切り離さず、子どもとして生きる「僕」の精神世界(音楽)を通じて交信させることで、軽やかに響かせる。今に向かって。

『弱い者が夕暮れて、さらに弱いもんをたたきよる』
タイトルそのものが、ど真ん中なのが、悲しく辛いけれど。
「それでええんか?」という声が、真後ろから聞こえるように…。

付け足しー
大事なことを子どもにきちんと話す、「僕」のお母さん。
話すべきこと、向かい合うべきことに背を向けない、お父さん。
こんな風にちゃんと両親と話せたらなあ。自分の人生もずいぶん違っていたかもなあ…。
「僕」と同じように、わたしが子ども時代を過ごした狭い公務員宿舎には、ぎっしりと本が並び、カール・マルクスも『橋のない川』も「部落なんとか・・」もあった。でも、それらについて語り合うことはなかった。
母も元教員で、子どもの支援に熱心な人だったが、思春期に入る頃にはほとんど喋らない関係になってしまった。

つくづくと「僕」が羨ましい。
東大阪と北海道の田舎町は、だいぶ違うや。

でも、どこにいても音楽は、聴こえてくる。
「僕」が、自転車で疾走する。
わたしも、毎日、自転車(電動アシスト)で道を走っている。








 

















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