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『コイン』とパリからのファンレター

1999年12月31日、ノストラダムスの大予言で世界は滅亡すると言われていた。幸いなことに世界は滅亡することなく、私は2000年のニューイヤーをパリで過ごした。

当時私は一年間パリに滞在していた。その時に持って行ったのが山崎まさよしのアルバム数枚。中でも思い出深いのが『コイン』という曲。夜中に何度も聞いて涙を流した。

友人から借りたポータブルCDプレイヤー

パリに留学することになったとき、友人が成田空港まで見送りに来てくれた。イギリスに留学経験がある彼女は、日本語を話す機会が減ると、絶対に日本語の音楽が聴きたくなる!と言ってポータブルCDプレイヤーをかしてくれた。後に私はこのポータブルCDプレイヤーと持参した数枚のアルバムに大変助けられた。

孤独だった寮での生活

慣れるまでの一カ月くらい、パリでの生活はひどく寂しいものだった。語学学校で友人はできたが、寮に帰るといつも一人。

寮の人種構成は、フランス人6:日本人2:韓国人1:その他1、と言った具合だった。寮全体で日本人が20人ほどいたのだが、すでにグループができていたこともあり、私は彼女たちとうまく打ち解けることができなかった。夕食で一緒になっても、話を合わせられず、一人で食べたほうが楽だと思った。

夕食を食べてからは外出することもなく、学校で出た宿題をしたり、日本から持ってきた本を読んだり、友人に手紙を書いて過ごした。まだインターネットが普及していない時代だったので、国際テレホンカードなるものを購入して夜中に日本へ電話してさみしさを紛らわせることもあった。

寮の公衆電話はみんなの悲しみとさみしさが…

寮の公衆電話は全部で4台あった。夜中(23時から24時くらい)に電話をしていると、大抵1人か2人先客がいた。私はそこで、泣きながら電話をしている人を何度も見かけた。その寮で生活しているのは外国人か、親元を離れ地方からパリに出てきている28歳以下の若者。みな、地元の友人や両親と離れて慣れないパリで頑張っているのだろう。夜の公衆電話周辺にはみんなの悲しみや寂しさが渦巻いていた。

国際電話した後は余計にさみしくなる

日本へ電話をかけて友人や両親と話し終わり部屋に帰ってくると再びどうしょうもないさみしさにおそわれた。そんな夜はいつも日本から持ってきていた山崎まさよしのCDをエンドレスで聞きながら眠った。

中でもあの頃の私を救ったのは「コイン」という曲の歌詞。

原色に塗られた街で 
ひとときのぬくもりが欲しくて
あやふやな触れあいの中に 
信じられるものを見つけたくて
当てのない夜は 
空を見上げて何を願うだろう
気づいたら君の 名前を呼んでいる

胸の真ん中に何もかかげず 
手をかざす誓いも何もなく
一人ぼっちで歩いていると 
なぜか水辺にたどりついている
澄んだ水の底に 
沈んだコインは誰の願いだろう
作詞作曲:山崎正義

この街には私を深く知ってる人は一人もいない。その悲しみとさみしさをこの曲が言い当ててくれた。雑談をする友人はできても、それはあやふやなふれあいに過ぎない。いつも信じられる確かなものを見つけようと必死だった。何度も何度もこの曲を聞きながら枕を濡らした。

段々とパリにも親しい友人が増えてきて

そんな私もだんだん親しい友人が増えて、毎日忙しくなっていった。寮の中で親しい韓国人や、フランス人ができ、新しく来た日本の友人もできた。新しい出会いは新鮮で毎日心が躍るほど楽しく、気づいたら私は日本から持ってきたCDをほとんど聞かなくなっていた。

10日間日本から友人がやってきた

そんな時、日本の友人が10日間有休を取りパリに遊びに来てくれることになった。新しい友人との付き合いは楽しかったが、やはり昔からの友人が遊びに来てくれるのはうれしかった。私は彼女が来るのを待ちわびた。

はやる気持ちを抑えてシャルルドゴール空港に迎えに行った。友人が到着した夜、私はパリに来て3カ月間におこったできごとを全て彼女に話した。『コイン』という曲にどれほど私が救われたかということも。話しながら私は考えた。これほど私のつらい時期を支えてくれた山崎まさよしさんに一言お礼が言いたいと。

夢のように素晴らしかった南仏への旅

友人はパリに4日滞在し、その後私たちは南仏に旅した。南仏の旅は夢のように素晴らしかった。初秋の穏やかな日差しは、きらきらと美しい景色を照らし、バカンスシーズンの賑わいが終わった海は、静かな美しさを取り戻していた。

パリに戻り友人が帰国すると、私はまた少し寂しくなった。再びメランコリックな気分になった私はこの勢いを利用してファンレターを書こう!と決意した。時間をあけたらファンレターを書くのが恥ずかしくなり辞めてしまうだろう。

山崎まさよし様
私はパリに住んでいます。誰も知らない街で生活することは想像以上にさみしく孤独です。『コイン』という曲は、パリに来てすぐの私のさみしい感情とリンクしていました。孤独で眠れない夜に何度も聞き、とても励まされました。おかげで私はこの街で新しい一歩を踏み出せています。ありがとうございました。

日本に帰国して耳にしたメロディー

その後私は日本のことを思い出すこともなく、パリでの生活を楽しんだ。パリを離れるのがさみしく別れがたい友人が何人もできた。

ファンレターを書いたことなど忘れ、私は帰国した。帰国して1年ほどしたころ『僕と不良と校庭で』という曲を耳にした。

突然の君の便りは懐かしい不器用な文字と
どこか遠い国の空の絵葉書
作詞、作曲:山崎正義

私はパリにいたころを思い出した。毎日泣きながら聞いた『コイン』と書いたファンレター。

突然の君の便りに短い返事を出すことにした
今僕が歩いている街の写真をそえて
たしかなことは何も見えないけど
これからどこに向かうのかわからないけど
作詞、作曲:山崎正義

この曲はあの時の私が書いたファンレターの返事だ、私はそう思うことにした。パリでの思い出がよみがえる。帰国後どこに向かうかわからない私だったが、ふたたび彼の曲に励まされた。

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