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「ウィズ・ザ・ビートルズ」を読んで、時を経て理解した娘の発言。

発売より一足遅れて購入した村上春樹さんの新作「一人称単数」。短編なのであっという間に読み終わってしまいそうでもったいなくて、毎日一話ずつ大切に読んでいる。中でも深い印象を残したのが「ウィズ・ザ・ビートルズ」。

たった一度しか会っていないにも関わらず、人生に深い影響を与える人は確かに存在する。あるいは一度も会わなくとも。読了後そんな人たちのことを久しぶりにじっくりと考えた。

今回はそんな感想と共に「ウィズ・ザ・ビートルズ」を読んだことにより、時を経て理解できた娘との会話について書いてみたい。


「一人称単数」ついに購入!

高校生の時に「風の歌を聞け」を読んで以来(約30年!)村上春樹さんの新刊はほとんどリアルタイムで読んでいる。世間では「一人称単数」が話題になっていたが、失業中で贅沢できないこともあり図書館で予約しようと思っていた。しかし近所の本屋で見かけて我慢できずついに購入!

村上さんの小説は長編はもちろん、短編にも独特の世界観が広がっている。読んでいる間中その世界に浸り心が自由に作品の世界を旅するのを感じる。ぷつっと途切れたように唐突に終わるラストは心に大きな余韻を残し、私だけ物語の世界から放り出されてしまったような虚無感を感じる。長編ほど集中しなくとも気軽に楽しめるのも短編小説ならでは。新作「一人称単数」も摩訶不思議な話の中にも人生の深淵を示唆する数々の魅力的な作品が詰め込まれていた。

深い印象を残した「ウィズ・ザ・ビートルズ」

この短編集の中で特に印象に残ったのが「ウィズ・ザ・ビートルズ」。
何度も会ったわけではないのに、あるいは一度しか会っていないのに、自分の人生に強い印象を与える人物。この作品を読んでいる間、今まで出会ったそのような人たちの顔が思い浮かんだ。もう二度と会うことはないであろう、その人たち。今どこで何をしているのか、あるいはこの世界に存在しているのかさえ分からない。ごく限られた時間の断片的な印象が心に残っているだけだ。名前も思い出せない、よく知りもしない人々のことを熱心に考える私はおかしいのではないか。あるいはただ単に暇で時間があるせいなのか、とそんな自分を訝しんでいた。

しかしこの作品を読んで、友情とか愛情とかパートナーシップとか、何か形を結んだ人だけが自分にとって重要なわけではないと確信した。形にならない関係性であろうとも、接点が希薄であろうとも、人生に深い影響を及ぼす人は確実に存在する。

読了後にやっと理解できた娘の発言

「ウィズ・ザ・ビートルズ」の中で主人公が「現代国語」の副読本を読むシーンがある。副読本にはいくつかの設問が添えられており、主人公はそれらのほとんどがろくすっぽ意味を持たないと感じる。

この一文を読んで以前娘と交わした会話について思い出した。ある時娘が「国語のテストって全く無意味だと思わない?作者はどのように感じているでしょうか、とか作者の言いたいことは何でしょうか、なんて作者に聞かなきゃわからない…大体その解答が間違ってるってどうやって証明するの?!」とつまらなそうにつぶやいた。

学生時代国語だけは得意だった私は意気揚々と「そんなの問題を作った人がどう思ってるか、大抵の人がどういう回答をするか想像して書けばいいんじゃない。本文が理解できていれば大体わかるでしょ?」と偉そうに答えた。娘は私の答えに全く納得できない様子であった。もっとうまい言葉を探したが、見つからず、そのままその会話は終了した。そもそも私は国語の問題に娘のような疑問を持ったことがなかった。深く考えずに適当に先生が喜びそうなものを選べば正解していたので疑問に思うことがなかったのだ。

「意味を持たない設問」とは回答の正否を倫理的に判断しづらい設問のことだ。もちろん「比較的理にかなった回答」みたいなものは最大公約数的に存在するだろうが、文学において比較的理にかなっていることが果たして美点であるかどうか疑問の余地がある、と。(村上春樹著作:「ウィズ・ザ・ビートルズ」から一部抜粋)


これを読み私はやっと理解した。娘が言いたかったことはこういうことだったのだ、と。そして私は比較的理にかなった最大公約数的に存在する回答を答えればいいんだよ、と伝えたかったのだ。

しかしこうして書いてみると私が得意だったことは「比較的理にかなった最大公約数的に存在する回答」を見つけること。生きる上で何の役にも立たないつまらないものに思える。

それよりそんなものには意味がないと気づける方が役に立つだろう。

やはり小説は素晴らしい!

私は娘が言いたかったことを時を経て理解することができた。私たちのとぼしい表現力では到底理解しあえなかったことが靄が晴れたようにすっきりと整理され心地よかった。小説が媒体となり過去の誰かの思いを理解できるなんて、あらためてその素晴らしさを実感した。

娘は反抗期真っただ中のスマホばかり見ている現代っ子だけど、本人なりにいろいろ考えている。いつまでも「子ども」としてみるのではなく、私にはない感性を備えた一人の人間としてみていくべきだと考えた。一人の人間としてリスペクトしていこう、と。

一度しか会ったことのない人も、今縁があり一緒にいる人も私には同じように大切だ。どのような関係性の人も同じような熱量で熱心に考え続けよう、心の中にその人たちのスペースを確保し続けておこう。たとえ二度と会えない人であったとしても。


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